お見合い(強制)
次の週。試験は滞りなく終わった。
手応えはあったから、恐らくは大丈夫だろう。
セリナにそうチャットして、スマホの画面を切った。
夜、ごろりとベッドの上に転がって考える。
そろそろ就職活動をしなければならない。
失業手当はまだ出ているけれど、期限は限られている。ゆっくりしていられる時期はもう過ぎてしまっていた。
頭の中を過去の情景が駆け巡る。
当時の焦燥と緊張がフラッシュバックして、胸が苦しくなる。懸命に呼吸をして、気持ちを落ち着けるために布団を被って丸くなった。
いつの間にか握り締めていた手のひらは、じっとりと汗をかいていた。
こんなことで、大丈夫なのだろうか。
そう思うのに、身体は重く、胃は不快感を訴えていた。
いや、そうじゃない。大丈夫か、大丈夫でないかは問題なのではない。
やるしかないんだ。
自立していたければ、自分の足で立つしかない。
ふと、電話が鳴った。
もぞりと起き上がって、スマホを手に取る。
「はい」
「今大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど、どうしたの?」
「お疲れさまってって言いたかっただけです」
「……ありがと」
「今度どこか行きませんか?」
「いいよ。映画とか?」
「映画はデートっぽくていいですけど、キャンプ行きません? 友達から用具借りれそうなので」
「いいよ、いつがいい?」
「二週間後とかどうです」
「いいよ」
その後も軽く会話をして、電話を切った。
目を瞑る。
先ほどまでのネガティブなイメージは霧散していた。瞼の裏に見えるのは、森の中で彼女と笑い合う情景だ。
私は気持ちを切り替えると、真剣に求人情報を漁ることにした。
◇◇◇
向こうからやってきたのは、どこか垢抜けない少しお腹のたるんだ小男だった。
「はじめまして、緒方です」
「松葉下です」
互いに頭を下げあって、数少ない喫茶店に入った。
がらんとした店内に、マスターが気をきかせて貸し切りにしてくれたことを悟る。
余計なことを。
そう苦々しく思いながら、こじんまりとしたソファ席に腰を下ろす。
メニューをちらりと見て、考えもせずに注文を決める。
目の前の緒方は額の汗をしきりに拭いながら、震える指でメニューを捲っていた。
「あの……」
「はい、大丈夫です」
緒方は音が鳴るほど勢いよくメニューを閉じると、マスターを呼んだ。互いに注文を譲り合って、結局私から注文する。私はコーヒー、緒方はグレープフルーツジュース。
喫茶店と言えばコーヒーかそれらの関連商品を頼むものだと思っていた私は、少し面食らう。
「……コーヒーお嫌いなんですか?」
「はい。いい大人が、お恥ずかしい限りです」
頭を掻きながら、緒方は縮こまるようにそう言うと、押し黙ってしまった。
口下手なタイプだろうか。
それとも慣れればよくしゃべるのだろうか。
握り締めた拳から、緒方の張り詰めた緊張感がこちらまで伝わってくるようだった。
私は聞こえないようにため息をつくと、口を開いた。
「家、近くですよね。小学生の時、よく緒方さんの家の前を通っていました」
「ええ、そうですね。おかっぱのかわいい子がいるって当時から評判でしたから」
そう言って、照れたように視線を逸らした緒方。
そういうことか。
恐らく、互いにいやいや顔合わせをさせられたわけではなく、少なくとも緒方はそれを望んでいたのかもしれない。そう考えると、この緊張具合に納得がいった。
それと同時に気持ちが重くなるのを感じる。
さっさと切り上げてしまいたかったのに、相手がその気ならこの時間に付き合うよりほかはなかった。
少し喋って安心したのか、緒方は次第に口を開くようになった。
小さい頃遊んだ林や田んぼの場所に始まり、近くにある廃墟に入って大目玉を食らったことや、最近の隣近所の噂話まで、私たちは何かを確認し合うかのようにとつとつと話した。
同じ地元、同じ小中学校出身というのは案外侮れない。
当時会話すらしたことのなかった当人たちを過去に引き戻し、子どものころから知っていたかのような錯覚をおこさせる。
それに、バイク乗りという共通項を発見してしまってからは早かった。
緒方の目が興味深そうに輝き、私を見つめるようになる頃には、既に次の約束が取り付けられてしまった後だった。
◇◇◇
緒方は悪い人ではない。
少し不器用で鈍いところがあるけれど、心根の優しい人だった。
年下の私にも偉ぶることなく丁寧に接するところには好感が持てた。
競争を好まず、人の役に立ちたいと役所に勤めるようになった彼は、世間一般の理想とするような男と比較すると少し物足りないのかもしれないけれど、家庭人としては最適で、こういう人と結婚すると幸せになれるのかもしれないと思わせられた。
ずるい思考だな、と自分でも思う。
セリナを都合よく利用しておいて、緒方をも自分に都合の良い存在として捉えようとしている。
いつからこんな考え方をするようになってしまったのだろう。
人と人の間にある曖昧なものを見ようともせず、手に取ってわかるものだけで損得を弾き出し、判断しようとしている。
それが悪いわけではない。したたかに計算し行動することなしに安穏と生きれるほど、この世界は甘くない。
けれど、この感覚はだめだった。
私の芯がぼやけて、きっちりと二本の足で立てなくなるような、そんな予感しかしなかった。
何かを掛け違えている。けれどそれが何なのか、私はまだはっきりとはわからないでいた。
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