第五話 結婚するべきなんですか?

 ツクモさんの店に戻ろうとしたら中から成人男性が大泣きする声とでかいため息が聞こえてきてドアを開けようとした手を止めた。私が席を外した数分で何があったと言うのか。


 こんなカオスな空間に入るのは正直ためらわれたが、ツクモさんの仲間っぽいお茶碗やコップの人たちが「どうにかしてくれ」の視線をちらちら送ってくるし、このままここで立っているというのも失礼な気がする。


 よし、あと二回深呼吸したら入ろう。そう思い大きく息を吸った時、私より早く後ろから伸びてきた手が引き戸を掴む。驚いて後ろを向けば巨体がぬうっと壁のように立っていた。


「なにちんたらしとる。とっとと入ればええじゃろ」

「え、神様も入るんですか」

「何か悪いんか」

「いえ! ただ水の神様と仲悪いと思ってたので、ちょっと意外で」


 ついてきていたらしい炎の神様は私の問いに鼻を鳴らす。尖った耳がぴぴっと揺れるのが可愛いと思ったがきっと言わない方がいいのだろう。


「あの気取り野郎がふん縛られてるって聞いてのう」

「なるほど茶化しにきたと」


 少なくとも水の神様を助けに来たとか慰めに来たとかそういのではないらしい。機嫌のいいにやにや笑いで鋭い牙を見せながら、炎の神様は戸をあけ放つ。


 その一瞬であった。


「ぐはははっ‼ 無様じゃの、水――――――ぐぇっ⁈」

「………うるさいんだよ獣が」


 あっという間に私の後ろへ吹っ飛んでいく狼と、不機嫌そうに顔を覗かせる男。何か白くて長いものが猛スピードで炎の神様のみぞおちに突っ込んでいった気がするが、目を瞬かせたときにはもう神様が顔を見せているだけだった。


「ったく、癪に障るんだよな全く………あ」

「い、今戻りました」


 がしがしと雑に長髪を掻きむしりながら、細い目が鋭く相手を睨みつけていた。が、目の周りがさっきより赤く見えるのはひょっとして。


「目、冷やした方がいいですよ」

「――――――」


 泣いてこすった目と言うのは腫れて痛くなるから、という親切心からの指摘だった。だが、著しくデリカシーを欠いた発言でもあった。それに気づくのは彼がぱくぱくと口を開いている表情を見てから。「あ、やばい」と思った時には大体のことは手遅れだ。顔を真っ赤にした神様が狼に掴みかかる。


「――――なんでお前が開けてんだこのクソ馬鹿雑狼‼」

「……おうおう、びいびい泣いとったの! あ? 目は冷やさんでいいんか、水の神君?」

「うるせー‼馬鹿! ばぁーか‼」


 炎の神様は炎の神様でピンピンしているし、なん大乱闘になら相手を煽っているし。大乱闘になるのは必然と言うべきか。


 しかし勢いはあるが、ツクモさんに絞られたのが効いているのか周囲の物を壊すレベルまでは至らない。私は早くも「お、喧嘩か」になりつつある。まあこの二人が向き合えばこうなるだろうな、くらい。


 その後なかなか終わらない喧嘩は、またしてもツクモさんによる「迷惑でしょうが」という注意という名の鎮圧作業により、二人の取っ組み合いは終わったのだった。


「いやあ、お見苦しいものをお見せしてすみません」


 そうさらりと言ってのける彼は、きっとこの世界で一番敵に回してはいけない神様なんだろう。


※※※


「と、いうわけなんですけどね」

「……そんなやばいことしてたんですか?」


 無事店の中に入ることができた私はツクモさんから事のあらましを聞いていた。内容は主に彼がさっき聞きだしたことで、そこで私は初めて「神隠し」がやばいものだと言うことを聞いたのである。


 が、当の本人はさっきから落ち込んでいる。部屋の隅に三角座りで時折「もう駄目だ、嫌われる」という声が聞こえてきた。


「あの、それで私はどうすれば」

「お嬢さんはどうしたいですか?」


 帰りたいなら手筈を探すから安心してくれていい、と言うツクモさん。「いやだ」と言う水の神を狼がチョップで黙らせていた。


 考えてみる、私はどうしたいのか。

 

「………あの、正直なこと言っていいですか」

「ええ、どうぞ」

「分からない、です」

「……分からないとは?」

「帰りたいのか、それともここにいるべきなのか」

「寂しいからとか、ご両親に心配をかけるから、とかそういうのは?」


 分からない。私は帰りたいと思っているんだろうか。さびしいとか、恋しいとか、思っているんだろうか。


「別にいても感じなので、大丈夫です」


 そう言うとかちり、と時計の針が止まる音がする。まあ事実だ。私がいなくても家族の生活は回るだろうし、学校もそうだろう。一席空いたスペースが誰かの椅子になるだけで。

 

「だから、ツクモさんとか他の方が面倒じゃない方でお願いします」

「……無理に連れてこられたのはあなたなのに、決定権を渡すと?」

「まあ、かなって」


 確かに連れてこられて困っていたのは事実だが、騒いでどうなるわけでもないし。ここに来たのはそういう運の巡りあわせなんだと思えばいい。自分で何をしても帰れなそうだし、ならお世話になっている人の迷惑にならないようにするべきだ。


 そこまで言って辺りがしんとしていることに気づく。あれ、なんかまずいこと言ったかな。ひょっとして「こいつここに居座る気かよとっとと帰れよな」的に思われている? いや確かに見知らぬ人間が家に上がり込んできたらそれは嫌だよな。


「お邪魔でしたらほんと帰れるようになったらすぐに帰るので! いるのが駄目でしたら自分でどっかこっか探して大人しくしとくので何卒」

「………これは思ったより根気がいりそうだね」

「え? なにか」

「いいえ。そうですね、でしたら一つ、あたしのお願いを聞いてはくれませんか」

「お願い、ですか?」

「ええ。そこの馬鹿のことです」


 ぴっと黒手袋の指が水の神様を指す。彼はと言えば私の一挙一動をじっと見つめていた。


「先ほども申し上げた通り、お嬢さんはこいつから何かされてる可能性がある。多分、というか十中八九こいつが『幸せ』に執着しているのはそれが原因でしょう」

「え、それって私が二人の神様の名前知ってるっぽいのにも関係あったりします?」

「……ほう、それはまた後で詳しく聞くとして」


 今の話でガラス面がぎらりと光った気がする。ごめん神様たち。余計なこと言ったかも。


「お願いっていうのは、あいつが自分からやったことを言えるまで待っててくれないかってことです」

「待つ、ですか?」

「お嬢さん自身がどうしたいか、それが決まるまでで構いません。本当は待つ待たないの前にあいつが言やぁ済むんですけどね。いつまでもぐじぐじうるさくて」

「それは別に、構いませんけど」

 

 ここにいる間はちゃんと住める場所を提供するし、断っても追い出したりしませんから、とツクモさんは付け加える。「何勝手なことしてんだよ」と水の神様が口をはさんだが、「お黙んなさい」の一言でぴしゃりと跳ねのけられている。


 特にどうしたいかも決まっていないし、私でもできそうなことだ。迷惑をかけている立場なのだから、叶えられる範囲なら答えたい。けど、ひとつ分からないことがある。


「あの、聞いてもいいですか」

「はい。なんでしょう」

「どうしてこんなに良くしてくれるんですか」


 疑問だった。水の神様や炎の神様は過去に何かあったみたいなので百歩譲ってまあ分かる。けどツクモさんは私と本当に初対面みたいだ。そんな見ず知らずにの人間にどうして良くしてくれるのか。


 さっき炎の神様に会いに行く時だって、遠巻きに同じ付喪神の人が私を見守っていた。ひょっとしたら監視とか、そういう意味もあるのかもしれないが視線から嫌な感じはしなかったし。


「私、特にお役に立ててるわけでもありませんし。むしろお邪魔になってると思うんですけど」

「うーん、こういうのは損得とかそういうのじゃあないんですがね」


 あ、今笑ってる。ほんの少しの間だけ過ごしただけなのに、ツクモさんの感情表現が分かった気がした。驚いたり焦ってるときは早く回る。笑っている時はカチッコチッカチッ、と笑い声を表すようにリズムを刻むのだ。


 彼は笑いながら言った。


「そうですね、理由はまあ色々ありますけど。付喪神が人間が大事にした物から産まれるのはご存じです?」

「あ、はい。知ってます」

「成り立ちがそれですからね、基本付喪神は人が好きです。でもですね、あたしが気にかけているのはそればかりが理由じゃない」


 かち、かち、と穏やかな時計の音が聞こえる。これはどういう感情なんだろう、と耳を澄ます。


「あなたは物を大事にしてくれる人でしょう」

「え」

「だてに付喪神やってませんから。大事にされている物は近づけば分かります」


 そりゃ確かに私が持っている文房具からペンケースにいたるまで全部小学生の時からの物だし、物持ちはいい方だと思っていたけれど。


「物を大事にしている人間を蔑ろにするなんて、それこそ付喪神の名折れってもんです」


 それにね、とツクモさんは続けた。


「―――あなたがあんまりに素直で危うくて可愛いから、庇護したくなる」


 思わず「ひぇ」と声が出かけた。可愛いなんて初めて言われたし、今ハチャメチャに色気があったのだ。時計の色気ってなんだ。もうわけわからん。しかしツクモさんはぱっとさっきの雰囲気に戻ると明るく言った。


「ま! こんところですかね」

「ツクモ……色目使ってんじゃねえぞてめえ……」

「………ふん。天下の付喪神が小娘ごときに」

「おや、怖い怖い」


 地を這うような水の神様の声にもどこ吹く風。やはり彼は神様たちの中でもチ枚上手の存在のようだ。

 

「では色々決めないと、ですね。とりあえずお嬢さんの住居をどうするか……」

「あ、あのっ!」

「どうしました?」


 しばらく衝撃でぽやっとしてしまったが、まだ大事なことを聞けていなかった。それは神様と私がお互いの名前を知っているということ。私は忘れてしまっているが、どうやら本当の名前と言うのは結婚した相手や身内に伝えるものらしいし、そもそも神隠しが神様と人間と結婚するためにあるやつらしいし。ええとつまり何が言いたいかと言うと。


「神様と結婚するべきですか?」


 私個人としては「住民票を取るためにはこの手続きが必要ですか」くらいのノリだった。神隠しや名前のことを聞いているとやっぱり形式上はしないといけないのだろうかという疑問が湧いてきたので。


 しかし焦ってちょっと色々端折りすぎたらしい。


 この後「そうだよ! さあ結婚しよう!」私を連れて出ていこうとした水の神様を炎の神様が羽交い絞めにすることで止め、「神隠しされたからって同意もなしに結婚する必要はありませんよ、ええ。絶対に」とツクモさんから粛々と諭された。


 何と言うか、私はちょっと言葉に気を付けた方がいいかもしれない。また騒がしくなり始めた一室で、私はそのことをしかと胸に刻んだのだった。

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