第5話 得たもの失ったもの
わけがわからん。
絶対に俺は悪くない、はずだ。
もしかして、俺を困らせようとしてやってるんじゃあるまいな?
女はいつでも、好きな時に泣けると聞いたことがあるぞ。
思って、青空を見て現実逃避していた俺は、現実(パミュ)へと視線を戻す。
「ひっく、えっく、ひっく……」
現実は非常である……。
いやマジで何なの、原因?
謝るから、それだけでも教えてくんね?
「……はぁ」
ため息ついでに突然だが、ここで一つおさらいさせてもらう。
『この世界の魔力とは、死者の情念である死念と、自分の感情、思念が混じり合ったものを指す』
『この論理は、魔力=感情という式が成立することを意味し、その論理が成立するならば、魔力を纏(まと)う=感情をさらけ出すという式もまた、成立するということになる』
『魔術師は、奇跡を起こせる術と引き換えに、自分の心の声を、声高らかに吹聴しているのと同義』
『それらの法則、式をねじ伏せるのが、魔術師としての格、技量というものであるのだが、見せぬように積み重ねた技量を突破するのもまた技量』
これが、この世界の魔術の原理の一つ。
ま、要するにだ。
俺がその気になれば、こいつが考えていることなんて丸わかりってことだ。
見鬼。
魔術師の技法の一つ。死念が思念を喰らう時の動きから、相手の思考を読み切る技法。本来の用途は魔力の流れを読む技法であり、魔術師の心を読むのはその派生技である。
パミュは一流の魔術師じゃない。見鬼を流す整纏(せいてん)はまず使えまい。仮に使えたとしても、魔術師歴八百年の俺の見鬼は、確実にパミュの整纏を射抜く。
メソメソと泣くパミュ。
俺はジッと見つめた。
『重要なのは、人の心を見透かすことではなく、人の心に寄り添うことではないでしょうか?』
『いいえ? ルビィ様が何となく知りたがっているような気がしたので、御提言させていただきました。
必要ないと思うようでしたら、この場で忘れてください』
女の声。
この世のものとは思えないほど、透き通っていた。
忘れらんねぇよと、俺は笑った。
エメラルドグリーンの海に、膝までつけた。
パミュと、人として、視線を合わせるためだ。
つっても、パミュの身長もそこまで低くなくて、こうすると、俺の方がやや下になるけど、まあこの場合は、この方が好都合かもしれん。
そして――
両手を合わせて、犬を模す。
それをパミュの顔近くまで持っていき――
「バウワウ!! バウワウ!!」
パミュがハッと面を上げた。
目尻にたまっていた涙が、エメラルドグリーンの海に、落ちた。
「やっと頭上げたか、お前は」
「……」
「何で泣いてるのかわかんねぇけど、辛いんだったら誰かに言えよ? 年頃の娘は、いつも笑ってなきゃいけないなんて、そんなルールはないんだからよ」
膝を上げた。腰に手をつける。黒のスラックスはビショビショになっていたが、別段どうこう思うことはない。
「いけそうか? 結論から言って、無理しなくていいんだぞ? 人の字の一件にしたって、いざとなりゃ俺が一人で片付けてやるしさ。多分ぶっちゃけその方が早いからな」
もっともその場合、観光案内してもらうこと、という依頼は失敗になるが――まあ、別にいいさ。
金に困っているわけでもない。その気になれば、金なんぞいくらでも稼げる。
異世界に来た時、俺にとって便利な能力は何一つなかった。しかし今の俺には、八百年を生き抜いた俺には、両手に余るほど、ある。
代償としてなくしたのは、人の証明。食い扶持を稼ぐ分には、何ら重石にならない、楽な代償だ。
尋ねると、パミュは顔をゴシゴシと吹いて、飛び切りの笑顔を見せた。
両手で今度は、よくわからないものを模す。
「ヘビさん!! ギャオー!!」
「蛇はそんな泣き声しねぇだろうに」
「あはは、あははは……」
蛇らしきものを模した両手で、人の腕に噛みつきながら、パミュが笑う。
やはりどこか、意味深な笑顔だった。
もしかしたら、ただただ幸せな女、という俺の見立ては、間違っていたのかもしれない。
それでも、俺には関係のないことだった。
『代償としてなくしたのは、人の証明』
この言葉の通りさ。
人じゃない俺に関係することなんて、関係して『いい』ことなんて、この世界のどこにも、ありはしないのだから。
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