第六話 一人で飛び込んではいけません

、ちょっと表の掃除を頼めるかい」

「はい!」


 店に並ぶ品物一つ一つを丁寧に磨いている最中、ツクモさんの声に顔を上げた。始めに比べると履きなれたショートブーツに足を入れる。始めは手間取っていた着物も、ようやく湯飲みちゃんの手伝いなく着れるようになった。どちらもツクモさんが隠世で悪目立ちしないようにと揃えてくれたのだ。


 ここで過ごし始めてから数日、私の体は思うより早くこの生活に順応していた。


「すまないね、あんたはお客様だってのにこんなことまで」

「いえ、私がやりたいだけなので。集会ですか?」

「ああ。最近妖連中が何かと騒がしくてさ」


 私はあれからツクモさんの家に置いてもらう代わりに、店のお手伝いをさせてもらっている。本当に店の掃除とか品物並べとか簡単な作業ばかりで申し訳なくなるのだが、彼が「仕事が丁寧で助かるよ」とか「ありがとう」と言ってくれるので、つい嬉しくなってしまう。


 遅いとろいと言われることはあっても、丁寧と言われたのは初めてだ。ここで褒められたことを思い出すだけでこれから一生頑張れそう。自己肯定感が爆上がりである。


「店は茶碗のやつに任せてあるし、出かけても構わないから」

「分かりました! お店はピカピカにしておきますね!」

「……たまには遊びに行けばいいのに。あんただって遊びたい盛りだろう?」

「え、あっ、お気遣いありがとうございます。でも、お店の仕事楽しくて」

「全く、どこぞの神に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいね」


 ユキ、と言うのはここでのあだ名だ。ユキノだからユキ、なんて単純だろうかと思ったがあだ名って基本こんなものだ。それにロボ子よりはいい。

 

「真面目なのはあんたの美徳だけど、たまには羽根を伸ばすこと。いいね」


 ただ、ごまかしの呪いがかけてあるがもしものことを考えてあまり遠くには行かないように。そう言ってツクモさんは出かける支度を整え終え、出かけていった。


 よし、とりあえず店の品物を磨いていこう。そう意気込み、私は一番手前の木彫りの熊を手に取った。


※※※


「………終わっちゃった」


 一心不乱に磨き続けて体感数時間。店の中の品物は気づけばピカピカになっていた。まだ掃除できるところがないかと見て回ってみるが棚の隅から店の前の石畳の隙間にも埃一つ残ってない。それでも何かできることはないかと店の中を三週したところで、見かねた茶碗さんが声をかけてきた。


「お嬢、気分転換に外に行って来たらどうですか?」

「え、でもまだやれることがあるかもしれないですし」

「お嬢のおかげで店の中は埃一つありませんし……」


 茶碗さんは呼び名の通り頭が茶碗の付喪神だ。ちょっと気が弱いけどしっかり者で、基本留守の間店を任されている。


 店用の紺の羽織を着た彼は言った。


「ツクモの兄貴も言ってたでしょう。お嬢は頑張りすぎなんですよ」

「うーん、でも本当に無理とかはしていないんですけど」

「いくらお嬢が真面目でも根の詰めすぎはよくありません。どうでしょう、息抜きにそこいらを散歩でもするのは」


 店は自分が見ているので、という提案に確かにここにいてもやれることはなさそうだと感じる。彼の言う通り無理をしすぎることは迷惑にもなるだろう。


「じゃあ、お言葉に甘えて少し散歩してきます」

「伴はどうしますか?」

「大丈夫です。ちょっと散歩したらすぐ戻ります」

「分かりました、お気をつけて」


 少し歩いたら体もほぐれるだろうし、少し歩いてから帰ってこよう。そう思いながら私は店の外へと踏み出した。


※※※


 隠世の空は変わらない。基本ずっと夕焼けだ。だから時間の感覚が良く分からない。起きて、疲れたら寝て。とりあえずそれを一日と換算している。今日はここに来て丁度一週間だ。


 薄明るい茜色の中をぶらぶらと歩く。相変わらずの縁日には見目の違う神様や妖怪たちが談笑している。水の神様はまだ私に教えてくれない。たまにやってきては「結婚」と言ってツクモさんや茶碗さんに追い払われている。炎の神様と言えば。


「あ」

「…………ん」


 たまにこうして遠くから見ていることがある。見ているのは本当に一瞬ですぐに見えなくなってしまうが、外に出た日は必ず目が合う気がしている。


 今も雑踏の中に朱の尻尾が見え、すぐに紛れていったところだ。まるで監視のようなのに、それでも嫌な感じがしないのは私を見る眼差しが妙に安心しているように見えるからか。


 ちらりと見えた尾の先を無意識に目で追っていると元気のいい声が意識を呼び戻した。そちらを向けばいたずらっ子の一つ目がにまりと笑う。


「よ! ねえちゃん」

「あ、ヒトメ君」


 一つ目小僧のヒトメ君だ。元気があっていたずらっ子。機転の利く賢い子でもあり、彼の周囲はこの子のいたずらに手を焼いているようだ。私がここに来てから何かと仲良くしてもらっていて、おかげでここら辺の地理には大分詳しくなった。


 私の腹ほどまでの背丈から見上げるように、三角の菅笠から大きな目が覗いていた。ふと、その姿に違和感を覚える。何か服装でも変わっただろうか。


「どうしたんだよ。道の真ん中でぼーっとしちゃ危ないぜ」

「……ううん。なんでもないよ」


 視線を戻した時にはもう炎の神様の姿は見えなくなっていた。なんでもないと言えば彼は訝し気に首をかしげていたが、突如「そうだ」と声を上げる。

 

「な、ロクのこと見てない?」

「ロクちゃん? 店にも来てないけど」

「あいつ、ずっと来ないんだ。いっぺん休んだらまた遊ぼうって約束したのに」


 ロクちゃんはしっかり者のろくろ首の女の子のことだ。生真面目だからよ喧嘩もしているけれど、この二人は仲が良い。遊んでいない時を見ないのはないほどだ。


 なるほど、違和感の正体は彼が一人のせいか。


「あいつ、前にやった蜘蛛のおもちゃのいたずらまだ怒ってんのかな……」

「でもロクちゃんって真面目だから約束をすっぽかす子じゃないよね」


 ここでの「いっぺん休んで」はいわゆる「また明日」のような意味がある。夜も朝もない隠世で、明確に休む必要のない妖怪だからこそでる約束の仕方だ。


 私はまだ彼らと少ししか過ごしていないが、それでもあの女の子が腹を立てただけで、約束を反故にするようには思えなかった。


「だ、だよな。ロクのやつだったら真正面から殴りこんできそうだし」

「でも心配だよね。親御さんに話してみた?」

「……とうちゃんもかあちゃんも『まあ大丈夫だろう』って」

「うーん放任主義」


 確かに人と妖怪じゃそこら辺の価値観は違う物かもしれない。けれどヒトメ君は落ち着かない様子で「嫌な予感がするんだ」と続けた。


「な、ねえちゃん。俺と一緒にロクを」

「駄目だよ。妖怪なんて何考えてるか分からないんだから」


 さあっと涼しい風が吹き抜けた。その途端ヒトメ君の目が「げっ」と言いたげに歪む。ああ、大変面倒なタイミングで厄介なのが来てしまった……。

 

「油断したところをがぶりといくかもしれないし、言葉巧みに不利な取引を持ち掛けてくるかもだしね」

「前から言ってるけどさ、俺はそんなことしねえよ! てか今時そんな古典的やり方してる奴いないって!」

「どうだかな。お前らは平然と嘘をつく」


 ひんやりとした手が思いのほか力強く私を抱き寄せる。彼は私の顔を覗き込んで、薄い唇に弧を描いた。相変わらず彫刻のような神様だ。整いすぎていて現実感がない。


 水の神様は完璧な微笑みを浮かべながら私をヒトメ君から引き離した。その衝撃で絹のような髪がさらりと音を立てて揺れる。


「とにかくこの子は渡せない。労働力が欲しけりゃ他を当たれよ」

「神様ちょっと、ヒトメ君は困ってるんですよ。何もそんな言い方」

「あーいいよ、俺気にしてないし。そんな心狭男と違って、俺は広い心の持ち主だから」


 しっしと動物でも追い払うかのような態度にさすがに口を挟むが、言われている本人はけろりとしたものだった。それどころか神様に向かって煽り返せるのだからなかなかどうして肝が据わっている。


 その様子に水の神様が顔を顰める。何故か彼は妖怪が嫌いで、私が妖怪と交流することを酷く嫌がるのだ。正直良くしてもらっている立場なので放っておいてほしいのだが。


「お前たちに心なんてあるのか?」

「相変わらず頭の固いにいちゃんだなぁ。ま、いいや。ねえちゃんもしロク見かけたら俺が探したって言っといて!」


 畳みかけるな失礼発言。しかし結構な暴言に腹を立てることもなく、あきれた様子でヒトメ君は離れていった。途端に神様の機嫌が急上昇する。


「さ、邪魔者はいなくなったから僕と散歩でもどう?」

「……いいですけど」


 ちなみに勇気を出して断ったら子どものように駄々をこねられガチ泣きされたので、基本は了承しておくのが正解だ。


 腰を抱かれるようにして縁日を歩く。エスコートは慣れたものなのか、すこぶる歩きやすいのが少し腹立たしかった。


「ところで僕と暮らす案はどう? 考えてくれた?」

「……あそこから離れたくないので、今はちょっと」

「うーん、もっと僕の家を住みやすくする必要があるかな」

「聞いてます? 聞く気あります?」

「だって君を幸せにするための家だ。とびきりいいのでなくてはね」


 聞いてないし。相変わらずこの神様は猪突猛進で人の話を聞かないし、まだ私を「幸せ」にすることに固執している。

 

「どうして私を神隠ししたんですか」

「言っただろう。あそこだと君は幸せになれない」

「なんで私の幸せにこだわるんですか。過去の理由にあなたが―――」

 

 関係しているからですか。そう聞くと彼はなめらかな口を閉じる。ツクモさんが話してくれた。「あの子がああなったのは僕のせい」と水の神様はが言っていたこと。


「教えてくれませんか。私の、覚えていない過去に何があったのか」

「……………………ごめん」


 私の過去に何があって、彼がどう影響して今に至るのか。水の神様は結局話してはくれない。続くのは絞り出すような謝罪だった。


「僕、は。まだ言えない。まだ、こわい、から」


 嫌われたくない、彼はそう言っていたらしい。体は大きく立派な神様に見えるのに、こればかりはまるで子どもだった。震えるような声を聞いてしまうと、私はいつも追及ができなくなる。


「でも、これだけは信じてほしい。僕は、本当に君の幸せを願っているんだ」

「……分かりました」


 その言葉に細い肩が揺れる。私は奥まで続いている屋台の一つを指さし、こう続けた。


「じゃあ、私の幸せのためにさっそくあそこのおもちゃでも買ってきてもらえます?」

「! も、もちろん。お安い御用さ!」


 途端にパッと顔色が良くなるのだから単純と言うかなんというか。私は私で受け流し能力が上がっている気がするし。あっという間におもちゃの屋台へと駆けていく背を見送りながらやれやれと肩を下す。


 これが終わったらもう店に帰ろう。そう思っていた時だった。


「………おねえさん」

「え、ロクちゃん?」


 赤い花柄の可愛い着物。おでこを出すように後ろでくくられた髪の毛。間違いない、ロクちゃんだ。


「どうしたの、ヒトメ君が探してたよ」

「………あたし、ヒトメに酷いこと言っちゃったから」

「喧嘩したの?」


 こくん、と頷く。聞けば仲直りをするために花を摘みに行くのだと言う。どこへと聞けば彼女の指が先の見えない森へとまっすぐ向いた。


「あそこに? でも一人は危ないし、私と……あ、連れの神様と一緒にいこう。ね?」

「……いや。すぐいかないと」


 さっと私の手からすり抜けたかと思えば、ロクちゃんは一目散に森の方向へ走り出していた。手を伸ばすももう遅い。彼女はあっという間に森に入ってしまった。


 どうしよう、神様を待つ? けど待っていたらきっと彼女を見失ってしまう。それに彼は妖怪が嫌いだ。取り合ってくれないかもしれない。


 脳裏にヒトメ君の心配そうな顔が浮かび、意を決する。


「待ってロクちゃん!」


 私は彼女を追いかけて深い森へと走った。


※※※

 

「ロクちゃん、ロクちゃんどこ?」


 森は思ったよりも暗い。空を木が覆い、光が差さないのだ。がさがさと草むらをかき分けながらも懸命に進む。


 途中暗闇で何かが動いたような気配にビビりながらも「いまさらお化けくらいでなんだ」と自分を奮い立たせた。暗闇は苦手だが、まだ木漏れ日程度の光は指しているので何とか歩くことができる。


 と、その時。視界の端に赤く動くものをとらえる。確か、ロクちゃんの着物も赤い花柄だった。


「そこにいたんだ。もう、帰ろう。どうしても欲しかったら神様とかと一緒に」


 捕まえた。しかしそれは力なくだらんと地面に垂れる。


 私が掴んだのは、ただの切れ端だった。通り抜ける時にでも引っ掛けたのだろうか、そう思った時ふと気づく。


 手の中には無理やり引きちぎられたような、彼女の袖。引っかかっているのは頼りない細枝で、着物の生地は少し引っ掛けた程度では破れることはないだろう。もちろんロクちゃんにそんな力はない。なら、そこから導き出されるのは。


 


 嫌な予感がする。そう思った瞬間に冷や汗が額から落ちていく。けれどもっと悪いことに悪いことは重なるもので。


「い、ただき、まァす‼」

「―――――――――あ」


 後ろを向けば、ロクちゃんが大きく口を開けていた。

 

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