第二話 炎の獣神と水の神

 夜店の焼きそばと言うのはなぜこんなに美味しいのか。ややあぶらっぽいぽそぽそ麺に絡みつくこげ茶のソース。乱雑に切られたキャベツにところどころ塊になった肉。粗雑にも思える作り方。だがそれがいいのだ。


 夜に食べるせいなのか、それとも祭りマジックと言うやつか。とにかく祭りの焼きそばはうまい。


 屋台の間に備え付けられた腰掛けで一心不乱に焼きそばをすする。胃が食べ物に喜びすぎてちょっと痛かった。不審者、もとい知り合いらしいお兄さんは隣でずっと笑いながらこちらを見つめている。人が食べているのがそんなに面白いのだろうか。


「なんですか、じろじろと」

「……いや、さっきまで随分警戒してたのに、思い切りがいいなって」

んでしょう。なら割り切ったほうがいいじゃないですか」


 そういうとこは変わってないね、と自称神様が言う。紅しょうがのひとかけらまで箸でつまんでから、私は焼きそばのトレーから顔を上げた。


「つまり、ここはあの世でもないけど、現実でもない。その間にある隠世、という場所なんですね」

「まあ、そういうこと。ここは天上の『高天原たかまがはら』と『黄泉の国』のはざま。現世うつしよでなく、現世に最も近いところさ」


 私が連れてこられた隠世というこの場所では、その高天原とやらに行くことのないほどほどに偉い神様や、身を隠したい妖怪たちが生活しているのだという。目の前の祭りも神様たちが祭り好きと言うことで年中開催されているらしい。


「で、肝心なことをお聞きしますが」

「なあに?」


 この神様は不思議で、知らないのに全く嫌悪感を感じない。それどころか

心細さが消えるような安堵感がある。多分、昔に会ったことがあると言うのは本当なのかもしれない。


 ただ顔を覚えていない相手からとろけるような笑みを向けられると鳥肌が立った。


「なんで私をしたんですか」

「言ってるだろう。君にずっと幸せになってほしいから」


 話を聞く限り、この神様が私を連れてきた張本人らしい。神様が自分の住処に人間を連れていく、通称「神隠し」。そしてそれを私が幸せになるためだと彼は言い切るのだ。


「いやだから、それをどうしてって聞いているんですよ」

「君は現世じゃ幸せになれない。ならここで生きていけばいい」


 私たちの扱ってる言語が違う可能性が出てきた。どうしてここまで話を聞いてくれないのか。


 この神様ときたら一言目には「幸せになれないから幸せにしたい」そればかりだ。何故そのことに固執するのかとか、昔の私を知っているのかとか、そういう話がしたいのに一向に前に進まない。

 

「だからね、ここで生きていくためにね、いっぱい

「……食べる?」

「本気で嫌がったら流し込まなきゃいけなかったんだけど、よかったぁ」


 この神はやばい奴かもしれない。言葉は確かに優しいのにあまりにも強い意志を感じる。この神様は私が嫌だと言ったら本気で焼きそばを喉に流し込むかもしれない。


 どろりとした目が私を見る。金に濁った目に冷汗が流れた。危ないかもしれない。私は勧められるがままに食べたけど、それはとんでもないことをしたのかもしれない。


 考えて考えて、しかしふっと力が抜ける。ああ、まあ。仕方がない。この人は神様らしいし、食べたものは戻らない。だから、仕方ない。彼の言葉にそうですか、と適当な返事を返した時だった。


「何じゃ、水の。そのちっこいもんは」


 ぬうっと黒い影が目の前にいた。見上げるような高さから見下ろされ、思わず体を竦ませた私を神様が背に庇った。

 

「やめろよデカブツ。怯えるだろう」

「わしの問いが聞こえなんだか。そいつはなんじゃと聞いておる」


 低く轟くような声。苦手だ。何もされていないのに隠れたくなる。神様の背から顔を出してこっそりと相手を見てみる。話の雰囲気からして知り合いだろうか。


 目に入るのは仕立ての良さそうな黒の生地で、赤のラインが入った粋な着物だ。帯が丁度目に入るから私の背は腹ほどくらいか。見上げるようにして顔を伺う。


 赤い髪、ではない。あれは、耳?


「相変わらず話を聞かないやつだな。その馬鹿みたいに声を張り上げるのをやめろって言ってるんだ」

「は、お前に話がどうこうなんぞ言われとうないわい」


 確かに私もこの神様は話を聞かない方だと思う、ではなく。二人の険悪な空気を他所に、その耳のラインが目から離れない。ピンと尖った三角の耳に、朱色の艶やかな毛並み。極めつけにゆらゆらと揺れる尻尾。


 間違いない。


「わ、……わんちゃん」

「あ゛⁈」

「――っく、ぷ、くくく……」


 感動のあまり出た言葉にオレンジの双眸がぎらりとこちらを向いた。正直怖い。が、それを好奇心と動物愛が上回った。


 だってワンちゃんだ。こんなにおっきな、二足歩行の! 毛並みはふかふかで、大きな手足には鋭い爪が生えている。こちらを見て威嚇するかのように歯をむき出す姿も野性味があっていい!


「わ、わんちゃん……。くく、おいよかったな、可愛く呼んでもらえてさ」

「いつまでも笑うなこのアホンダラ!」

「でっかい……もふもふ」

「お前もじゃ、ええ加減にせんか! わしは狼じゃ!」

 

 獣の濡れた黒い鼻先がずずいっと突き付けられる。瞳孔を糸のように細めながら犬、もとい狼がぐるると唸り声を上げた。


「神に対して躾のなっとらん小娘じゃ。いったいどこの小物………あ?」

「な、なんでしょうか」

「――――?」


 すんすん、と私を見定めるように鼻が動く。その目が一度大きく見開かれ、私の名前を呼んだかと思えば、歪んだ。しかし表情の理由を問う前に、視界がぐっと上に持ち上げられる。喉の酸素がひゅうと口から絞り出された。


「いっ…………⁉」


 つま先が地面につかない。喉を掴む腕は私なんかが叩いても丸太のようでびくともしなかった。片腕で軽々と持ち上げながら、狼は私を睨みつける。さっきと同じ相手だとは思えない程の視線。喉が焼けるように熱かった。


 殺される。眼だけでそう思った。


「―――この、がっ……! 何を今さらのこのこと!」


 酸欠で視界がぼんやりと霞む。言っている内容はさっぱり覚えがなくて、この神様たちは揃いも揃って私を誰かと勘違いしているんじゃなかろうか。


 死ぬかもしれないのに、我ながらのんきなものだ。痛くて苦しくてたまらないのに最期まで他人事のようだった。一枚膜を張った向こう側の出来事。そう考えて生きることが今までずっと楽だったから。


「あ、……まあ、いい、か」

「――――お前」


 視界が暗くなっていく。酸欠で頭がおかしくなったのか、消えていく目の中で驚いた獣の顔に見覚えがあるような気がした。


 体からだらりと力を抜く。抵抗しても苦しいのが続くだけだ。すうっと冷えていく体を感じながら、最後の空気を吐いた時。


「気安く触るな野良犬が」


 ひりつくような乾いた空気を冷たい風が攫っていった。通りの良くなった喉を冷えた空気が通り抜けていく。水の神様が助けてくれたのか、私は彼に抱えられていた。凍てつくような声は、助けられているはずなのに聞いているだけで冷汗が止まらない。ぎらついた冬の満月が怒りを込めて狼を見据えていた。


「これだから炎ってやつは。短気で粗暴。おまけに手も早い」

「よこせ。裏切者には制裁が必要じゃ」

「お前みたいな妖怪崩れ、この子は覚えちゃいないよ」

「……何?」


 神様の言葉にピクリと狼のひげが跳ねる。その目は私と神様を交互に見つめた後、何かに気づいたように叫ぶ。


「待て、なんで人間がここにいるんじゃ」

「今さら気づいたのか。まあ、だって現世なんかにこの子を任せておけないからさ」

「まさか貴様こいつを―――気か⁈」

「この子はここで幸せになるんだ」


 まだぐらつく視界の中、腰掛に横たわったまま二人を見る。嵐の前触れのような空気が今にも弾けそうだ。しかしそれに負けることなく獣の咆哮が大気を震わせる。祭りの騒ぎは最早遠く、誰もが被害を受けないように遠巻きにこちらを伺っていた。


「その魂の色、もう混ぜたか。……道理を違えてまでそいつを縛り付ける気かっ!」

「―――何も知らない犬っころが」


 獣の爪が空気を切り裂き、それをあざ笑うように変幻自在に水が姿を変えてすり抜ける。まるで怪獣大戦の有様だ。多分、いやきっと二人がこうなってる原因は私にあるんだろう。心当たりは相変わらず全くないが。


 人生に一度とあるか分からない機会。「やめて! 私のために争わないで!」くらいのテンプレートはなぞっておくべきか。


 あまりに現実離れした光景に頭は勝手に現実逃避を始め、口は薄ら笑いを浮かべることしかできない。暴れまわる二人を遠い目で見ながら、私は段々と意識の遠のきを感じていた。

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