第5節 薄氷と悔しがり
[第三学年研究戦、第一位での通過は……]
学生解説員のチャールズの声が勝者の名を告げた。
[――――カエルム・アーティナス・キング! 研究棟首席の見事な勝利です!]
[カエルム君は圧倒的な知識力を見せつけましたね]
チャールズの隣に座るハーゲン先生の口元は僅かに綻んでいる。
[得点は驚異の満点! 百冊全てを正しい場所に戻しました! そして得点は一位通過の特別点を加えて百十点です!]
競技場内には祝福のファンファーレが花弁と共に舞っていた。
◇ ◇ ◇
決着は僅差で着いた。
空色の瞳は遠くを見つめていた。
灰色の髪は雲のようになびいていた。
「代表。ここで勝って油断しないでくださいね」
いつも隣から聴こえるその声にカエルムが一瞬視線を投げると、試験を終えたケイティが、カエルムの背後に立っていた。
ケイティの声は秋の風のような冷たさだ。
「君は変わらないね」
カエルムは再び正面に顔を戻してそう言うと、麗らかに微笑んだ。
ケイティは数歩進んでカエルムの横に並ぶ。
「いいえ、代表。変わらない人間なんていないですよ」
そう言うと、ケイティは薄氷のように微笑んだ。珍しいケイティの笑顔にカエルムは一瞬刮目する。しかし、それはすぐに笑みに代わった。
「……そうかもしれないな」
目を閉じて、空を見上げるカエルムはの表情は秋の日差しのように温かく優しいものだった。
◇ ◇ ◇
「それではこれより、第三学年個人戦――研究棟種目の試験結果を発表いたします」
観客席の対角線上に広がる階段舞台の前に三年生が整列する。
その表情は悲喜
「特別点が加算される第一位から第十位までの生徒の名前と得点を読み上げます」
「第一位。研究棟所属――カエルム・アーティナス・キング君。試験点百に特別点十を加え、得点は百十点」
「第二位は騎士棟所属――クラーラ・マクレール・フロールマン君。試験点百に特別点九を加え、得点は百九点」
「第三位は魔術棟所属――シン・クロウリー君。試験点百に特別点八を加え、得点は百八点」
「第四位は研究棟所属――ケイティ・ガルシア・クラーク君。試験点百に特別点七を加え、得点は百七点」
「第五位は研究棟所属――プレシア・モリアント君。試験点九十五に特別点六を加え、得点は百一点」
「第六位は研究棟所属――チー・ヴァン・グエン君――――」
◇ ◇ ◇
新人戦初日の夕食後。
サロンはその日の試験のことでいまだにざわめいていた。
アレンとアイリスも自分たちの試験の準備をしながら、その話題を持ち出していた。
ソファに腰掛け、膝の上で教科書を開くアイリスはうっとりとした目で、自分が目にした光景についてアレンに向かって熱く語っていた。
「ケイティ先輩の大魔法、本当にすごかったわ!」
「ケイティ先輩? 確か……本が一気に集まってくる魔法を使っていたな。あれは、何をしてたのかアイリスは分かったか?」
「うーん。分からない部分はあったけど、たぶん大体は……」
説明を始めようとしたアイリスは、何かに気が付いたように一点を見つめていた。
そしてアレンの羽織りの裾を引く。
「アイリス……?」
「アレン、折角だからご本人にお伺いしない?」
アレンを下から覗き込みながら、アイリスが手でその方向を示す。その先には、噂のケイティを含めた三年生の何人かが歓談していた。
アレンがそちらを見ると、アイリスはアレンの服からすっと手を放し、その方に歩いて行く。
「おい、アイリス……」
アイリスはアレンが呼び止めるのも聞かずに、見たこともない早歩きでケイティのいる方へと進んでいった。
「全く。魔法のことになると急に積極的になるんだからな」
アレンは薄く笑い、アイリスの背を追いかけた。
「ケイティ先輩!」
アイリスが向かった先には、一つ目の試験を終えた三年生たちが寛いでいた。否、寛ぐというよりも、ある意味で盛り上がっていた。
「くやしい……くやしいい……悔しいですわ!!!」
三年生の一団の中心には、毒々しい気を放っている人物がいた。本日の三年研究戦で首位のカエルムと僅差満点で第二位の成績だったクラーラだ。
周りにいる何人かがそんな彼女をなだめていたり、見ないふりをしてお茶を飲んで寛いでいたりする。
クラーラは備え付けのクッションの形が、しっかりと歪む程にそれを抱きしめており、声が響かないようにそのクッションに向けて叫んでいた。
「なんてことですの……。速さで私が負けるだなんて……!」
「クラーラ先輩……?」
アイリスはそう呼びかけるも、只ならぬ雰囲気に足をピタリと止める。そして両腕を緊張させながらピンと下ろした。
「なんて……ことですの…なんてこと…」
クラーラにはアイリスの小さな呼びかけは届かなかったようだ。なおもクッションに向かってぶつぶつと呟いていた。
「……今度こそ。今度こそ、研究戦であのカエル厶を負かせられると思っていましたのに……! 前回の団体戦ではやってやりましたのにっ……!」
アレンは取り乱すクラーラを数秒見た後、隣に立つアイリスを見る。
アイリスはなおも石のように硬直している。だから、アレンが一歩進み出る。そして固まってしまったアイリスの代わりに、アレンが少し大きめの声で呼び掛けた。
「クラーラ先輩」
「――っ」
クラーラの肩が揺れた。
その揺れは、アレンの隣に立つアイリスの硬直を解いた。
「クラーラ先輩……?」
「――……」
アイリスの再びの呼びかけにクラーラの肩が再度揺れた。
そして。
「クラーラ、後ろ。貴女のお気に入りの子たちが来てる」
冷静な声で強制的にクラーラに現実を突きつけたのは、ケイティだった。
ケイティはサンディブロンド色の長い前髪を耳に掛け、ティーカップを手に取る。
優雅なケイティがカップに口をつけると、クラーラは
振り返った彼女の顔は気まずそうだったが、瞬間でいつものクラーラの優美な表情に戻る。
「あら、アレンさんにアイリスさん。……これは、失礼いたしましたわ」
クラーラはこほんと咳払いするが、何も誤魔化せていない。彼女は普段の穏やかさからは想像できないような、荒ぶる様を時折見せてくる。
彼女はそういった面を後輩に見せるのをどうも嫌がっているようだったが、アレンは完璧な彼女の人間らしい所が見えて良いと勝手に思っている。
アレンはとりあえず聞こえてきた会話から状況を察し、話を振ってみることにした。再び荒ぶらないことを願いながら。
「試験お疲れさまでした。お疲れのところ申し訳ありませんが、少しその輪に混ぜていただいてもよろしいですか」
「ええ、構わないわ。どうかしたのかしら」
クラーラは澄ました顔をしているが、正直今更だ。
「実は妹が――」
アレンが要件を話そうとすると、アイリスはアレンの袖を引いた。
アレンは何かと思って見下ろすと、アイリスが意気込んで目をぎゅっとつぶりながら半ば叫ぶように言った。
「――あのっ! 実は私、ケイティ先輩とお話がしてみたくて!!!」
◇ ◇ ◇
「『白銀の姫君』が、私とどんなお話がしたいのかしら」
周りが驚きながらアイリスを見ている状況で、ケイティは気配を動かさない。ケイティはティーカップをソーサーに戻し、その若葉色の瞳でアイリスを窺うように見つめている。
アイリスはごくりと唾を呑む。
「えっと、今日の試験でケイティ先輩が使われた魔法のことをお聞きしたいのです」
「……そう。隣に座りなさい」
一拍の後、ケイティは空いていた自身の座っている横をぽんと叩いてアイリスに着席を促した。
どうやらアイリスと話をしてくれるようだ。
「ありがとうございます……!」
アイリスは興奮を抑え、ケイティの方に体を向けたまま、柔らかいソファに腰掛けた。
アレンの方を見ると、クラーラと何か話をしているようだった。
アイリスが視線を戻すと、ケイティは口を開く。
「貴女は、あの魔法がどういうものだと思ったのかしら」
アイリスは問われた通りに自分の考えを伝える言葉を探した。
「あれは……『同じもの』を探す探索魔法の応用でしょうか。『
ケイティはアイリスの回答に肯定も否定もせず、静かに紅茶を飲んでいる。そして視線で先を促した。
「私はあれほどの精度の探索魔法を、見たことも聞いたこともありません。考えてはみたのですが、あの精度の理由が私にははっきりとは分かりませんでした」
「でも、考えはしたのね」
ケイティはアイリスの藍玉の瞳をじっと見つめている。
「……はい。周りの方々のお話を聞くところ、魔力だけで解決できるような試験の仕組みになっていないはずなので、『知識量』によるものなのだとは思いました。たぶん、一度に色々な因子を検索しているのだと」
「そう。そこまで分かっているのなら、一年生としては上出来すぎるくらいよ。――だから、特別に教えてあげるわ。私のところに質問しにきた勇気も讃えてね」
ケイティはその瞳の奥に好奇心を潜ませながら、良く見ていないと分からないくらいに小さく笑んだ。
ケイティは視線を上げて、アイリスの正面に座るアレンに問いを投げた。
「アレン。本が持っている情報には、どんなものがあると思う?」
クラーラとアレンの会話は、知らない間に終わっていたようで、クラーラもこちらをじっと見つめている。
「――本の内容でしょうか」
アレンは悩みながら答えた。
「そう。それが一番大きい情報量」
「では、アイリスさん。他には何があると思う?」
「えっと……。……? もしかして……――っ!」
ケイティは再び顔を向けられ、アイリスは考える。そして気が付いた。
「装丁や、使われている紙の材質、インク、そういったものも全てでしょうか」
アイリスがはっきりと答えると、ケイティは満足そうに頷いた。
「分かったみたいね」
「はい。……そういった
「全て……? すごいですね……。そんな細かいことが魔法でできるんですね」
アレンは驚愕の表情を隠さない。気持ちは良く分かる。
「本当に凄いです! そんな大魔法もそうですけど、それを可能にするケイティ先輩の持っている知識量――情報量と言うべきでしょうか。確認ですが、『
アイリスは驚愕を抱きながらクラーラの方を見た。
「ええ、そうですわ。あれは貴女が言ったとおり、知識を問う試験ですから」
「やっぱり……」
「……?」
アレンはアイリスとクラーラのやりとりに首を傾げている。
アイリスはケイティの本当の凄さをアレンに伝えたくて、アレンの方に身を乗り出す。
「つまりっ! 探索に使った本の情報は全部ケイティ先輩の頭の中にあったのよ!」
「え……?」
「それができているからケイティ先輩は満点だったのよ。あんな大魔法を使えること自体がすごいのに、その上知識量もすごいのよ? 一位じゃないことが不思議なくらいよ」
「……本当だな」
アレンは少しだけぞっとした。
しかし、ケイティはそれが驚異的なものだと思っていないようだった。
「そのくらい、代表もクラーラもシンも持っている知識だわ」
ケイティの返答にクラーラは片方の眉を僅かに押し上げた。
「嫌ですわ。私は流石に内容全部や紙の材質とかインクなんて細かいところまでは覚えていませんわ。そういうのを覚えているのは、カエルムとケイティくらいでしょう」
「いや。本の内容を覚えているだけで凄いですよ」
アレンはクラーラの言葉に思わず指摘を入れてしまう。
「あら、でもいずれ貴方もそういうことが出来ないといけなくなるのよ、アレン? というよりも出来るようになりなさい」
「……うっ」
アレンはクラーラに難題を課せられて小さく呻き声を上げた。
クラーラはどうもアレンを気に入っていて、レオやフランが言うところの「しごき」をされているようだった。
アイリスは自分より高い位置にあるケイティの若葉色の瞳を見上げる。
「でも、あんなにすごい魔法を使える方が、研究棟所属なんですね」
「本当にこの学院の人たちは多彩ですね」
アイリスとアレンがクラーラやケイティをはじめとした、この学院の生徒たちの能力の高さに改めて感心していると、クラーラが面白い話を思い出したように言った。
「あら、ケイティは元々魔法魔術が得意で魔術棟志望でしたのよ。カエルムに絆されて研究棟に鞍替えしましたの」
「絆されたわけではないわ」
紅茶を飲みながらも即座に否定の言葉を吐き出したケイティは、クラーラに冷たい視線を向けている。
「あら、本当にそうですの?」
クラーラとケイティが視線でなにかをやり合っている。
アレンはクラーラとケイティの攻防を遮るようにわざと話題を逸らした。
「……カエルム先輩って全然サロンで見かけないですけど、自室にいることが多いんですかね」
「ああ、まあそうですね。居るときは居ますよ。……でも、代表はもう就寝されていると思いますよ」
「早い、ですね?」
アレンが聞くと、ケイティは溜息を吐いて言った。
「代表は幼稚園児並みに早寝なんです。そして老人並みに早起きなんです」
「「そ、そうなんですねー……」」
アレンとアイリスはまだ話もしたことがない研究棟首席の情報を、一つ知ってしまった。
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