第4節 何度でも生まれ変わる大樹
「この試験、カエルム代表は当然一位ですね」
試験が始まるとともに、ケイティはいつも通りの無機質な表情でそう呟いた。
研究棟次席のケイティ・ガルシア・クラークは、研究棟首席のカエルムを信じていた。
正確には、彼の能力を信じていた。
ケイティにとって、カエルムは――『完璧』だ。だからケイティはカエル厶に『完璧』を求める。
容赦なく、求めるのだ。
◇ ◇ ◇
ケイティとカエルムの出会いは、ケイティたちが中等部に入学したときになる。
ケイティがサンクチュアーリオ学院にやって来たのは、中等部入学のときだった。
「本日はこのような素晴らしい式を、僕たちのために執り行っていただき、ありがとうございます」
その入学式で新入生代表挨拶をしていたのが、首席で入学したカエルムだった。
初等部もこの学院で過ごした彼は、新入生というよりも在校生のように堂々と代表挨拶をしていた。
――随分と場慣れしてるのね。
そんなことを何の感慨もなく思いながら、ケイティは冬の空を思わせる灰色の髪の少年を見つめていたことを覚えている。
カエルムと初めて言葉を交わしたのは、入学式が終わってから少し経った、初めての魔術史の授業後だった。
「ケイティ君。君はなかなか見どころがあるよ」
一人静かに教科書を片付けていたケイティに、彼はそんなふうに唐突に話しかけてきたのだ。
「はあ。それはどうも」
このときからケイティはカエルムに冷たかったが。
「冷たいな……」
そんな風に淋しげに呟く彼に、ケイティは何となくもっと冷たくしたくなった。
「……ところで、貴方はどちらさまですか?」
新入生代表の彼の名前くらい物覚えの良いケイティはとっくに知っていたが、何故かそう聞いていた。
カエルムはケイティが彼の名前を覚えていないことも、無愛想な態度も責めることはなく律儀に自己紹介をした。
「僕はカエルム・アーティナス・キング。君と同じ
彼は自己紹介を終えると、すっと右手を差し伸べてきた。
握手を求められたのだ。
「はあ」
ケイティはやはり冷たい態度だったが、それでもカエルムの求める握手に応じた。
「よろしく。ケイティ君」
「……よろしくお願いします。……委員長」
それがケイティとカエル厶の出会いだった。
◇ ◇ ◇
それからのカエルムも、ケイティに何かと構ってきた。その度にケイティは冷淡な態度を取ったが、彼はめげずに何度も話しかけてきた。
そして一年の最初の試験が終わると、カエルムは中等部の生徒会に入ると言い、成り行きでケイティも生徒会に入ることになった。
そこでケイティは隣の教室所属のクラーラとシンと交流を持つことになる。
その頃の二人は今とは少し違う二人だったが、それはまた別の機会にでも語ろうかと思う。
気が向けば、だが。
中等部二年の終わり頃になると、カエルムは中等部の生徒会長になった。
そしてケイティも生徒会に誘われたが、「面倒だ」と断ったりしたりしたが、やはり成り行きで副会長になった。
その頃にはケイティの言葉数も増え、カエルムに対して容赦のない軽口を叩くようになっていた。
そしてカエルムもまた、大分面白い性格に仕上がっていた。
「会長の書いた論文が学会誌に発表されたそうですね。おめでとうございます」
「――っ……なんてことだ! ケイティ君が素直に僕におめでとうと言ってくるなんて……!」
カエルムはそう言って感激しながらも、警戒するようにケイティを見た。
「私だって最低限の礼節くらい守りますよ」
「最低限……か」
「ええ、最低限です。まあ、でも素直に凄いと思いますよ。流石、我が学院が誇る神童ですね」
「そうなんだよ。そうなんだよ。ほら、僕って天才だろう?」
冗談めかしながら、彼はそう言う。
しかし、それはただの事実だ。そんな事実を言っただけのカエルムは、なぜか照れたように頬を赤らめていた。
「ええ、そうですね。その発言は馬鹿みたいですが」
「君って本当に酷いよね……」
カエルムは半泣きでケイティを見つめる。しかし、ケイティは容赦なく責める。
「何を仰っているんですか? 馬鹿と言うと喜ぶじゃないですか。会長は」
「そんな……まるで僕が変態みたいじゃないか……」
「何を仰ってるんですか。れっきとした変態でしょう?」
「そうか……僕は知らず知らずの内に、変態の道に進んでいたのか……」
カエルムはなぜかそう言って空色の綺麗な瞳を潤ませ、項垂れていた。
◇ ◇ ◇
ケイティたちが高等部に上がる直前、ケイティたちの周囲には変化が訪れていた。
常に成績首位を守っていたカエルムが次席に転落したのだ。その出来事は、当時の中等部では大事件だった。
カエルムは別に試験の成績を落とした訳ではない。
サンクチュアーリオ学院の難しい試験で、カエルムは変わらず満点もしくはそれにほぼ近い驚異的な点数を取り続けていた。それを転落と呼ぶには、
しかし、それでも新しい絶対的王者が君臨したのだ。
それが――クラーラ・マクレール・フロールマンだった。
カエルムも完璧な成績だったが、クラーラの成績は完璧
満点が百点の試験があれば、彼女は百二十点の成績を取る。そういうことが続いた。
ちなみにケイティの成績は現在第四席で安定しているが、この頃は第四席から第六席の間の成績を往復し続けていた。
そしてそんな大事件の後、高等部で所属する棟の希望を出す最終期限が近付いたある日。カエルムはケイティにこんなことを言った。
「ケイティ君。君はやはり魔術棟に入るんだろう?」
「ええ、まあ。私はそちらが得意分野ですからね」
ケイティは休日のサロン棟のソファで本を読みながら、視線も上げずにそう答えた。
「……そうか。高等部では君とは今程一緒に授業を受けられないんだね」
そう言うカエルムの声は、取り残された子供のように、とても寂しい声だった。
「それは基本的には三年生になってからでしょう」
「でも新人戦も卒業戦も敵同士だろう。……寂しいな」
カエルムは冷静な風貌に似合わず、とても寂しがり屋なことをケイティはこの三年間で良く理解していた。
そして――――
カエルムに「寂しい」と言われて、ケイティはカエルムの隣にいない自分を思い浮かべてみた。
それは確かに違和感がある。もしかしたら、それは言い換えれば、『寂しい』という事なのかもしれない。
下らない事をカエルムと語り、彼をからかって振り回す。それらの時間は、存外ケイティにとっては心地良い日々だったのかもしれない。
ケイティは一人が好きだし、基本的に人とはつるまない。だが、この学院に来てからはなんだか賑やかな日々だったと思う。
それはきっと、カエルムがいつも隣にいたからだ。
ケイティはこの時はじめて顔を上げた。
見つめる先の青色の瞳。例え
だから不覚にもケイティも揺らいでしまったのだ。
「……では、私も会長と同じ研究棟に入ることにします。幸い成績も悪くありませんし、入り損なうことは無いでしょうから」
ケイティは気が付けばそう言っていた。何となく、そう言っていた。
「いやいや……! 何を言っているんだい、ケイティ君! すまない……ただの冗談だよ……」
彼は少し焦ったように、それでいて「君も冗談だろう?」と苦笑いしながら言う。
しかしケイティは頭を緩やかに振った。
「いいえ、たった今、私は心変わりをしました。ですので――」
ケイティは不敵な笑みを浮かべた。
「私を
◇ ◇ ◇
ケイティは淡々と詠唱する。
「木々よ 花々よ
本当はケイティは学術よりも魔法や魔術が得意だ。
だから研究棟に入ったからといって、その才を捨てたわけではない。
ケイティはカエルムに完璧を求める分、自分に妥協をしたりしない。
ケイティの詠唱と共に、『花』を収めた本は番となる透明な『花』の本――探し求める百冊の本を呼び寄せた。蝶が羽ばたくように、その百冊の本が宙を舞う。
そしてそれらはケイティの足元に積み上げられた。
まるで自分を選んでほしいとでも言いたげにふわふわと泳ぎながら。
◇ ◇ ◇
半年前の高等部二年の後期考査――卒業戦をケイティは思い出す。
あの時、研究棟は最下位を演じた。決着は僅かな差だった。
個人戦でカエルムはクラーラと同点で一位だったのだ。それでも団体戦で研究棟が敗れたのだ。
『研究戦』で、研究棟が騎士棟に敗北したのだ。
専門の棟ではなく、他の棟が勝つ。それは時々起こることだ。この学院はオールラウンダーが多い。
ケイティのように最も適性のある棟ではない棟に所属している学生も稀にいる。
しかし、あの時の敗因はただひとつ。
クラーラ・マクレール・フロールマンより研究棟生が弱かったのだ。ただただ、騎士棟所属の才媛――クラーラが強かったのだ。
その年の三年生も相当に優秀だった。しかし、クラーラという圧倒的な力の前ではそれは霞みさえしたのだ。
卒業戦が終わったとき。この
「――――僕は怒っているんだよ。自分自身に」
あの黄昏の空は、彼の表情を上手に隠していた。
ケイティは今でもその情景が網膜に張り付いて離れないままだ。
◇ ◇ ◇
――私はカエルム代表の右腕だ。
「委員長」「会長」「代表」
たとえ呼び方が変わっても、それだけは変わらない。だから――
「
◇ ◇ ◇
カエルムは庭園図書館の天井を仰ぎ見る。
「――これで負けたら、ケイティ君に笑われてしまうね。それに、ここで勝たなければ優勝はもう無いんだよ」
そう言いながら、カエルムは百冊目の――最後の『花』を収めた。
その瞬間、庭園図書館のある空間は自動的に閉じ、カエルムは
そこに立つカエルムに豪雨のような歓声と拍手が打ち付けられた。
カエルムは心を落ち着かせるように、その空色の瞳で辺りを見渡す。
緑の芝生の上。カエルムが
カエルムは勝ったのだ。
笑みを隠せない。
「――ははっ! 僕は今度こそ、きちんと『完璧』に勝ったよ、ケイティ君。……君は褒めてくれるかな?」
完璧を求められるから。だから、カエルムは完璧になれるのだ。
ケイティがカエルムを突き上げるから、カエルムは立っていられる。
それが彼らの絆だ。
そして、今の研究棟はそんな彼らの絆を柱にした一本の大きな樹と成っている。
一見、その大きな樹の葉と枝は、それぞれ好きなように伸びているように見える。
しかし、それらは意味ある形で繋がっている。
カエルムという大きな幹。
ケイティという深く揺るがない根。
そして枝葉は伸びて光から栄養を得て、樹を支えるのだ。
いつかは幹も根も枝も葉も、その役割を担う者は変わるだろう。
元々は小さな若芽から育ったその大樹は、代替わりをしながら年輪を重ねてきた。
何度でも生まれ変わりながら。新しくなりながら、その歴史を重ねていく。
研究棟はそんな一本の樹だ。
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