第3話  虚咳病 4

 レオンハルト、リオと別れて家に戻ったのは夕方近くになっていた。


 多少の手伝いの後、食事をして、日課のパン配りに行く。

 その際に、昼間に採ってきた松の樹液をパインに届ける。

「これで揃ったけど・・・・・・」

「・・・・・・うむ」

 そう答えて、パンと容器を受け取ったパインだったが、それで何かする気配は無い。

 見ると何だか眠たそうにしている。

「眠いの?」

 ダンが尋ねると、パインは首を振る。

「眠くない」

 そう言うが、ただでさえ怖い目つきが、更に凶悪になっている。疲れているようにも見える。

 店の奥を覗いてみると、掃除道具が散らばっている。

「・・・・・・近いうちに嫌な奴が来るから、ガミガミ言われないように頑張った」

 パインは明らかに不機嫌そうに呟く。

「わ、わかったよ。今日はパンを食べたら早く寝ると良いよ」

「うむ。明日また来い」

 ダンは頷いて店を後にした。





 翌日、学校に行くと、エドが強烈な眼で睨んできた。

 だが、睨むだけで何も言ってこないし、結局大人しく一日を過ごしていた。

『僕が何したって言うんだよ・・・・・・』

 ダンはそう思いつつ、エドに近づかないようにしていた。

 そして、今日もエドはさっさと家に帰る。


 ダンも、この一週間ほどあまり家の手伝いをしていなかったので、この日は真っ直ぐ家に帰った。



「ただいま」

 珍しく定時に家に帰ると、店には客もいるし、注文のパンも作っているので、やはり忙しそうだった。

 急いで荷物を置いて手伝いに入ろうかと思ったら、母親がダンに言った。

「ダン。悪いんだけど、マッシュさんのとこに行ってきて!」

 隣のお菓子屋さんで、今は奥さんがいない。1歳の子をマッシュさんだけで見ているのだが、確か風邪っぽいとの事だった。

 この初夏に風邪という事は、もしかしたら「虚咳病きょせきびょう」かも知れない。


 「虚咳病」はアインザークの西沿岸部の気候のせいか、初夏に良く流行る病気である。

 乾いたような咳が続く病で、大人であれば一週間ほどで回復する。

 ただし年齢が小さいと、熱も出て、風邪に似た症状になり、咳を繰り返し消耗していく。年齢が小さいほど消耗し、最悪は死に至る。

 この「虚咳病」は数年に一度流行する特性がある。

 グラーダ国の医学研究により、現在は特効薬が開発されているが、昔は子どもを殺す病として恐れられていた。


 ダンは、虚咳病が今年は出て来ていると噂で聞いたばかりである。

 マッシュの子どもはまだ1歳になったばかりだ。虚咳病に掛かっていたならまずい。

 マッシュは、最近まではアインザークでも北部高原地方に住んでいたので、虚咳病の事を知らなくても不思議では無い。

 奥さんのブレンダは南部の出身である。

 

「わかった!」

 ダンは急いで隣の菓子屋「オードルジェ」に行く。

 店は開店していて、マッシュが客に対応していた。

「こんにちは。ジュリアの様子を看に来ました」

 ダンはそう言うと、マッシュの返答を待たずに、店の奥の部屋に向かう。

 その途中にも、「ケホッ、ケホッ」と小さく乾いた咳が聞こえる。

「ジュリア。大丈夫?」

 ジュリアは言葉は話せないが、そう声を掛けてジュリアが寝かせられているベッドに寄り添う。

 寝ているジュリアの額に手をやると、熱い。

 しかし、顔色は悪く、唇が青っぽくなっている。


「ダン。助かるよ」

 接客を終えたマッシュがやって来る。

「マッシュさん。ジュリアはいつから咳してましたか?」

「それなんだけど、もう5日前からなんだ。それで、昨日の朝、アルノルトさんに話したら『虚咳病』とかじゃ無いかって、薬を予約してくれたらしい」

 アルノルトはダンの父親だ。

「薬は今日届いているとは思うんだ。でも、店もやらなきゃいけないから、悪いんだけど、ダン。医者に行って薬を貰ってきてくれないかな?」

 ダンはホッとした。さすが父はよく分かっている。


 虚咳病は、数年に一度流行るので、常に薬がある訳じゃ無い。薬を作っているのは同じガイウスでも、最も栄えた港街「ブラウハーフェン市」である。

 しかも、一度流行すると、ガイウス周辺で多くの罹患者が出るため、薬が不足する。

 だから予約を入れて取り置いて貰わなければいけない。


 マッシュに薬の代金を手渡される。

 ヘルネ市で「医者」と言えば、冒険者ギルドの近くにある病院だけである。

 魔法は怪我には効くが、病気の回復は出来ない。だから、グラーダ国が医療研究をして、医者を多く排出してくれた事は、世界にとって大きな恩恵だった。薬の研究も製法も、全て無料で世界に発信してくれているのだ。


「急いで行ってきます!」

 ダンは、代金を受け取ると、店から飛び出した。

 病院までの距離は大した事は無い。「おもて通り」を200メートルも走れば冒険者ギルドが有り、そこから更に100メートルほど坂を登れば病院がある。

 

 ダンは病院までの道を走った。

 ダンは幼い頃に喘息を持っていたので、今でもあまり長い距離は走れない。それでも、懸命に走り、息を切らせて病院に駆け込んだ。

 胸が苦しかったが、ジュリアに早く薬を届けてやりたい。

 病院に行くと、多くの人たちが待合室にいた。

 ダンは、薬の受付に向かう。

「すみません。ケルナーですが、『虚咳病』の薬を予約していたんですが」

 そう伝えると、受付の男性は、険しい表情をして、帳面を見る。それから、眉間のしわを和らげて安堵のため息を付く。

「ああ、よかった。確かにあるね」

 そう言いながら、男性が背後の棚から薬を取り出す。

「急に虚咳病が流行ってねぇ。薬がもう無くなってしまったんだよ。次は明後日に入荷するから、昨日の午前中に予約した人の分しか無かったんだよ」

 男性の説明に、ダンはホッとする。父親が迅速に対応してくれたからだ。

 虚咳病の薬は、風邪症状にも効果があるので、虚咳病じゃなかったとしてもジュリアの症状は軽減されるだろう。

 それから医者に診せてもいい。だが、幼いジュリアは、もうかなり具合が悪くなっていた。明後日となるとかなり危なかっただろう。


 代金を受付の台に置くと、ダンは薬を受け取ろうとした。

 その時だ。

 ダンが受け取る前に、その薬を横から掴み取る手があった。

 ギョッとして、その手の主を見ると、エドだった。

「エド!?何すっ!!」

 言いかけたところでダンの頬に焼けるような痛みと、衝撃が走る。床に転がったところで、自分が殴られたのだと気づいた。

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