第6話 魔王クジャ=ロキフェラトゥ

「ここが南浜区。ここにはねー、酒場とか、フールギルドとか、教会とかがあって、そこの水路を通って、あっちの港にまで、シークロアの物産が送り届けられていくんだよ」

「ふーん」



 南浜区という場所は、巨大な壁に囲まれていた。その壁の中に、パミュが言ったような施設が押し込められていて、壁の上では、市場やら何やらが催されていた。

 当然人が落っこちないよう、壁の上には手すりがつけられている。

 しかしここは中々……。


 

 俺は、親指と人差し指を繋ぎ合わせて輪を作り、頭上を見上げた。

 壁の上では、様々な人間が、和気藹々と売買している。



「いやーここって、中々にいいスポット――」



 パンチラの――とは言わなかった。

 ふと、視線を感じて、パミュに目を向ける。



 ジ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。



 パミュがジト目で、俺のことを睨みつけていた。



「あ~という、心にもない冗談はさておいて」



 ジ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。



 パミュは何も言わず、今もジト目で俺のことを睨みつけている。

 


 いかん。

 下手したら、このまま通報されちまいそうだぜ……。



「お、あれが、魔王クジャ=ロキフェラトゥかー」



 俺は、南浜区を横断する水路を、一足で飛び越えて、その石像に顔を近づけた。石像は壁のすぐ前にあり、頭上から水をダバダバとかけられていた。


 どうやらこの壁は水道橋になっているようで、ゴールはまだ先のようだが、石像の真上の部分だけ、岩が切り取られていた。


 その部分から、水が流れてきている。雑な言い方をすれば漏れている。



 辺りは当然水辺で、周囲に柵と花が植えられていた。

 


「知ってるか? パミュ。魔王クジャ=ロキフェラトゥ。南尾の歴史の中でもっとも人を殺し、もっとも国を栄えさせた。各国首脳からは、時代を百年進め、あるいは五百年後退させた女と評され、最古残の魔導師協会、ドラゴンルーラーからは、交鳥歴が終わっていないにもかかわらず、交鳥歴最強の魔術師にして、最高の魔導師、という敬称をつけている。これは、今後これ以上の魔術師は絶対に現れない、という確信によるものらしい。

 音には聞いていたけれど、こんな形してたんだなー。へー」



 散々語ってから、振り返る。

 後ろにいたパミュは、目を伏せながら、そっぽを向いていた。



 まだ怒ってんのかよ、こいつ……。

 ちょっとした冗談じゃないかよ……。



「いやーあのさ、さっきのはだなー、ちょっとした冗談っつうか――」

「あたしは……嫌い。こんな人……大っ嫌い!!」



 え? そこまで怒ってんの? と、自分を指差す俺。その時。



「おーい、パミュちゃん、そこ危ないよー。水道橋の放水が今から始まるからさ、どいとかないとー、あ!!」



 言った時には時既に遅し。

 ってか、それなら人ぐらい立てておいてほしかったぜ。


 

「キャッ!! 冷たい!!」



 上からこれでもかってぐらいの水が降ってくる。

 まるで豪雨だ。

 パミュが頭を抱え、横手の階段向かって駆けていく。

 俺もノホホンと、その後を追った。

 ちなみに俺は、一滴も濡れていなかった。

 魔術師は感情を操る。その感情をエレメントに憑依させることで、エレメントもまた自在に操ることができるのだった。



 パミュはビチョビチョである。

 いや、助けてやれよ、と思うだろうが、ここはぶっかかっておいた方が、意外と風流かなーなんて、思ったのだが、今考えると、ついでに護ってやるべきだったなーって、思っている。

 


 何故ならー。



「うわー、服がビチョビチョー」



 白地のTシャツを引っ張って、パミュが言った。

 


 しかしながら、引っ張ってはいるものの、水を吸った生地は肌にベタリとへばりつき、その先に在るピンク柄のそれを、青空の下に解き放っていた。



 俺はまあなんつーかその、見たり見なかったり?



 いやまあ、俺はロリコンじゃないわけで、ガキの下着をみたところでどうこう思うはずがないので、健全であることが、逆に俺の反応を遅らせるというか何と言いますか――



「あ!!」



 パミュが頬を真っ赤に染めた。両手で胸元を押さえる。軽く唇を噛むようにして、振り返った。



 俺は口笛を吹きながら、そっぽを向いて誤魔化した。

 


 見てませんよー。知りませんよー。と、全力でアピールする。だが……。



「むーっ。見た!?」

「お、今日は空が青いなー。どっちが海なのかわかんぇよなー。こうも綺麗と」

「むーっ!!」



 パミュが、恥ずかしそうに頬の筋肉を震わせて、怒っている。

 そんな時。



「パミュちゃーん!!」



 先に、水道橋を放水してきた、小太りの男が駆けてきた。

 手には小さいタオルを持っている。

 せいぜい身体をふくことしかできないであろう、小さなタオルだ。

 パミュが、胸を手で隠したまま振り返る。


 

 ふむ。



 俺は小首を傾げて、指を鳴らした。



 すると。



 パミュの全身にかかった水が、青空目掛けて吹き上がった。それが俺の手に集約された時、一つの氷塊になっていた。


 

 パミュが目を丸くして俺を見つめ、ついで、トップスの裾を伸ばす。服は完全に乾いているはずだ。

 俺はつけている指輪に氷塊を当てて、水に戻した。指輪の神意で魔力を相殺し、氷の術を解いたのである。



 やっとこたどり着いた男が、膝に手を置き、息切れしていた。

 顔を上げて、パミュに近づく。

 


「いやーゴメンゴメン、パミュちゃん。どうもこっちの声がうまく届いてなかったみたいでさー。これちょっと小さいんだけど、タオル持ってきたから、これでふいてよ――あれ?」



 パミュが、両手を腰に回して、笑顔を男に向ける。

 さっきも言ったように、服はもう乾いていて、透けていない。

 


 そして、やや、ドヤ顔である。

 


 俺が、服に染み込んでいた水分を、水柱にして飛ばしたんだけどな。


 小太りの男はワナワナと身を震わせると、バッと振り返り、俺の胸ぐらをつかんできた。



「お前かー!! さっきの水柱を見たときから嫌な予感はしてたんだ!! くっそー!! 俺の夢と希望を奪いやがって――ハッ!!」



 ジ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。



 パミュが冷たい目で、小太りの男を見ている。

 小太りの男は『まいったまいった』とばかりに、目蓋を下ろして、両手を持ち上げた。

 チラリと目蓋を持ち上げる。

 パミュは未だ、睨むのをやめていなかった。


 

 小太りの男が、目元をぬぐいながら背を向ける。涙の粒が虚空に散った。



「ちきしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「あ」

「どうせ俺なんて、俺なんて、うわああああああああああああ!!」



 小太りの男が駆けていく。

 パミュは口を開いたまま、伸ばしていた手を下ろした。



「冗談だったのに」

「冗談ったのか?」

「うん。ビュウには本気だけど」

「何で俺には本気なんだよ」

「だって初対面だもん」



 理にかなってるような、かなってないような……。



「ほら行こ、ビュウ。次はこっちこっち」



 背中を撫でるように押され、今度は橋を渡らされる。

 橋の上でも露天が開かれており、人の賑わいは中々のものだった。



「ビュウってさー」

「んー?」



 後ろから話しかけられ、俺は空返事を返した。

 ってのも、俺は結構、市場で売っているものに、目を奪われていたからだ。

 俺って人間は、観光は嫌いだが、いざ行ってみると、結構ハマってしまう、そういう男なのだった。

 


「ビュウって……結構、すごい人?」



 振り返る。

 さっきも言われたが、今度の言葉には、どこか、怯えのような、そんなものを感じた。

 事実パミュは、胸元で手を握って壁にして、反射的に、あるいは本能的に、自分のスペースを死守するような、そんな体勢をとっている。



 まぁた塩対応か、なんて、今は絶対思わない。

 どうにかできるものなら、どうにかしてやりたいと、心底思う。

 笑顔に変えられるものなら変えたいし、叶うなら、最後までには、打ち解けて、終わりたかった。



 しかし、したいしたいと思って叶うなら、何事も苦労はしないのだ。

 俺ってやつは、何度も言うように、女への気遣いが、ものすごく苦手な男である。

 


 そして、やろうやろうと思うと、テンパって、逆に悪手を打ってしまうなんてのはよくある話だ。


 

 俺は、空気に押されるように、親指と人差し指をピンと伸ばして、アゴの曲線に押し当てた。



「ふふん。今頃気づいたか。すごいもすごい。超すごい魔術師だね、俺は。機会がないからあれだが、あの魔王クジャ=ロキフェラトゥだって、俺の敵じゃないと、俺は勝手に思っている」



 怖くないよ、という意味で軽口を吐いたが、適当ぶっこいたわけじゃない。

 一応俺も、近代魔術の祖、虹玉歴末期最強の魔術師の異名を、ドラゴンルーラーにつけられているからな。



 チラリと、パミュを見下ろす。



 パミュは、胸元で手を握ったまま、目を反らしていた。

 ボソボソと、パミュが口を動かす。



「え?」



 思わず素っ頓狂な声を出しちまった。

 パミュがハッと面を上げる。

 


「あ、何でもない。えへへ。気のせいだったらいいんだ。はい、次いこー次ー!!」



 言われて背中を押される。

 


『やっぱり、お母様とは関係ないのかな……』



 俺が、唇の動きから洞察した、パミュの言葉。

 


 お母様……?

 


 今は魔王クジャ=ロキフェラトゥの話しかしていない。

 


 振り返った先。


 

 魔王クジャ=ロキフェラトゥの彫像が、水辺の上に建てられていた。


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