責任の話(真面目)


 発言には行動が求められ、行動には責任が付きまとう。彼女を後部座席に乗せようと思うのならば、それ相応の責任が発生する。


 今の私は、それに耐えられる存在なのだろうか。例えば彼女の親に、娘さんの命を預かりますと、胸を張って言えるのだろうか。


 大げさだという人もいるかもしれない。

 けれど、人を後ろに乗せて走るというのは、それだけの重みがあるものだと思っている。


 そのためにはお金が必要だった。

 今は安全だってある程度はお金で買える時代だ。ちゃんとした装備を整えるだけでもかなり違う。

 私はすぐにパソコンを開き、いくつかの転職サービスを通していくつかの会社に応募した。

 すぐに返事が来て、数社と面接をすることになる。


 派遣登録は解除した。

 電話一本で事が済んでしまうことが、関係の薄さを如実に表しているようだった。


 不思議と焦りはなかった。

 不安にさいなまれることもなかった。


 面白いように面接は進み、あっという間にとある会社から正社員で採用通知が届いた。


 怖くないわけではない。

 以前は採用通知が来ても不安の方が強かった。けれどどうしてか、今はどうにかなりそうな気がしているのだ。




 ◇◇◇




 セリナには働き口が決まったことしか伝えていなかった。

 おめでとう、頑張って、と言われて、それだけで心が温かくなった。


 入社して数日の研修を受けると、すぐに配属先が決まった。前職との環境との違いに戸惑いつつ、一つずつ仕事をこなしていく。


 関わりのありそうな人はいい人が多かった。

 時折神経質そうな人に出会うこともあったが、相手が求めていることを理解すれば対応はさほど難しくはなかった。


 そうやって必死に仕事をしていると、桜が散って、5月の連休がきた。

 それまでセリナとは予定が合わずに会っていなかったから、久しぶりに家でご飯を食べる約束をしていた。


 一緒に材料を買いに行って、パンパンに膨らんだエコバックを提げて帰る。

 セリナがスナック菓子だのドライフルーツだのと買い物かごにぽいぽい入れてくるものだから、必要以上に買い過ぎてしまった。

 今日はたこ焼きをする予定だから、恐らくこれらが入ってくるのだろうと予想して大げさにため息をつく。


「どうしたんですか?」


 きょとんとした顔で問いかけてくるセリナ。手にはボウルと紅しょうがが握られていた。

 タネ作りは任せてと言われていたから、私はカーペットの上にごろりと横たわって雑誌を読んでいるところだった。


「……チョコレート、入ってる?」

「お楽しみです!」


 鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌なセリナが、弾んだ声で言った。

 なんだかなあと思いながらも、彼女の笑顔には逆らえなかった。今日のご飯に関しては、完全に諦めモードだ。


 セリナが私の読んでいる雑誌を確かめようと、頭上にやってくきた。見上げた表情はひどく楽し気だ。

 逆さまになった視界からでもそうわかるのだから、よっぽどなのだろう。


「楽しそうだね」

「サキさんが構ってくれるの、久しぶりですから」

「じゃあ今度、一緒に出掛けようか」

「いいですよ。電車ですか? いろいろ回るなら車の方がいいですよね」

「いや、私のバイク」

「……乗せてくれるんですか?」

「逆に乗ってくれるんだ?」


 私はセリナを見上げて、セリナは私を見下ろした。

 交わった視線に、真剣味を込めて伝える。


「結構、危険なことだからね。よく考えて」

「乗りますよ。乗せてください」


 逆さまのままキスをされて、しばしの間その柔らかな唇を味わう。

 彼女は頭がいい。私の言っていることをちゃんと理解していると、そんな風に思えた。

 名残を惜しむように離れて、見つめ合う。


「……私と、付き合うつもりある?」


 驚きに見開かれた瞳が、すぐに弛緩してその目じりを下げた。

 セリナはこくっと頷いて、ボウルと泡だて器を脇に置くと、上体を起こした私に抱き着いてくる。

 そのまま頬や耳や髪に手当たり次第にキスをされ、くすぐったさに笑いが漏れた。


「なんか犬みたいだね」

「それなら、サキさんも犬になればちょうどいいですね」

「それはいやかな。バイクに乗れないし」

「ずるい! じゃあ私も人間がいいです」


 私はそうやってキャンキャンと興奮しているセリナを抱きしめた。

 正面から力を込めて、その身を腕の中に閉じ込める。


「ねえ、言ってなかったんだけどさ」

「はい」


 ドキリ、と心臓が跳ねる。何かを感じ取ったのか、触れているセリナの鼓動もやたらと早い。

 こういう言葉をあまり言ったことがなかった。けれども、言わなければ始まらない。というよりも、言わずに始めたくない。


「好き」


 呻くように絞り出した言葉は、しっかりと彼女の鼓膜に届いた。そして鼓膜から伝わった情報は彼女自身を震わせた。

 ふっ、とセリナの漏らした息が、私の頬をやさしく撫でていく。


「私も好きです」


 そう言って、彼女は笑った。


 そうして、は始まった。

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