諦めたがりの私が神様たちに溺愛されて?

きぬもめん

第一話 隠世にようこそ

「ここは隠世かくりよ

「かくり、よ?」


 何を言っているのか分からない。地名か、何かか。頭を捻る私に、涼やかな声が畳み掛ける。


「ようこそ。の掃き溜めへ」


 神々。御伽噺のような雰囲気が口の中で転がった。信じられない、だが現実であると、浮世離れした風景が証明のように広がっていた。


 私はどうして、ここに来たのか。


※※※


 世界はいくつもの「仕方がない」でできている。お弁当を忘れたのも、面倒な委員が回ってくるのも、友達がいないことも仕方がない。そういう星の元生まれたとでも思えばいい。そう思えば「まあしょうがない」でやり過ごせる。


 だから学校からの帰り道、何故か縁日のど真ん中に佇んでいたってそれはきっと仕方がない、と思い込もうとした。しかしそんなわけはない。いつも通りの現実逃避は何の役にも立たなかった。


 目の前にずらっと並ぶのは古めかしい屋台。りんご飴やらカステラやらが甘い匂いがさっきから胃を刺激してやまない。


 アスファルトは歴史を感じさせる石畳へと姿を変え、威圧するように高い白の新築マンションは私の背丈ほどの屋台に。鉄筋コンクリート造りとは程遠い木造建築が屋台の後ろをまばらに覆っていた。薄明るい空は仄暗いオレンジに、非現実さを加速させる火の揺れる提灯。

 

 落ち着け、冷静になるんだ。

 

 あまりの衝撃に気が遠くなりかけるのをぐっと堪え、頭の中を整理する。まず第一に記憶が混濁していないかどうか。


 名前はユキノ。十七で、女子高校生。確か高校から帰る途中だった。


 少しばかり頼まれた仕事を片付けて、それで遅くなった。怒られるから急いで帰ろうと夕日の出ている方へ走ったのだ。曇り続きの最近にしてはやけにきれいな空を見て、私は――。


 私は?


 そこだけがすっぽりと抜け落ちている。もしかしたらどうにか歩いているうちにここに来た可能性もあるが、道順だとか風景が思い出せない。この年になって迷子か。幼いころから迷子にはなりやすい方だったがまさかこんな本気の迷子を経験するなんて。


 ため息をつきながら祭りの出口を探す。こういうのは切り替えが大切なのだ。うじうじと泣いていても何も解決しない。そう言っていたのは母だったか。

 

 砂糖の焦げた甘い匂いを懐かしく感じる。嗅覚は記憶に最後まで残っているというが、そのせいなのか。昔もこんな匂いを嗅いだ。夜の浮ついた空気に迷子になって、遠巻きに眺められる中泣いていた。その時迎えに来たのは誰だったか。


 親かもしれない。もう考えられないことだけど。

 

 ※※※


 ちょっと歩いたことを後悔している。からだ。ソースの匂いは昼を忘れた胃へは途方もない暴力で、一刻も早く食べ物を入れろとちくちく痛む。この程度なら慣れているが、いかんせん不快だ。入れられる物なら入れてしまいたい。


 食べ物を買えばいいのだろうが手持ちがない。なら道を聞けばいい、と思うだろう。それが困ったことに誰にも聞けないのだ。


「すみません、道を」

「……へ?」

「お時間取らせてすみません。道を聞きたいんですが」

「な、なんだよお前ッ! 僕に死ねって言うのか⁉」

「は?」

「そりゃあお前は喉から手が出るほどうまそ――じゃあない! 僕だって命は惜しい。帰りたきゃそのややこしい術を解いてさっさと帰してもらいな!」


 帰りたいから聞いているんだが。


 誰に聞いても万事この調子でまともにしゃべってくれない。浴衣や着物が遠巻きに観察してくる。視線が痛い。教室で慣れていなかったら泣いてたかもしれない。顔が怖いのだろうか。皆怯えたように去っていくのでなるべく笑顔で話してみた。


「ひ、ひいいいっ⁉ たたた助けてくれぇっ!」


 なおのこと怖がらせるだけで終わった。


 何がそんなに怖いんだ。確かに吊り目だの無表情だの何考えてるか分からんだの気味悪いと言われる私だが、ここまで化け物扱いされるのは失礼ではないか。ぐにぐにと頬をつねるが痛いだけで夢から覚めることもない。


 道も分からず、足も痛い。盛大にぐぅとお腹が鳴ってがっくりと項垂れた。おまけにすごく空腹だ。どうしてこう悪いことは重なるのか。


 本日何度目かのため息をお腹の音と共についたその時。


「はい」

「へ?」

「空いてるんでしょ、お腹」

 

 いきなりずいっと差し出されたのは焼きそばのパック。お腹空きすぎてついに幻覚でも見え始めたのか。しかし幻覚にしてはあんまりにリアル。匂いも温かさもある。本物だ。


 正直反射でむしゃぶりつかなかった私を褒めたい。今の私にはこのソースがどの香水よりいい匂いだし、添えられた紅生姜が宝石の輝きに見えるのだ。しかし誰だろうか。こんな腹ペコ時に一番食べたいものを差し出してくれる救世主は。


 そろりと焼きそばパックから目を移せばにこにこと笑う人。反射的に後退りながらじっと伺う。


 線が細くて、でも私よりは背が高い。腰まで伸びた長くてツヤツヤの髪が深い青色をしている。細められた目が柔らかく笑顔を作り、こちらを見つめていた。


 青地に蓮の葉の模様がついた着物を上品に着こなしながら、私の前に立つとんでもない美形。かっこいいというより、完成された美術作品みたいな人だった。


「ほら、好きだっただろ? 肉とあげたま多めのやつ」

「なぜ初対面で焼きそばの好みを……?」

「―――細かいことは気にしない気にしない」


 私にこんな美術品のような知り合いはいない。ならやることは一つ。そっとスマホを構える。警察にかけるのは初めてだ。しかし私の思惑とは裏腹に電波が届かないという録音メッセージが耳に届く。ここは圏外らしい。


 どうするか。こういう時下手に刺激するのは逆効果だ。そっと目をそらしつつ、後ろに下がる。スマホを落ちないように通学バックに入れ、きっちりと閉めた。小遣いを貯めて買ったのだ。壊したくない。不信者は手馴れているのかこちらを警戒させないような声を作る。


「お腹が空いてるなら食べればいい。怒る奴なんかいないさ」

「知らない人からもらったものは食べちゃ駄目って言われているので」


 反射的に答えてしまってしまったと口を押えるが、言ってしまったことは戻らない。仕方ないがここは全力で走るしかないだろう。


 本気かと痛む胃を撫でながら腿に力を入れる。親の煙草の使いっぱしり、購買五分ダッシュで鍛えられた私の足はそんじょそこらの陸上部員よりよほど早い。最後に頼れるのは自分のみだ。


「……覚えてるんだ。いや、思い出してるのかな」


 不審者が支離滅裂なことを言うものだ。前も食べたいとか嫁にとか言ってたやつがいた、気がする。ぼやけてうまく思い出せない。


「僕のこと、ひょっとして不審者だと思ってる?」

「思ってますが?」

「……心外だな。僕をあんな連中と一緒にするなんて」


 駄目だ。返事をするな。分かっているはずなのに体が勝手に口を開く。閉じた心をこじ開けられるような不快感と、何故か泣きたくなるような懐かしさ。こんな人は知らない。不審者の言うことなんて聞いてはいけない。そのはずなのに。


「ならもう一度初めましてをしようか」


 私は、この人に


「……私は、あなたのことなんて知りません」

「いいんだ。忘れていても」


 会話が通じない。けど、うすら寒さすら感じ始めた私に、彼はとんでもないことを言う。


「ここは隠世かくりよ

「かくり、よ?」


 何を言っているのか分からない。地名か、何かか。頭を捻る私に、涼やかな声が畳み掛ける。


「ようこそ。神々と妖怪の掃き溜めへ。


 目が丸くなる。この人は、なんで私の名前を知っているんだ。


「僕は


 神、目の前の不審者が神様だって? 頭は混乱の嵐なのに、周囲の音は遠ざかったように静かだ。絡まる思考の中、染み入る水のように穏やかな声が私に言い聞かせる。


「できることなら、けれど」

 

 その言葉の意味すら聞き返せず、私は呆然と立ち尽くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る