8.少女の救援

(……朝?)


レイカは椅子に縛られたまま知らぬ間に眠っていたことに気付いた。小屋の外からは小鳥の鳴き声が聞こえる。カーテンからわずかに漏れる朝日。レイカはひとりまた涙を流した。



(夢じゃ、夢じゃなかったのね……)


縛られて動かない手足が痛い。

昨日の夕方からトイレにも行っていない。

温かい季節だがはだけた胸元のせいで寒さも感じる。


「ううっ、う、うう……」


レイカは止まることのない涙を流した。



ガチャ


小屋のドアが開く音が聞こえた。


「!!」


レイカの心臓が止まる程激しく動悸し、そして全身に悪寒が走る。そして開かれる部屋のドア。その男を見てレイカは再び絶望した。



「レイカちゃ~ん、おはよう。よく眠れたかな~」


悪夢ではなかった。

もはや恐怖しか感じないブルッドが笑顔で入って来た。ブルッドは持ってきた荷物を机の上に置くとレイカに近づいて言った。


「ああ、今日もレイカちゃんに会えて嬉しいよ~。ああ、いい匂いだあ」


ブルッドはレイカの奇麗な金色の髪を手に取り鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。


「ううっ!!」


更に言う。


「さあ、では僕ちゃんもレイカちゃんへの奉仕を始めなきゃね。まずはおトイレからだよ」


その言葉を聞いたレイカの顔が青ざめる。

ブルッドはレイカの前に立つとその短いスカートを捲り上げた。露わになる下着。レイカは顔を赤くして足を動かす。ブルッドは興奮しながらレイカの太腿に顔を埋めて言った。


「あれ? まだトイレは良かったのかな? レイカちゃんの恥ずかしい姿見たかったんだけど、随分我慢するんだねえ、レイカちゃん」


「ううっ、う、ううっ!!」


赤らめた顔を上げてにやにやするブルッド。レイカは羞恥心と恐怖で精神がおかしくなりそうになった。ブルッドは立ち上がると机の方へと歩き出す。



「そうそう、レイカちゃんに朝ご飯持ってきてあげたよ~」


そう言って袋の中からお椀のようなひとつの皿を取り出す。中にはパンやらスープやら肉やらがぐちゃぐちゃに入っている。ブルッドが言う。


「レイカちゃんの朝ご飯はこれね。僕ちゃんの夕飯の残り。僕ちゃん達もう一心同体だし、勿体ないから僕ちゃんの食べ残し、ちゃんと食べてよね」


そう言ってブルッドはその残飯の中に手を入れてぐちゃぐちゃとかき回し始める。



「ううっ!! う、ううっ!!!!」


レイカは震えた。

涙を流して体を震わせた。

ブルッドがにやにやしながら歩いてくる。そして残飯を手にすると縛られたままのレイカの口に無理やり押し付けた。


「うううっ、うう……!!」


体をよじらせて嫌がるレイカ。口に入るはずもない残飯がボトボトこぼれる。ブルッドが笑いながら言う。


「ぎゃはははっ、なんだよ、それ!? 犬みたいじゃない、レイカちゃ~ん」


残飯に汚れたレイカをブルッドが大笑いして見つめる。そして笑い終えると、懐から一枚のハンカチを取り出してレイカに言う。



「これねえ、レイカちゃんのハンカチだよ。僕ちゃんに投げつけたやつ。僕ちゃん嬉しくてねえ、これで僕ちゃんの身体の色んな秘密の場所をたっぷり拭いたんだよ。それでね……」


ブルッドはそのハンカチを持ってレイカの汚れた顔を拭き始めた。


「んんっ、ん、ううっ!!!!!」


顔を拭かれたレイカの目から再び涙が流れる。ブルッドが笑って言う。



「きゃははっ、きれいにきれいになったよお~、レイカちゃん。どんな匂い? 僕ちゃんを感じるだろ~」


限界だった。

レイカの精神は崩壊寸前まで行っていた。



「あれ、もう時間か……」


ブルッドはレイカに言う。


「僕ちゃんこれからおうちでお勉強の時間だから戻るね。ママのご飯も食べなきゃ。またお昼に来るね。それじゃあ、僕のレイカちゃん」


そう言ってブルッドは笑いながら出て行った。



――助けて。お願い、誰か早く、私を助けてください……


レイカは涙を流して心から助けを願った。





「で、何なんだ? 重要な話って……」


クレストは学園長室に行き、今日は出勤していたレオンに向かって言った。


「いや、実は大変なことを聞くのを忘れていてな……」


レオンが椅子に座り直す。



「今、非常勤だけど、このまま続ければは貰えるのか?」


「はっ?」


レオンはそう言ってから小さく溜息をついた。


「確かに給与は悪くないがこのまま将来的に年金が貰えなければ……」


そこまで言うとレオンが言った。



「ない」


「へっ? うそ……」


「ある訳ないだろ。欲しければ常勤で講師やってくれよ」


「うっ、そ、それは……」


ぐうたら年金生活を夢見るクレストにとって、毎日決められた時間決められた場所で働くなどあり得ない選択であった。クレストが言う。



「ど、どうしてもダメか……」


「だめ」


「そこを何とか……」


「何ともならん」


「はあ……」


クレストは下を向いて大きなため息をついた。レオンが言う。



「まあ、常任の件は考えておいてくれ。うちとしては優秀なお前がずっと講師をやってくれるのは大歓迎だよ。あ、それから……」


レオンはクレストの顔を見て言った。


「魔法科のレイカって子の欠席届が、フォレスター家から出ていたぞ」


「フォルスター家? 上級貴族じゃないか? どうしてだ」


レオンは首を振って答える。


「分からない。あまりないことだけどな」


「そうか……」


クレストは何か嫌な予感がした。




「先生、今日レイカさん、お休みなんですか?」


講義が終わったクレストにフローラルが尋ねた。クレストが答える。


「ああ、休みだ。フォレスター家から休みの届けが出ているようだ」


「フォルスター家?」


フローラルが首を傾げる。


(あの上流貴族から届け出が……?)



そしてフローラルの頭に上品な馬車を従えた小太りの男の顔が浮かんだ。


(……まさか、レイカさんの身に何かが?)



「ありがとうございます」


フローラルはクレストに頭を下げると教室へ戻って行った。





(あ、あれは!!)


フローラルは講義を途中で抜け出し、学園の前でずっとひとりある人物を探していた。そしてしばらく待っているとその見覚えのある男が現れる。

男は小さな袋を持ちにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながら郊外へ歩いて行った。


(間違いない、レイカさんが絡まれていた男!!)


フローラルは帽子を深く被り、気付かれぬようその男の後をつけた。







(誰か、誰か助けて。先生……)


意識が朦朧としてきたレイカの頭に、ふと教師であるクレストの顔が浮かんだ。彼の言葉が浮かぶ。



――感じるんだ。そして対話、同調。それから精霊の力を少し借りる……


(感じる? 精霊を?)



レイカは意識を集中する。


(いた!)


その空間にもレイカが得意とする火の精霊達が確かにいた。



(感じろ、対話、同調、そしてお願い……、来たっ!!)


レイカは縛られた手を意識する。

動かない。


(でも、指だけなら動く! ……先生、お願い。私に力を貸して)


レイカは指先に意識を集中する。


(授業ではできなかったけど……、火の旋律・ファイヤ)



ボフッ


(できた!? ……でも火が弱い。もう一度。しっかり同調、協力をお願いする)


レイカは縛られた手の中で、正確に指で魔文字を書く。



(火の旋律・ファイヤ!!)


ゴオオ!!


(できた!)


レイカが起こした火は手を縛っていた縄の一部を焼き、そして灰となって床に落ちた。



(やった、やったよ!! これで……)


レイカは直ぐに自由になった手で足の縄を解き、口の布を外す。


「急いで!!」


そして直ぐに立ち上がると小屋の中にあるトイレを探し中に入った。



バタン


トイレから出るレイカ。

はだけた胸元を直すと急に現実味が沸いて来て、再び涙がこぼれた。


(怖い……、怖いけど、早くここから逃げなきゃ……)



レイカは座りっぱなしで痛む体に力を入れ、気持ちを切り替えて部屋に戻る。


「えっ!?」


その部屋に入った瞬間にレイカの体が固まった。



「う、そ……」


そこには無表情で立つブルッドの姿があった。抑揚のない声でブルッドが言う。



「レイカちゃん、また悪さ、したんだね……」


レイカの体が震える。


(逃げなきゃ)


しかし出口はブルッドの後ろにしかない。



「僕ちゃんの約束、守れないんだね……」


ブルッドがそう言いながら少しずつレイカに近付く。



「いや、いや……」


レイカの顔が青く引きつる。そして無意識に右手が上がる。



(殺す。こいつを殺す……)


集まる火の精霊。

同調、悲しみ、恐怖。


それが交わった瞬間、レイカは高速で魔文字を宙に刻んだ。



「火の旋律・ファイヤ!!!!」


ゴオオオ!!!


「うわっ!!」



近寄っていたブルッドの体から発せられる強い炎。あっという間にブルッドが火に包まれる。


「や、やった……、やったよ、今のうちに……、!?」


直ぐに逃げようとしたレイカの目に見たことのある光景が映った。



「えっ!?」


それはクレストの授業で使った木の人形。

魔法耐性の服を着せた木の人形に向かって放った炎。燃えることなく消え去った魔法の炎。それと同じ光景が目の前で起こった。

ブルッドは服についた小さな残り火を手で払って言う。



「効かないよ、この服には」


「そ、そんな……」


レイカの顔が青ざめる。



「魔法は効かないんだよ、僕ちゃんにはね。君に会うのにそんな準備もしないでいるとでも思ったのかな?」


「い、いや……」


レイカが後ずさりする。ブルッドが言う。



「魔法が使えなければ後は体力のみ。これでも十分勝てるけど、念の為これを飲むね」


そう言うとブルッドは持っていた袋の中から錠剤を取り出して飲み込んだ。



「うーーーーん、がはああああ、はあ、はあ……」


ブルッドの肌が赤色に染まる。


魔身薬ましんやく。聞いたことあるよね? 冒険者時代に非力な魔法使いが飲んだ身体強化薬だよ。これで僕ちゃんは無敵だ」



「やめて、もう、やめてよぉ……」


レイカはその場に座り込み涙を流して言う。



バン!!


「きゃ!!」


ブルッドは壁を思い切り叩いた。

響く振動。恐怖心がレイカを襲う。



「ふざけるなよ、レイカちゃん。僕ちゃん、怒ってるんだよ。こんなに悪いお嫁さんは、もっともっとお仕置きしなきゃ」


ブルッドがレイカに歩み寄る。



「ううっ、う、うう……」


もはや体全身が震え、逃げることも声を上げることもできなくなっていたレイカ。完全にブルッドに威圧されていた。ブルッドが近寄る。


「レ・イ・カ、ちゃ~ん!!」



バン!!!


「!?」



入り口で響くドアを開ける音。

直ぐに振り返るブルッド。そしてその少女は部屋の入り口に立つと大声で叫んだ。



「レイカさん!!!!」


「フ、フローラル……」


レイカは現れたその少女を見て涙を流した。フローラルが言う。



「何をしてるんですか!! あなたは!!!」


フローラルに集まる風精霊。ブルッドはそれをにやにやと笑って見つめた。

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