第九話 狼と幼い私
「すいませんこれで本当にいいんですか⁈」
「おー、そうじゃそうじゃ。で、そのままな」
「まじですか」
ほれ、さっさと続けんか。そう言われ中腰になって腕を前に突き出した姿勢のキープ。かれこれ三十分、ツクモさんの店の裏庭でこの姿勢を続けていた。正直きつい。が、教えてくれる当の本人が「この姿勢のまま深呼吸しろ」しか言わないので従うほかない。ないんだが。
「あの、これで本当に浄化の力が使えるようになるんですか?」
「おう。使える使える」
「返事が軽すぎやしませんかね?」
ロクちゃんを救うための浄化の力。私がそれを使えると言いきった炎の神様は、疑問に軽く返しながら「言う通りにせい」と指導をしてくれている。そんな力を私が使えるなんて初耳だし、この姿勢キープで本当に力が使えるようになるのだろうか。
疑問をこぼし続ける私に狼は寝っ転がったままふうっと
「初めから教えるわけじゃなく、ちいっと思い出させるだけじゃからのう。大層なことはいらんいらん」
「いらんって、私そんなことした覚えありませんけど」
「だから思い出させるってことじゃろうが」
聞いてもずっとこの調子だ。そんな記憶はさっぱりないのだけれど。
視線を感じちら、と後ろを見ればこちらを睨む金色と視線がかち合い、慌てて視線を前に戻した。
「……さっきからずっと見てるんですけど、やっぱりちゃんと許可取った方がよかったんじゃ」
「ふん、蛇は睨むことしか能がないようじゃからのう。ほっとけ」
前に起きた口論を思い出すと、とてもじゃないけど放っておくことが得策とは思えなかった。
※※※
「―――お前、自分が何言ってるか分かってんのか」
「言うてこいつしか使えんじゃろ」
「だからってなぁ! お前、僕がどんな思いで」
私に浄化の力がある、そう告げられた後の空気は最悪なものだった。水の神様は狼の胸倉をつかみ上げるのに対し、オレンジの目は冷ややかに神様を見つめていた。
「矛盾しとるのう」
「なんだと?」
「貴様はこいつの幸せを望んどる。じゃがの、こいつが望むことをやらせたくないと?」
その言葉にぐっと水の神様が押し黙った。意味はすぐには飲み込めなかったが、私がどうにかすればロクちゃんを助けることができるのだろうか。その考えにたどり着いた時には口がもう動いていた。
「や、やります!」
「ほれ、本人もこう言ってることじゃしのう」
「………ちっ」
神様は苦々しい顔をしていた。彼は私にやってほしくないのかもしれない。けれど、助かる可能性が少しでもあるのなら私は力を尽くしたいと思った。
「ごめんなさい。でも、ロクちゃんのことは諦めたくないんです」
「……君が謝る必要は、ないよ」
神様の浮かべた表情は複雑な思いが混ざっているように感じられた。
※※※
それがつい最近の出来事。
「よし、ちいっと休憩じゃ」
「は、はーい」
許しが出た瞬間に力が抜け、どさりと膝をついてしまった。こんな調子で本当に力が使えるようになるのかと聞けば、彼はただ「何をするにもまず体力と集中力じゃ」と言うだけだ。不安すぎる。そんな様子に気づいたのか、狼の耳がピピっと揺れた。
「なんじゃ、わしの指導じゃ不満か?」
「そういうわけじゃないんですけど、いまいちぴんと来ないというか」
「安心せい。お前には才能があり余っとる。ちょいと突けばすぐ使えるようになるじゃろ」
「……その覚えが全くないから不安なんですけどね」
彼らは私に覚えがあるようで、度々昔のことらしい内容を話す。覚えもないし、今の私との乖離が大きすぎて、本当に私のことか分からなくなる。
こわばった筋肉を伸ばしながら私は狼に話しかけた。
「猿神っていう妖怪も、私のことを巫女なんて言ってたんですよ。神様もひょっとして私を誰かと勘違いしてるんじゃないですか?」
「ありえんの。わしもあいつも、お前の魂を見間違うほど落ちぶれてないからのう」
ぷか、と煙管の煙が輪になって宙に浮かぶ。それを目で追いながら、昔のことを聞いてみた。私の覚えていない私。小学校低学年くらいまでの記憶。すると狼は目を細めながら「そうじゃのう」と相槌をうつ。
「物怖じしない娘っ子じゃった」
「神様相手にですか?」
「わしの尾もよく玩具にされたもんじゃ」
聞けば小さい頃の私は炎の神様がお気に入りだったらしく、よく彼の尻尾や耳やらを触りまくっていたらしい。我がことながら怖いもの知らずすぎやしないか。
どうやら小さい時の私には神様の姿が見えていたらしい。
「お前は危なっかしくてのう。ちっと目を離せばすぐ攫われかけるわ、食われかけるわ。わしもあいつも手を焼いたもんじゃ」
「そ、そんな犯罪に?」
「人間じゃのうて、妖怪じゃ」
妖怪。猿神も確かにこの血は格別にうまいみたいなことを言っていたけれど、何がそんなに惹きつけるのか。ひょっとしたら私は妖怪ホイホイだったりするのかもしれない。
首をかしげる私を神様はじっと見ると、上に向けて煙を噴き出す。夕焼け模様で止まった空に、煙が白く透けて見えなくなっていく。
「お前は昔から妖怪にも神にも好かれる奴じゃったよ」
「……それはやっぱり、体質的なことでですか?」
猿神は巫女の血が格別と言っていたように、もし本当に私が巫女の関係者であるなら、妖怪が血や肉を手に入れようと考えていてもおかしくない。そう考えるとあまりの血なまぐささにぞっとする。好かれると言ってもその好意はきっと食べ物に向けられる物と変わりないんだろう。
血の気が引くのを感じながら、乾いた笑いを上げると炎の神様はちらっと私に目をやった。
「…………それもあるかもしれんがの」
小さな声で呟かれた言葉を聞き返す前に、彼は「さあ続きじゃ!」と言い始め、結局何を言ったのか分からずじまいだ。
ただその一言を言う瞬間だけ、オレンジの目にとろりと熱がこもったように見えた。
※※※
足ががくがくだ。曲げた姿勢による負荷と、姿勢のキープ。あまりしないポーズで大分無理がかかっていたらしい。腹筋も痛い。ずっと意識して深呼吸を繰り返していたせいだろうか。このまま続ければくびれができそうだ。
今回の分はこれで終わり、そう告げられ私はしばらくその場で呆然としていた。ただ姿勢の保持と呼吸だけだったのにやけに疲れた気がする。
そのままゆっくりと体を起こす。筋肉痛がもうすぐそこまで来ていそうだ。もう戻って早く休んだ方がいいだろう。そう思い店に戻ろうと裏庭から角を曲がったところで話し声が聞こえた。
「――前、僕が――――どうしてやったのか、――分かって」
「――――しいのう、―――あいつが―――――」
神様同士の言い争い、っぽい。進んでいた足を止めて角に身をひそめる。ほら、こういう時鉢合わせするとなんか気まずいし。こんな場合はひっそりと立ち去るに限るのだ。
私がこっそり足音を立てずに後ろに下がった。その時水の神様が怒声を響かせる。
「いい加減にしろ! お前だって分かってただろう?」
「ああ、しかしな、貴様がここまで勝手をする阿呆とは思っとらんかったわ」
「……何も知らないくせに」
「知らんよ。そこまで馬鹿をする理由もな」
炎の神様ただ揺れない火のように、静かに目の前の神様を見つめていた。水の神様は怒りが収まらないという風に狼に掴みかかっている。
「力が戻ったら、あの子がまた危険に晒されるかもしれないんだぞ⁈」
「あいつに細工したのはやはり貴様じゃったか」
危険? 細工? どういうことなんだろう。会話の内容への好奇心が戻ろうとしていた足を止めた。
「一度はユキの力を封じたんじゃろう。ならどうして放っておいてやらない」
「……あの子が来なくて大騒ぎしたくせに」
「やっ、やかましい! わしは不思議なんじゃ。なんでわざわざ遠ざける真似をしておいて、今になってあいつを引き込む?」
その幸せっちゅうんは、人の道を外させてまで欲しい物なのか。そう続ける声を聞いて、内容が私によることだと分かった。水の神様が、私の力を封じた?
「あの子の巫女の力は強すぎるんだ。ああでもしなきゃ、いつかあの子は力に殺される」
「だから、記憶も力もひっくるめて封じたと?」
「……一度は現世に任せたけれど、それを裏切ったのはあいつらだから」
気づけばそろりと息をひそめて、その場から立ち去っていた。新たに詰め込まれた事実と、水の神様の恨みのこもった声が頭にずっとこびりついて離れない。
私は、何を忘れているんだろう。その答えを私はまだ知る術を持たない。
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