第三話 知らない人からもらった物を食べてはいけません

 気づけばリビングにいた。目の前に親と、クラスメイト達がそろって並んでいるのを見て「あ、これ夢だ」と確信する。私と同じ制服を着た彼らが両親と一緒に横一列になっているというのはシュールな光景だ。


「お前さあ、こんな簡単なことも出来ないわけ」

「まったく……うちの子として恥ずかしいわ」


 両親の言動もだいぶマイルドだし、無意識化でいい感じに修正しているんだろう。それにしたってこの卒業アルバムみたいな並びはどうにかならなかったのか。


 やれやれと親が呆れている間にクラスの鈴木さんがにやにやとこちらを見る。夢の中でも身だしなみがばっちりだ。メイクがクレヨンの落書きになっているのは私に知識が不足しているからだろう。


 赤のリップがはみ出したピエロメイクで、鈴木さんは取り巻きと一緒に命令した。


「ちょっとロボ子。さっさと購買行ってくんない? 十分以内に焼きそばパン」

「あ、ロボ子このプリントもお願ぁい」

「怠いんだよねえ、ロボ子掃除」


 鏡を見ながらぐりぐりとクレヨンを顔に塗りたくる光景はホラー系の児童向けアニメだった。投げてよこされた百円を見て、やはり夢は都合がいいと感じる。彼女はお金を使わないし、取り巻きの子は「お願い」なんて頼み方はしない。


 ぐにゃりと地面が歪み、気づけば学校。ああ購買に行かなくちゃと足を動かす。人数分のパンと飲み物を買って、職員室に寄って。急がなければならないのに、それを妨げるように足が重くなる。これも夢特有だ。


 急がないと私はだから。


 その時、誰かが私の体を揺り動かした。浮遊感と明るくなる視界。目が覚めるのだと分かる。完全に目が覚める寸前、鼻先を畳の匂いがかすめていった。


※※※


「おはようございます」

「……おはようございます?」

「意識ははっきりしているようですね。よかったよかった」


 真上に木の天井。ここは一体と慌てて身を起こすと、自分が小さな畳敷きの部屋で横になっていたことが分かる。あの二人の姿が見えないと思っていたら、声の主が「あの馬鹿二人にはめちゃくちゃになった縁日の修理をさせているんです」と言ってのける。


 あの誰にも手が付けられないような神様たちを馬鹿と言い切ることに驚きながら、私はゆっくりと体を起こした。まだ目の前がぐらつくような感覚に額をおさえると、角の取れた声が心配そうに私に尋ねる。


「神気に充てられて倒れたんですよ、人間のお嬢さん」

「倒れた……?」

「あのアクが強い神に囲まれちゃあ仕方がないってもんです。体の御加減は?」

「えっと、はい。大丈夫です」

 

 この声の主が助けてくれたのだろうか。ワンテンポな時計の針と布が畳がこすれる音。「すみません、ありがとうございます」と振り返り、相手を見て思わず語尾が裏返った。


 紺の着物に灰色の羽織は時代劇にでも出てきそうな格好だ。表情を伺うことはできない。いや、と言った方が正しい。 


 首から上にあるのは間違いなく「時計」だった。


「驚かれたでしょう。すみませんね」

「い、いいえ。そんな」

「現世の方は見慣れないでしょう」


 飴色の木枠のついた、丸い掛け時計。本来首があるはずであろう箇所からは時計の針が動く音がする。


 顔を見て驚くのは失礼だろうと驚きを飲み込んだが、正直すごく驚いた。私がまだ気づいていないだけで、ここにはこういう神様たちがたくさんいるのかもしれない。そう思おう。その方が心が楽だ。


 時計の人は黒の手袋をはめた手をそっと畳につけ、私に軽く頭を下げた。


「あたしは付喪神つくもがみのツクモと呼ばれるもんです。ここで古物屋の店主をしております」

「あ、私は」

「おっと」


 丁寧な挨拶に慌てて姿勢を正す。付喪神。確か物を大事にしていたら、生まれる神様のことだっけ。となるとこの神様は時計の付喪神なのだろうか。こちらも頭を下げながら名前を言おうとする。が、それを遮るようにツクモさんの指が一本、時計の六の数字に当てられた。


「ここで本当の名は言ってはいけませんよ」

「え、でもあなたは……」

「いわゆるあだ名ってやつです。まあ他の神連中はなんちゃらの神、なんて呼ばせてますけどね、堅苦しくってしょうがないでしょう?」


 そう呼ばれているだけで本当の名前ではないのだとツクモさんは言った。どうして名前を言ってはいけないのか。首をかしげる私に彼は丁寧に教えてくれた。静かな部屋に秒針が時を刻む音がカチカチと響く。


「名前というのは魂そのもの。そのものを表し、力の根源を示す言葉です」

「あの、名前を知られるとなにか不味いんですか?」

「現世ではそうでもありませんがね、こと隠世に至っては重要です」


 ツクモさんが説明するには名前には力があり、それを明かすということは相手に魂をさらけ出すことと同義だという。


「魂を明かすということは、存在、力、命。これらすべてを好きにできると思った方がいい」

「名前が分かるだけでそんなに⁈」

「よくあるでしょう、お話でも名前を見破られて負ける怪物だとかね。だから本当の名前っていうのは家族や身内以外には明かさないもんなんです」

 

 名を知るはそのものを知ること、そのものを支配すること。だから気を付けた方がいいですよ、と彼は言う。


 なるほど名前には気を付けなければ。……あれ?


「どうかしましたか? 顔色がよろしくないような……」

「あ、あの、それ、私手遅れかも」

「はい?」


 さああっと血の気が引いていく。だってもう、私はここに来てから二度も名前を呼ばれている。


※※※


「はあ、はあ、なるほど。あのお二人に名前を」

「………はい」


 あの二人の神様が名前を知っていること、そしてどちらにも見覚えがないことを話すとツクモさんは腕を組んで考え込む。


「身に覚えがない、とおっしゃると言うことは覚えていらっしゃらないと?」

「はい。小さかったころみたいで、さっぱり。向こうは私のことを知ってるみたいなんですけど、訳が分からなくて」

「………すみません、その魂の感じからもあたしはお嬢さんが望んでここに来たもんだとばかり思っていたんですがね、ひょっとして」

「全然知らないです。水の神様が神隠ししたんだって聞きましたけどそれ以外は」


 私の言葉にツクモさんの長針が驚きを表すように一周回った。ここにいつの間にかいたということや、水の神様から告げられたことを話すと何故か深いため息とともに時計のガラス面を手で覆った。今の話に気に病むことでもあったのだろうか。


「つまりははされずに無理やり連れてこられた、と」

「……神隠しって同意取るもんなんですか?」


 正直帰り道の途中気づいたらここにいたので同意も何も聞かれてすらいないが。彼の反応からするに本当は取るべきものなんだろうか。


 私の返答から察したのかツクモさんがこれまでで一番長いため息をつき、すっと立ち上がった。すらりと伸びた姿勢のまま、彼は障子をあけ放つ。


「お前たち! そこの突っ走り独善大馬鹿蛇をとっ捕まえるんだ‼」


 びりびりとした怒声に驚いて後ずさる。あまりの剣幕にさっきと同一人物か一瞬疑うほどだった。ツクモさんの声に彼より一回り小さな、しかし彼と同類だと分かる茶碗や湯飲みを頭にした人たちがわらわらと集まってきた。その中の茶碗が声を張り上げる。


「で、ですがツクモの兄貴! あの神はとてもじゃないが俺たちじゃあ無理です!」

「店の『神封じの縄』を使え。抑え込めないのなら周囲の神に要請を。妖連中はいけないよ、あいつは何かと妖怪を毛嫌いしてるからね」

「へ、へいっ‼」

「人の道理どころか隠世の規律まで犯す阿呆だ! さあ行きな!」


 その一声で集団がぱっと散った。その様子を見届けた後、ツクモさんはさっきと同じ穏やかな声で深々と頭を下げてくる。


「申し訳ない。あいつがとんでもないことをしたようだ」

「あの、これってそんなに危ないことなんですか?」


 正直ここにきてから多少絡まれはしているものの、体調に変化はないしそこまで危ないとは感じられない。ツクモさんがどうして怒っているのかが分からなかった。素直にそう思ったことを聞けば彼は言いにくそうに時計の針を遅くする。


「その魂の感じから、もう隠世のものを口にしましたね」

「は、はい。焼きそばを貰って」

「あいつは話してないでしょう。食べたらどうなるのか」

 

 そう言われると食べていた時のやけににこやかな笑顔や、私に食べさせることに固執していた気がする。ツクモさんは「落ち着いて聞いてくださいね」と置いてから話し始めた。


「お嬢さんはをしたんです」

「よもつ……?」

「聞いたことありませんか。あの世のものを食べたら最後、二度と戻れないっつうあれですよ」


 確かにそれはどこかで見たことがあるような気がする。それを私がしたということは。ハッとなって口を押えるがもう後の祭りだ。


「隠世はあの世じゃないがあの世に近い。食い物にも影響は少なからず出るんですよ。特にお嬢さんみたいな人間には」

「じゃ、じゃあ今の私って」

「……ヨモツヘグイをするってことはですね、魂を隠世で生きていけるように変質させ、ってことなんですよ」

 

 つまり今の私は人間ではない、かもしれない。


 現実感のない言葉に思考が追いつかない。「知らない人からもらった物は食べちゃいけません」。その教えを今日ほど強く考えたことはない。食べたせいでとんでもないことになっているのだから。


 焼きそばに舌鼓を打っていた前の自分を恨めしく思いながら、私は改めて自分の身に起こっていることを痛感したのだった。

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