第16話 白亜のティアラナ

「しかしあれだなー」



 藍色の空に向かって、俺はつぶやいた。



「結局人の字は、見つからなかったな」



 返答はなかった。俺が独りごちにつぶやいたからかもしれない。目を向けると、パミュはシュンとした顔で、うつむいていた。

 あ、いかん。

 我ながら、かなーりデリカシーのないことを言ったのでは……。


 

「あー、いやーその、心配すんな、パミュ。俺がいる」

「え……」

 


 パミュが振り返った。



「ティアラナでダメだったんだ。次は俺だろ? 俺が護ってやるさ。その人の字ってのが、なにを起こそうともな」



 パミュが無垢な瞳で見上げてくる。俺はその瞳に呑み込まれないよう、そっぽに目を向けて、改めて、口を開いた。



「お前の泣き声はその、ビービービービーうっせぇからよ。下手に見てるより、護ってやった方が楽そうだってことさ。それ以上深い意味はないけどな」

「う、うん……」



 パミュが箸でじゃがバターをいじくり回した。

 うつむくための、口実だったのかもしれない。

 俺もそういったことをよくするから、なんとなくそう思った。

 箸を容器に添えて置く。

 腰を折り曲げ、差し出してきた。



「じゃあこれ、対価、どうぞ」

「いらんわ」



 つっこむと、パミュが口元に手を持っていって、クスクスと笑う。

 こいつの笑い方は、表情こそ飾りっ気がないのに、声だけは、どこか育ちの良さを感じさせた。

 俺みたいな野良犬には、それだけで、光って見える。


 

「あのさー」



 パミュが残っていたじゃがバターを口に入れて、容器をゴミ箱に放った。

 孤を描くようにして、片足を踵につける。

 顔だけでなく、身体ごと、俺に向けてくる。

 背丈の低いパミュが俺を見ると、どうしたって上目遣いになる。

 そんな目で見上げられると、心を、下から上に、なで上げられたかのような気分に陥るのだった。




「一個聞いていい?」

「何だよ……あ」

「ビュウはさ……どうしてそんなに……」



 パミュがツインテールにした髪を、クルクルと回していた。

 顔が仄かに赤いのは、露天の明かりに照らされているからだろうか。

 可愛い。

 そう思わないわけでもなかった。

 しかし今は、それどころではなかった。

 何故なら……。

 俺は思わず、パミュのツインテールの髪、というか、ツインテールをいじっている、パミュの指先を、つかんだ。



「ふわ!! え? え?」

「いや、違う違う!! あれあれ!!」



 パミュが振り返る。

 パミュと俺の視線の先。

 露天の角の曲がり角。

 そこから半身を出すようにして、掌サイズの人の字が、立てかけられてあった。

 


「あ、人の字!!」



 やっぱりあれか!!

 俺たちの声に気がついたのか、人の字が慌てて逃げ出した。

 逃がすかよ!!

 


 俺は持っていたアイチカの実を高々と放り捨て、柏手を打った。

 


 そこかしこの水たまりから、水の柱が吹き上がった。悲鳴と驚嘆。水の柱の数と比例した。

 水を天上で一箇所に集め、地面に落とす。水は、弾け、集まり、縦に長く伸び上がった。

 

 先端に牙、後端に尾。孵化したように顕現したそれは、水の蛇を模していた。

 

 掌を地面につけた。地面の龍脈に魔力を走らせ、視界から消えた人の字の動きを追跡する。

 走る水蛇。人の字も懸命に逃げているが、水蛇の速さはその比じゃない。

 水蛇が一瞬にして人の字との間合いを詰め、弧を描くように飛びあがった。

 水蛇が牙を閃かせる。

 貫ける。

 そう確信した、その時。

 


 紫暗の双眸。見開かれた。視界に映ったわけじゃない。俺の心の中で、開かれていたのだ。俺の心だってのに、その支配権が、猛烈な速さで奪われていき――

 


 瞬間。

 


 水の蛇が、見えない障壁にぶち当たったかのように、バシャリと崩れた。



「バカな、思念介入だと!? この俺が?!」



 目蓋を開き、思わず声に出していた。

 放り捨てたアイチカが、地面の上を転がっていく。



「ティ、ティアラナさん!! それにペレさんも!!」



 パミュの声。その先には予想通りのティアラナと、その頭にもたれかかるように二の腕を置く獣人、フェルナンテがいた。二人共神服着用VERである。

 

 フェルナンテはマリオンしかり、美人が多いが、こいつも相当綺麗だった。整った目鼻立ちが、だらしない表情も絵にしてくれている。何を着ていても何をしていても美人は美人、ってやつだな。胸もパミュに負けず劣らずあった。背も俺と同じぐらいに高い。



「ねぇねぇ、あの子が噂のビュウきゅん? かわいいーじゃんー。ね? 食べていい? ラーナのかわりに」



 ペレの発言を片手で制し、ティアラナが悠然と足を運んでくる。カランコロンと、女性下駄が鳴り響く。下ろしたティアラナの指先からは魔力糸が伸びていて、その先に人の字が吊るされていた。



「お疲れ様、二人共」



 ねぎらいの言葉。同時に、吊るされていた人の字が、ゴムに引っ張られたように飛び上がる。ティアラナの魔力糸が、掌へと回帰していく。吊るされている人の字も同上である。掌へと下り立った人の字は、魔力糸によって雁字搦めにされ、それは刹那の内に、一個の鞠のようになった。



「おかげさまで、人の字が見つかったわ」


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