第十話 挑発作戦、開始!

「どうだい、あいつの修業は」

「ええと、ちょっとだけ感覚はつかめた気がします」


 目の前に並ぶのは小さな器に盛られた色とりどりの料理。柔らかい人参里芋鶏肉が入った筑前煮に、焼き色香ばしい焼き魚。柚子の香りのするおひたし。どれもこれもツクモさんが現世、つまり私のいたところから取り寄せて作ってくれたものだ。隠世の素材で作られたものは食べてはいけないが、これならいいだろう。彼がそう言って

作ってくれた。神様や妖怪は決まった食事をとる必要がないらしいので、こうして気を使ってもらえるのは本当にありがたい限りだ。


 ずらりと並んだ料理に舌鼓を打ちながら、私は今日あった出来事の報告をしていた。夕飯なんかはさっと食べて早く部屋に戻っていたので、こうして話を聞いてもらえるのは新鮮だ。


「なんか炎の神様が言うには『がーっとやってぽかぽかしてきたら大丈夫』らしいんですけど」

「……雑だな。まああいつらしいと言えばあいつらしいが」

「それでなんとなく分かってはきたんですけど」

「その説明で身につくのがあたしは不思議でしょうがないよ」


 あれからしばらく神様による修行は続いていた。と、いっても相変わらず体制キープと深呼吸、それとイメージトレーニングといったものだが。


 ただ何度も教えられるうちに、それっぽいものが使えるようになった気は、する。けれどこれが本当の浄化の力か? と言われるとそれはまだ分からない。


「まあ、順調そうで安心したよ」


 そう言う彼の針音は落ち着いたワンテンポ。彼は食べないけれど、食べている間こうして話を聞いてくれるのだ。初めてここに来た時からツクモさんにはずっとお世話になっている。この間のお呪いだってそうだろう。一度箸を置き、私は頭を下げる。


「本当にツクモさんには何から何までお世話になって……この間の猿神に襲われた時も、否定のお呪いに助けられましたし」

「いいんだよそんな、あたしが好きでやってるだけだ」


 けど、その呪いとやらに覚えがないね。そう言われ首をかしげる。この見つかりにくくするお呪いをかけてくれたのでその付属効果か何かかと思っていたんだけど。


 思っていたことと違う答えに戸惑いながらも煮物の最後を飲み込んだ時、針の音が早くなった。ワントーン低くなったツクモさんの声が私の耳に届く。 


「さて、本当ならあんたが安心して力が使えるようになるまで待つべきだったが、そうもいかなくなった」

「………それって」

「ああ。あっちが仕掛けてきた」


 そう言って彼は手の中の物を私に見せる。白い羽根のついた矢。これが店の看板に刺さっていたらしい。


「全く、いつの間にこんなもん刺したんだか」

「これと猿神に、何か関係があるんですか?」

「大ありさ、これは奴らが獲物を狙うときに使う『白羽の矢』だからね」


 猿神が現世で悪さを働いていた時、この矢を射られた家は猿神に生贄として若い娘を差し出さなければならなかったという。この矢が射られたと言うことは、すぐにでもその娘を差し出せという脅しなのだろうと彼は言う。


「どうやったのか、あいつらはここを嗅ぎつけた。手荒い連中のことだ、すぐにでも攻め込んでくる可能性がある……だから」

「―――分かりました」


 もう時間がないってことだ。ユキばかりに任せてしまって、すまない。その言葉に首を振る。確かに予想外のことではあるし、不安ではある。けれど、あの子を助けることは私でないとできないことだから。


 ヒトメ君の泣き叫ぶ声が今も耳の中に残っている。ロクちゃんの苦し気な顔が瞼の裏に浮かんでくる。


 私の小さな友達。あの子を連れ戻すのだ。


 そう改めて決意した時、心の中には不安と恐怖があった。しかしそれ以上に「役に立てている」という安堵がこみ上げる。存在してもいいのだと、そう理由付けがされた気がした。


※※※


「……おい」

「は、はい⁈」

「なあに怯えとるんじゃ。しゃんとせい」


 とは言ってもだ、あの時は一人だったし何しろ焦っていたから何とかなっていたのであって、冷静になると怖いもんは怖い。暗闇の中、私は炎の神様の着物の裾を引っ張りながら、あの森の中を移動してた。


 炎の神様が一緒に来てくれたのには二つ理由がある。一つは猿神を倒した早太郎、もといしっぺい太郎は犬だから。もう一つは「いざ致命的な事態になった時。、躊躇なく手を下せる」からだった。


 獣と行かせるのは心配だと騒ぐ水の神様に「貴様はこいつの幸せしか考えとらんからのう。保険じゃ」と言って黙らせたのはついさっきの出来事だ。もし私が失敗した時のために、私が泣いて喚いて止めようが被害が広まる前に躊躇なく排除できる存在が必要だった。


 ここに来たのはもし相手が暴れた時、被害がなるべく出ないようにするためだった。が、怖い。ふおんふおんと揺れる尻尾に何とか勇気をもらいながら歩みを進める。暗いところは苦手だ。


「一回、お仕置きで押入れに閉じ込められたことがあるんです。あれ以来怖くて、駄目ですね」

「……そうかの」


 真っ暗で扉越しにテレビの音が聞こえる空間は、まるで私自身が無かったことにされているようで、本当にここは押入れの中なのか、実際はここに自分はいないのではないかと想像して泣いていた記憶がある。それ以降、暗闇は苦手だった。


 と、そんなことを話していたら急に歩きやすくなった気がする。私の目の前を歩いていく大きな背中は、さっきより幾分ゆっくりと進んでいるように思えた。


「のう、ユキ」

「なんですか?」

「火は怖いか」


 炎は、燃える様は怖いか。そう唐突に投げかけられた問いに面食らう。目を瞬かせる私にぶっきらぼうな声が「さっさと答えんか」と言い出したので急いで答えを口にした。


「怖くないですよ。日常から切って離せないものですし」

「………本当にか?」


 確かに恐ろしい物でもあるが、使い方さえ誤らなければいい。きちんと使えば頼もしい味方だ。思った通りそう伝えると、訝し気な瞳が私を貫いた。しかし、そこにあったのは否定や嫌悪でなく、ただ純粋に「強がってないか」という意味が感じられた。


「そりゃあ、間違って使ったら熱いし怪我をすることもありますけど。付き合い方を考えていけばいいだけなので」

「そうかの」


 実をいうとちょっとだけ苦手ではある。熱さと皮膚を舐める火の臭い、中からくる刺す様なひりつく痛みとむず痒さ。思い出すだけで火傷跡が痛むようだった。


 けれど炎の神様に「火が苦手」だなんて大分失礼だなと思ったので、恐ろしさは心の中へと仕舞っておく。大丈夫だ。適正な付き合いをすればと言うのは変わりない私の本音なのだから。


 でも気のせいだろうか。それを聞いた時、神様の顔がまるで顔色をうかがう子どものように恐る恐るこちらを見ていたような気がする。けど、次の瞬間に糸のように細まった瞳孔を見て、多分気のせいだったのだろうと思い直す。それだけ、彼が放っている怒りは肌を通して伝わってくるほどだった。


「きひゃ、餌がきたきタ」

「お前か。こそこそこそこそ、娘っ子ばかりねらう下衆妖怪は」

「……なんダ、お前。どうにもできないからって負け犬がキャンキャン吠えるナよ」


 ロクちゃん、いや猿神だ。闇の中から体を引きずるように表れでたそれは、にたりと私を見つめている。無理をさせられているのだろう、彼女の体の足から赤く血が滲んで痛々しい。


 ちら、とこちらを向いたオレンジの目に小さく頷く。作戦開始だ。

 

「おう、負け猿が。きいきい騒いどるのう。ここは森じゃのうて猿山じゃったか?」

「……………ほざくなヨ、高天原に支配されるだけの獣の風情ガ」

「なんじゃ、神でもないただの獣に蹴散らされたのはもう忘れとるのか?」


 黙れ、と威嚇をするような声色で猿神が歯をむき出す。その様子をからりと笑い飛ばしながら、炎の神様は地面に手をついた。野生に帰った獣のように、大柄な背がしなやかに丸まる。白い牙を脅すように見せつけながら、彼は笑う。私でも分かるような挑発の姿勢だ。 


「思い出す手伝いでもしてやろうかのう。犬と言われるんは癪じゃが、今のわしは貴様らを殺した犬の代わりらしいのでの。負け猿には獣の力で十分じゃ」

「――――――お、前ェッ‼」

「言わんでいいのか? 『しっぺい太郎に知らせるな、しっぺい太郎に知らせるな』ってのう!」


 激高した猿神が狼へと掴みかかる。その瞬間からが合図だ。教えられたことを総動員し、目を閉じる。救出作戦が今、決行された。

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