第6節 いつか芽生えたら
相変わらずご機嫌な様子でケイティにあれこれ話しかけているアイリスを見て、アレンはソファに深く腰掛けた。
アレンは背中をすっぽりと
――この学園では、こんな凄い人でも敗北を味わうんだな。
アレンは思う。
――魔法や魔術を使わずにクラーラ先輩を破ったカエルム先輩は、きっと特別すぎる存在だ。
あの試験を見る限り、それが研究戦であっても騎士戦であっても、どう足掻いたって魔法が使えないと不利になるのは分かりきっている。
いいや、違う。全ての能力が高くないと不利なんだ。
「……早く『あの技』を仕上げないとな」
アレンは口の中で小さく呟いた。
「そうね」
クラーラはアレンの視線に気が付いたのか、アレンに視線を合わせ、にっこりと微笑んだ。
クラーラは周りに聞こえないような小声でアレンに尋ねる。
「例の『技』の仕上がりは順調かしら。一昨日からあなた一人での特訓にしたけれど、どうかしら」
アレンは内心ぎくりとしながらも、無言で微笑む。しかし、クラーラの目は誤魔化せなかったようだ。
「笑って誤魔化すのはだめですわよ」
アレンはそっと目を反らす。
「正直、現段階で二割くらいでしょうか。あの、出来ればもう少しアドバイスを――」
アレンは今度はクラーラの紅と瑠璃の瞳をじっと覗き込み、指導をねだった。
しかし、クラーラは騎士俱楽部や二人での特訓の時と同じように、そんなに甘くはなかった。
「――駄目よ。引き続き一人で頑張りなさい」
「……そこをなんとか?」
「一人で頑張りなさい?」
にこっ。アレンに耳にはそう聞こえた。
アレンは手近にあったクッションを抱え、小さく項垂れた。
「はい……がんばります」
◇ ◇ ◇
サロン棟に静寂が訪れる。
自室に戻るアレンとアイリスを見送った後、サロンにはクラーラとケイティの二人だけが残った。
風に揺れるカーテンと夜灯の明かりが、物寂しい秋の夜を彩っていた。
クラーラとケイティは再びソファに腰掛けると、ケイティがクラーラの方を無言で見つめてきた。
「クラーラ。あの子たちは……――」
ケイティは何かを言いかけて、考え込んだように押し黙る。
「どうしたの? あなたが言い淀むなんて珍しいわね」
クラーラがけしかけるように言うと、ケイティはいつも通りの冷静な視線でクラーラを射抜いた。
それに促されるように、ケイティは今度はハッキリと言葉を口に出した。
「あの子たちは、自分たちのことをまるで学院の『部外者』みたいに話すのね」
「……そうね」
クラーラは彼らの普段の様子を思い浮かべ、目を伏せて微笑む。
アレンとアイリスは『サンクチュアーリオ学院の学生たちは凄い』と何度も何度も称賛する。
だがそれらの言葉からは、彼ら自身がその学院生であるという自覚が薄いように思えていた。
彼らだって学院生の一人であるにも関わらず、彼らはまるで自分たちが部外者のようにそれを語る。まるで、彼らは彼らの価値を分かっていないように。
クラーラは冷めてしまった紅茶に口をつける。
「あの子たちはきっと、自分に自信がないのよ。時間が解決してくれるのか、絶対的な実力と自信がついたらその自覚が芽生えるのか。それは分からないけれど、
ケイティの深緑の瞳は、胡散臭いもの見るようにクラーラを見めている。
「『助ける』……ね。だからあんなに彼らを気に掛けているのかしら。全校生徒に等しく『聖女』な貴女が?」
「そうね。それもあるわ」
クラーラはケイティの皮肉を一旦受け流す。
クラーラは別に平等ではない。ただそうありたいと思っているだけだ。
「でも帰属意識なんてものがなくても、別段困らないと思うけど」
「そうね。ケイティは
「それはどういう意味かしら」
少しだけ皮肉とからかいを込めた言葉に、ケイティは淡い苛立ちと疑問をぶつけてくる。
ケイティは人と必要以上につるまないし、とてもドライだ。それは彼女がこの学院に入るまでは、家の都合であちこちの土地を転々としながら暮らしてきたことと関係があるのだろう。
だけれど。
ケイティは外の世界で自分以外の他者と関わることを、少なくとも子供の頃から知っているはずだ。
ケイティは厳しいけれど優しい。だから研究棟の副代表でいられるし、皆から『特別な存在』だと敬遠されていたカエルムの右腕でいられる。
ケイティは優しいから、『一人きり』ではない。そして他者と一緒にいる温もりを知っている。
あの双子たちもその温もりを知り始めているし、無自覚かもしれないが、それを求めている。
「ケイティ。あの子たちはね、とっても淋しがり屋さんなのよ。いつも孤独で、自分たち以外の他者に心を開くことを、とても怖がっているの。あの二人は、そんな怖がりな兄妹なのよ」
クラーラの言葉に、ケイティは真面目な顔で返す。
「そう? 不思議ね。アレンは貴女の横でとても
クラーラはケイティの言葉に、ふふっと笑う。
――研究棟の『
流石はあのカエルムの子守役兼お目付け役を五年以上も続けている面倒見の良さだわ。
本心を言えば、ケイティとは高等部でもまた一緒に生徒会をやりたかったわ。
心残りはあるけれど、それは過ぎ去った時間だから。だからクラーラはケイティに笑顔を向ける。
「とっても可愛いでしょう? 私のお気に入りの子たちは。ケイティも気に入ったでしょう?」
クラーラが得意気に言うと、ケイティは目を細めてクラーラを揶揄した。
「……前から思っていたけれど、クラーラ。貴女、本当に年下が好きよね。まるで若い男を喰らい、若い娘の生き血を啜る『蛇女』ね」
ケイティの言葉にクラーラは珍しく慌てる。
「――ちょっと! 人聞きの悪いこと言わないで頂戴! それに……なんだか下品ですわよ!」
夜遅くにサロンで二人きりとはいえ、女友達の軽口に流石のクラーラもむきになった。しかし、頬を赤らめた後にすぐに冷静さを取り戻した。
「……私はただ、彼らに自信とか自尊心のような、人が生きるのに必要なものがいつか芽生えたらいいと願っているだけよ」
「『聖女気取り』もそこまで行くと、本当に立派よ」
ケイティとは長い付き合いだから、クラーラには分かる。
それは彼女なりの褒め言葉だ。
「もう! ケイティは本当に『いじわる』なんだから」
「ええ。性分ですから」
クラーラは頬を膨らませてケイティに抗議してみせるが、澄まし顔の彼女になんだか笑えてきてしまった。
――こうやって人を特別扱いしないで、私みたいな人間と普通に接してくれるところが、ケイティの優しさよね。私は時々カエルムに嫉妬してしまうわ。
「なんですか。その視線は」
「なんでもないですわよー」
クラーラはそう言ってケイティの腕に抱きついた。
女同士の夜は更けていく。
外では鈴の
◇ ◇ ◇
そして二日目の朝が訪れる。
アレンとアイリスたちはいつものメンバーと競技場に向かい、ちょうど選手用の入り口を潜ろうとする
生徒会役員で研究棟の二年生だ。
「おはようございます。蘭先輩」
アレンたちが挨拶をすると、こちらの声に気が付いた蘭が振り返る。
その動きに合わせて、裾を結わえた長い黒髪と、髪を結わえている飾り紐の青い石が弾んだ。
「おはよう。一年生のみんな」
蘭は試験勉強や訓練疲れなのか、その真面目そうな顔は心なしか疲れて見えた。
そんな蘭に同じ研究棟所属のセレーナと雛姫が応援を送る。
「蘭先輩、頑張ってくださいね! 応援してますから!」
「頑張って下さい。……私も応援してます」
雛姫はセレーナにぽんと背中を叩かれると、継ぎ足すように応援していることを蘭に伝えた。
見慣れない二人の静かなやり取りに、アレンとアイリスは小さく首を傾げた。
しかし、応援された当の蘭の嬉しさと申し訳なさを閉じ込めたような顔に、すぐに意識を持っていかれる。
「ありがとう。……折角応援してもらっているのだから、最善は尽くしますよ」
「「?」」
アレンとアイリス、そして風鈴は同時に首を傾げる。
蘭は二年生の研究棟首席のはずだ。それなのに、どうしてあんな「嬉しいけれど、無理を言わないで」みたいな顔をしているのか。
「それじゃあ、私は行くわね」
「行ってらっしゃい」
アレンたちが蘭に頭を下げて見送ると、蘭は小さく手を振りながら天幕の白い布を潜っていった。
「蘭先輩、顔色が悪かったですね。どうかされたのでしょうか」
アイリスが顎に手を添えて首を傾げると、フランが言いにくそうにしながら言った。
「うーんと……二年生はちょっと特別なんだ」
「特別って?」
アレンやアイリスから見れば、三年生の方が余程特殊な集団に見えるのだが、違うのだろうか。
「あーまあ見ればきっと分かるよ。というか見て欲しい……あの衝撃を」
「「???」」
アレンとアイリスはフランの思わせぶりな言葉にますます首を傾げた。
「『衝撃』……? ナニカ爆発するノ?」
そして同時に風鈴も首を傾げる。
「あ、うん。それは比喩表現よ。例えよ、例え」
「あーワカッタ。『驚愕』ネ」
「そうそう。それよ」
セレーナがすかさず風鈴のフォローをし、風鈴は別の疑問を解消して満足しているようだった。
アレンはやはり気になったので、隣に立つレオの方を見上げた。なにせレオにとって二年生は元同級生なのだから。
「なあ。レオ――」
「俺は何も言わないぞ。どうせ始まったらすぐに分かるんだからな」
レオもまた微妙な顔をしているが、フランと視線を合わせると悪戯を思いついたような笑顔になった。
「分かったよ……今聞くのは諦める」
「そうですね。楽しみに取っておきましょう」
アレンとアイリスは小さく肩を落としつつも、衝撃的な何かが見られるようなので、楽しみが増えた。
◇ ◇ ◇
――そして、本当に衝撃が訪れた。
「これは、確かに衝撃かもしれない」
「ですね……」
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