第9話 NPCアーシェ

 オークを殲滅するという依頼を達成した諒太。ギルドに戻るや受付のアーシェへと報告を済ませている。


「えええ!? リョウさんもう討伐しちゃったのですか!?」

 期待通りの反応を示すのはアーシェだ。オーク討伐の証しである鼻をズラリと並べた諒太に感嘆の声を上げている。


「必ず狩ると言っただろ? 君にご馳走するためにね……」

 我ながら格好良いと諒太は思った。もしも他のプレイヤーが見ていたとすれば、逃げ出したくなるほど恥ずかしい台詞である。しかし、高難度クエストをクリアした彼は昂ぶっており、ハイオークを討伐した自身に間違いなく酔っていた。


「少し待ってください。ギルド長に報告してきますから……」

 これは何らかのイベントが発生する予感だ。普通であればアーシェは報酬を手渡すだけ。必要以上に勿体ぶるような台詞を口にするはずもない。


「リョウさん、こちらへ来てください……」

 アーシェの対応にニヤリとする諒太。この対応は明らかにイベントフラグが立った証し。どうやら諒太はネットの情報にはないイベントを発見してしまったらしい。


 手を振るアーシェの元へ悠然と歩いていく。諒太が通されたのは調度品が並ぶ立派な部屋である。恐らくはギルド長の執務室であろう。諒太が呼ばれた理由は職業の分岐イベントか、若しくは臨時報酬のどちらかだと思われる。


「君がリョウか。俺はギルド長のダッド。登録初日にDランククエストをソロにて達成した者がいると聞いてな。色々と話がしたいと思ったのだ」

 部屋に入ると大男が諒太を待っていた。割と年配であるけれど、鍛えられている感じ。彼は元冒険者らしく、引退したあとギルド長に就任したようだ。


「騎士団の紹介らしいが、君は何者なんだ?」

 ありがちな展開になっていく。だが、ここで異界人だと答えるのは良くない。誤魔化しておくのがゲームでも漫画でも王道であろう。


「別に普通の冒険者です。騎士団の紹介状は成り行きですかね。冒険者ギルドに迷惑をかけるような問題は抱えていません」

「十六歳にしては落ち着いてるな。まあ良いだろう。ギルドに余計な問題を持ち込まないのであれば、腕の立つ冒険者は大歓迎だ。正直にオークには困っていた。上位ランク冒険者は全員が地竜の討伐に借り出されていてな。被害が出る前に片付けられたのには感謝しかない。これからもよろしく頼む」


 僅か一分ほどで諒太は解放されていた。憶測に過ぎないが、机にあった水晶がその理由なのだろう。きっとそれは嘘を見抜く魔道具。漫画やラノベでは鉄板のアイテムにて話の真偽を見ていたはずだ。

 報酬はギルドカードにプールするのではなく、またも現金で受け取った。乗り合い馬車などは現金だと聞くし、ギルドカードによる決済ができない店も多いと知っていたからだ。


 現金を受け取った諒太はアーシェの顔を見て小さく微笑む。すると彼女も直ぐに察したらしく、彼に頷きを返している。


「まさか本当に達成されるとは思わなかったので、お店は考えていませんよ? 近くにある一品料理店で構いませんか? もう直ぐわたしの担当時間が終わりますので、しばらく待っていてください」

 やはりNPCは話が早い。記念すべきアルカナの初日を締めくくるのに相応しいイベントが最後に待っていた。条件を満たした諒太はデートの同意を得られている。


「もっと難航するかと思ったけど、意外に素直だな?」

「意外は余計です! それに約束でしたから……」

 何とも筆舌に尽くしがたい可愛いさである。きっとアーシェは運営一推しのキャラクターに違いない。

 しばらくギルド内を散策しているとアーシェの退勤時間となった。二人はギルドの直ぐそばにある居酒屋的な料理店へと行く。夕暮れ時であったからか、それとも恒常的か。店内は多くの人が飲んだり食べたりと大騒ぎしている。


「……これとそれと、あとエールを二つください!」

 勝手の分からぬ諒太に代わってアーシェが注文してくれる。

 エールとはビールのことだが、ゲームなので問題はないだろう。加えて、ゲームの世界は成人年齢が十五歳という設定である。


「アーシェはよく飲むのか?」

「いきなりそんな質問はないと思いますよ? まあ秘密ということで。とりあえずリョウさんの無事と依頼達成に乾杯!」

 NPCであるのに飲み慣れている感が凄いと思う。エールが届けられるや、アーシェは乾杯の音頭を取った。

 初めて飲むお酒に少しばかり諒太は緊張している。五感の全てを体感できるとの触れ込み通り、エールは苦い味がした。また酔うという感覚は人生で初体験なので、これが正常なのかどうかは判断できない。


「この店の料理は美味いな? 美人の同伴も美味さが倍増するし!」

「リョウさんはどこまで本気なのか分かりません。良いですか? そんなこと滅多矢鱈と口にするものじゃありませんよ!?」

 アーシェは酔っているのか声量を抑えきれていない。NPCらしくなく酔っ払うとか本当にアルカナの世界は作り込まれているという印象を持った。

 料理を食べ尽くし、アーシェが二杯目を注文してすぐ、


「それでは彼女さんとかいらっしゃるのですか?」

 不意にアーシェがそんなことを聞く。プレイヤー同士がオフラインでも仲良くなるのはよく聞く話だ。しかし、彼女はNPC。ゲーム中にしか諒太を癒してくれない存在である。


「いないといえばいない……」

「何ですか、その微妙な言い回し……。ホント、リョウ君はズルいです……」

 言ってアーシェは二杯目を一気飲み。ゴトンとジョッキを机に置くや、そのまま突っ伏してしまう。


「お、おいアーシェ!?」

 流石に困惑してしまう。NPCが先に酔い潰れるとか、どういうイベントなのだろうかと。彼女の家は知らないし、そもそも冒険者ギルドの受付に家の設定があるのか疑問だ。

 困り果てた諒太は代金を支払ってからアーシェを担いで店を出る。


「困ったときはあの人だ……」

 運命のアルカナは選択により先々の職業が変化する。よって諒太はこの状況を真面目に考える必要があった。

 やはり酔い潰れたアーシェが鍵となる。彼女に手を出すかどうか。恐らく倫理観を問われているのだろうと思う。聖騎士ナツのパーティーを目標としている諒太であるから、悪評は少しでも回避しておくべきだ。


 アーシェを背負ったまま、諒太は騎士団の詰め所へと向かう。フレアは力になると話していたし、公明正大な組織である騎士団に預けたのなら評価が下がることはないだろうと。

 入り口にいた男にフレアを呼んできてもらう。これにて突発的なイベントは終わりだ。何の変化も起きるはずがない。


「また君か……? 今度は何の用だ……ってアーシェ!?」

 どうやらフレアはアーシェを知っているみたいだ。ならば話は早い。諒太はここまでの経緯を全て彼女に伝えていく。

 一通り聞いたフレアは難しい顔をして考え込んでいた。内容は非常に端的であり、悩む必要などなかったはず。アーシェを保護してくれるだけで良かったというのに。


「それで君はアーシェを食事に誘い、アーシェが酔い潰れただと?」

「その通りです。でも俺が無理にお酒を勧めたわけではないですよ? それにお店を決めたのも彼女ですし、俺は酔い潰れた彼女に何もしていません!」

 自身が潔白であることを先に伝える。今以上に妙なルートへ向かってしまうことだけは避けなければならなかった。


「はぁ……」

 どうしてか溜め息を吐くフレア。もしかすると諒太は選択を誤ったのだろうか。彼女の表情は諒太が何かをやらかしたと察するに十分なものである。


「冒険者と個人的に食事をするなんてアーシェは初めてだろう……。それも酒を飲むなんて考えられない。酒を口にした経験は今までにないはずだ……」

「いやでも、無理矢理に誘ったわけでもありませんけど? 自発的にエールを注文していましたし。また彼女は二杯目も自分で注文していましたが?」

 どういう失態をしでかしたのか少しも分からなかった。溜め息ばかりつくフレアが妙に恐ろしい。


「きっと勇気を出したのだろう。一目見て君に何かを感じ取ったのだ。だからこそ酒を必要とし、自ら泥酔したはず……」

「俺も男ですから、彼女は怖かったのですかね? だけど俺は潔白です! 何もしていませんし、アーシェの家が分からなかったので騎士団へ連れてきただけですから!」

 またもやフレアから長い溜め息が吐き出されている。本当にどうしようかと思う。かなり危ないルートに入った可能性は高い。


「アーシェはな、だ……」

 ここで衝撃の事実が明らかとなる。諒太は犯したミスをようやく理解した。騎士団長であるフレアの妹にちょっかいを出していたこと。彼女はそれを咎めているのだと。


「すみません! まさかフレアさんの妹さんだとは知らなかったのです! それに俺は彼女を運んだだけで、無闇に触ったりいやらしい真似はしていませんから!」

「君なぁ……。成人しているのなら分からんのか? アーシェは誘われたからといって誰にでもついて行くタイプじゃない。それも酩酊するまで飲むなんてあり得ん。酔い潰れたとして君を信頼しているか、若しくは君ならばということだ。つまるところ……」


 諒太は鼓動を早めていた。ある疑念が頭をよぎる。このイベントはもしかしてと……。あろうことかNPCに対して諒太はあるフラグを立てていたなんて……。


「アーシェは君に好意を抱いている――――」

 やはりそうかと諒太は頭を抱えた。諒太とアーシェは今日出会ったばかり。仮にフラグを立てるにしても、順序ってものがあるだろうにと思わざるを得ない。諒太は割と開発陣の頑張りを評価していたけれど、このイベントに関しては否定的である。


「今日初めて会ったのですよ!?」

「思わせぶりな話でもしたのではないか? それともアーシェの関心を引くような問題を解決したとか? とにかくアーシェはまだ男性の免疫がない。君は恐らくアーシェに恋心を抱かせてしまったはず……」


 心当たりがありすぎた。確かにアーシェをからかっていたし、諒太はギルド長に目をつけられるような依頼をソロで達成してしまったのだ。


「勇気を出して酒を飲んだというのに、手もつけられず送還されるなど、女として酷く傷つくだろうな……」

 フレアが溜め息を吐いていたわけ。今更ながらに理解できる。彼女は目を覚ましたアーシェが落胆するだろうと危惧していたのだ。


「えっと、アーシェにはよろしくお伝えください。明日はプレゼントでも用意しておきます……」

「そうしてくれ。私だって君には期待しているのだ。召喚の儀を行ったことを後悔させないで欲しい。君が成長し、セイクリッド世界を救ってくれると信じている」

 泥酔したアーシェをフレアに預け、諒太はそそくさと詰め所をあとにする。

 ようやく番外編ともいえるサブストーリーが終わったらしい。考えるに出会いからここまでがワンセットだろう。


「しかし、アーシェはチョロすぎないか……? 好感度の設定がおかしすぎる……」

 妙なイベントを発生させてしまった諒太だが、とりあえずはフレアを激昂させるような事態にならなくて良かったと思う。彼女はゲームの中心人物であるし、険悪な関係になるべきではないのだから。


 ふと脳裏に告知音が届く。恐らくそれはイベント完遂を知らせるものだ。諒太は即座にステータスを開き、何がどうなったのかを確認する。


【リョウ】【軟派で臆病者の大魔法士・Lv19】


 これをどう評価すべきか。諒太は軟派であるだけでなく臆病者という称号をゲットしていた。


「ちくしょう……。アーシェに悪戯した方が良かったっていうのか?」

 そんな風に考えるも、直ぐさま違うと思った。このイベントで最もマシな二つ名こそが臆病者であるはずだ。また魔法士が大魔法士に変化している。それはたぶんステータスの上昇によるものだろう。呪文を増やしていけば魔道士という上級職になれる日も近いはずである。

 一度、ログアウトしようと諒太はメニューを開く。今まさにログアウトを選択しようとした瞬間、


『ピリピリピリ……』


 再び脳裏に機械音が響く。だが、今度はゲーム内の通知ではなかった。これはスナイパーメッセージによる着信通知だ。だとすれば諒太の盟友聖騎士ナツの準備が整ったのかもしれない。


「えっと、何々……」

 即座にメッセージを開いている。恐らくは緊急クエストなるものが終わったのだろう。レベリングを手伝ってくれると夏美は約束していたのだし。


 @夏美『リョウちんどうしよう!? あたし勇者になっちゃった!』

 

 しばし考え込む諒太。どういうことだと眉根を寄せている。

 確か勇者とは各サーバーに一人だけ。しかも、まだ一人ですら勇者は誕生していないという。全てのサーバーが勇者の誕生を待ち望んでいたはずだ。

 夏美が話す勇者とは。夏美が困惑する理由は……。


「ええっ!? 嘘だろ!? ナツが勇者!?」

 思わず声を張ってしまう。急な展開に諒太は驚愕していた。各サーバーには一万人からプレイヤーが存在するというのに、夏美は勇者に選ばれてしまったらしい。


「どんな幸運なんだよ……」

 とりあえずはログアウトを選択する。ここで立ち尽くしていても仕方がない。夕飯でも食べて、気持ちを落ち着かせようと思う。

 益々大きくなる夏美との差に絶望しないためにも。


 諒太が初めて運命のアルカナをプレイし、軟派で臆病者との称号を獲得したその裏では、残念な幼馴染みが勇者に選ばれていた――――。

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