第2節 夏の終わりの
緑の木々を抜けると、海岸線が目に入ってくる。夏も終わりが近付いているとはいえ、太陽が燦々と照り付けていた。
「眩しいな」
アレンはその眩しさに思わず目を細める。
木立を抜けた先、遠くに白い砂浜が見える。その更には奥に美しいエメラルドグリーンの海が広がっていた。
それは同じ海とはいえ、アレンとアイリスが入港したウィンデルベルグ島の玄関口であるカナロア港とはまた違った海の景色だった。活気のある港街と比べてその海は静かで、自然のままだ。
海に至るまでの道は周囲を芝生の緑で囲まれており、海岸線に向かって曲線をいくつも描いて伸びている。
アレンたちはその道を歩いて海に向かっていた。
「この先にあるのが学院関係者のための保養所の
そう案内するのはクラーラだ。白いフリルのワンピースを身に纏い、白いリボンで飾られた麦わら帽子を胸に抱き、上機嫌そうに一行の先頭を歩く。
その一行には、クラーラとシン、アレンとアイリス、レオ、フラン、雛姫、セレーナ、風鈴の九人が参加していた。
クラーラはアレンとアイリスのお茶会に乱入すると、あれよあれよという間に人を集め、海に向かい始めた。
突然の出来事にアレンもアイリスも面食らったが、行ったことがない浜辺に行くということで、まんまとその誘いに乗った。
アレンは歩きながら周囲を見渡すと、白で統一された建物がぽつぽつと点在して建っているのが見える。
「あの建物はなんですか?」
アレンはその中の一つを指差すと、アイリスに張り付いている雛姫が答える。
「あれは学院関係者の住居よ。一部の教員も住んでいるのよ」
「それで魔術障壁が沢山重なっていて強固なんですね」
アイリスが分析すると、雛姫が呟くように言う。
「……アイリスさんには魔術障壁が、そんなにはっきりと視えているのね」
前方を歩くクラーラが物欲しそうな目でアイリスを見つめるのを見て、アレンは慌てて話題を逸らす。
「あっ、じゃあ、あの一番大きな建物はなんですか?」
――クラーラ先輩は本気でアイリスを騎士棟に誘い込もうとしている気がするんだよな。
クラーラはアレンの考えを読んだのか、つまらなそうに口の端を一瞬きゅっと下げた。シンは何故か「良くやった」という目でアレンを見つめ、小さく頷いた。
「あれは学院長の家よ。……あまりいらっしゃらないみたいですけれど」
まるで良くそこに行っているようにクラーラは答える。
少し黒い感情が乗っているのは、新年度前の休暇中に生徒会長の彼女と副会長のシンが学院長に仕事を押し付けられていたことと関係しているのかもしれない。
「そ、そうなんですねー。やっぱり迎賓館も兼ねているから大きいですねー」
フランはクラーラの雰囲気を敏感に察知する。 慌てて再び話題を逸らし、それにレオが慌てて乗った。
「いやー、ほんとでかいですねー。それにキレイですねー。俺の実家なんて弟たちが――」
それ以降は平和に和気あいあいと白い砂の道を進んでいき、気が付けば遠目に見えていた砂浜に辿り着いた。
◇ ◇ ◇
「はあー……気持ち良いなー」
「はあー……気持ち良いわー」
アレンとアイリスは思わず背伸びをして、その空気を身体の深いところまで吸い込む。深く吸い込んだ空気を押し出そうとした時。
アレンの隣をクラーラがまるで風のように駆け抜けていった。
蜂蜜色の豊かな髪をなびかせたクラーラは、アレンとアイリスの十歩以上も先の場所にあっという間に飛び出していく。
そして、身体を前に折り曲げるようにして――彼女は叫んだ。
「これこそ! これこそ!! 本物の夏ですわー!!!」
全員がその声にぎょっとする。
しかし、クラーラはその激しさを一転させ、白いフリルのワンピースを優雅にふわりと舞い踊らせ、回転した。
そして、悟りを開いたような慈悲深い眼差しでこちらを振り返った。
「見なさい、シン。青い海に白い砂浜ですわよ」
「そうだな、フロールマン」
クラーラ・マクレール・フロールマンが語りかけるその先には、何とも夏が似合わない男が立っていた。
海には似合わない上下黒の服に濡羽色の髪、彼の冷静さを象徴するような漆黒の瞳。
真っ白なフリルのワンピースに明るいブロンドの髪のクラーラとは対局の色だった。
騎士棟の代表であるクラーラに対して、魔術棟の代表であり、サンクチュアーリオ学院
「これですわ!
クラーラは叫ぶ。
「…………」
シンは無表情で、黙って深く頷く。
漆黒の瞳の奥にある感情の色は見えづらいが、彼はクラーラと同じ気持ちらしい。
「休暇中も生徒会の仕事と訓練に明け暮れ、実家の両親や兄たちは旅行に出掛ける中、私だけが置いていかれたわ! 私だってバカンスを楽しみたかったわ!」
本音が次々とこぼれ落ちる。彼女は随分と苦労性のようだ。
優秀すぎる分、期待されることも多く、そしてそれに応えようと努力する彼女には息抜きが必要なのだろう。
クラーラを休日に見かけても、制服や訓練用の服を着て、忙しそうにしていることがほとんどだ。
しかし、今日の彼女は完全に休暇の装いをしている。それは彼女の「今日は休む」という意気込みの表れなのかもしれない。
「あの、シン先輩。ところでどうやってここの使用許可が降りたんですか? ここ、学生は基本的に立ち入り禁止ですよね」
フランがこそこそとシンに問いかける。
フランの姉のメアリが生徒会役員であるため、フランは学院の事情やルールに詳しい。そんなフランにシンは至極真面目に説明をする。
「学院長と裏取引をした」
取引という言葉にアレンは思わず反応してしまう。
「取引……ですか?」
アレンが話に加わると、シンはその場にいる一年生たちに何かあれば口裏を合わせろとでも言うように事情説明をする。
「訓練という名目で、借りた」
「なるほど」
「へえ、『名目』なんですね」
アレンは素直に頷くが、レオが悪い顔を笑う横顔が見えた。
そして、いつの間にかその背後に目をギラつかせているクラーラが立っていた。
「ええ、そうよ。毎時毎分毎秒ずっと働き続けることなんて、人間にはできなくってよ! いいじゃない! たまには仕事も訓練もさぼって遊んでみたって! たった一日のことじゃない! だって私、学生らしいことを何一つしていないわ! 常に何かの業務や雑務に追われ、学院長たちを追いかけて駆けずり回って、このまま私の学生生活最後の夏が終わるというの!? どうしてかしら!? こんなに海は輝いているというのに!!!」
クラーラの本音が
その剣幕に、レオが思わず吹き出す。そして放った一言に全員の背筋が凍った。
「はは! そんな、年寄り臭いこと言わないでくださいよ、クラーラ先輩」
――チャキリ。
レオの額につるりと冷たい汗が伝う。
レオの首筋には目にも止まらぬ速さでクラーラの長剣が突きつけられていた。
その刃が太陽光を反射してキラリと光る。
帯剣しているようには見えなかったが、どこからともなくその剣は現れていた。
アイリスは周りの状況を把握していないのか、アレンの横で目を輝かせている。だからきっと急に剣が現れたのも魔法の一種なのだろう。
「安心してくださいませ? 斬ったり
クラーラはあくまでも笑顔を崩さない。それが余計に怖かった。
――「一体、何をどう安心しろというのか。打撲でも十分痛いぞ」というレオの心の声が聞こえてくるようだった。
レオは強い心で何とか持ち直したのか、必死で言葉を選び出す。
「いやー、あの大人っぽいクラーラ先輩でも年頃の乙女らしいことを仰られるんですね!!! でも折角の美人の夏が、仕事と訓練で終わるなんて、確かにもったいないですよね!!!」
レオは暑さのせいだけではない大汗を掻きながら、クラーラの顔色を窺って必死になって弁明をした。
そんなレオを見て、クラーラは笑顔で小さく溜息を吐く。そして無の表情になる。
レオが大きく喉を鳴らすと、その首元に当てられていた剣が消えた。
残滓のような光がちらちらと散っていき、クラーラはそれを払うようにした。
「……言葉には気をつけなさい、レオナルド・ブラウン。破滅しますわよ?」
最後に冷たい声でそう言うと、クラーラは静かにレオの背中を突き飛ばした。
レオはよろけて前のめりになったものの転びはせずに、クラーラから離れた距離に一目散に逃げていった。
「怖い…って」
隠れるように言うレオは完全に青ざめていた。
しかし。
「今のはレオナルドくんが完全に悪いです」
それまで黙って状況を見守っていたセレーナが、やたらと大人びた顔でレオに呆れて見せた。
そして、クラーラを励ますように一年生の女性陣がクラーラに近寄り、順番に声をかける。
アイリスはクラーラの手を握る。
「あの……クラーラ先輩、それにシン先輩も。私に何か出来ることがあれば仰ってください。先輩たちもたまには沢山息抜きしてください。今日は沢山遊びましょう!」
風鈴は鞄の中からごそごそとお菓子を取り出し始める。
「クラーラセンパイ、シンセンパイ、負けないデ! 今日は甘味たくさん持ってきたカラ、一緒に食べまショウ」
雛姫はクラーラとシンに深く頭を下げる。
「クラーラ先輩もシン先輩も大変なんですね……。私も今まで実技の時間とかでたくさん問題起こしてごめんなさい。その件で色々と大人たちを説得してくださったって聞いています。本当にありがとうございます。これからはなるべく問題を起こさないようにします」
セレーナはぐっと両拳を胸の前で握り、意気込んで見せる。
「勿論、私も力になれることがあればお手伝いしますね。私も新人戦が終わったら生徒会に入る予定ですし、一緒に働くのは短い期間ですが、先輩方のお仕事が少しでも楽にように頑張りますね」
「聞きまして、シン! 天使たちがいますわよ!」
クラーラの歓喜の声を合図に、海鳥が空を飛んでいき、太陽と重なって白く染まる。
クラーラの瞳にはうっすらと涙が滲んでいるように見えた。その足元では、兄妹猫のマイルとポンドがそれを慰めるようにミャーミャーと鳴いていた。
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