第1章 幕が上がる
第1節 ふたりきりのお茶会
――生きる道はきっとある。
『呪い』を解く方法を探すこと。
情報を得る手段や
踏みつけにできないくらいの存在になること。
世界に必要な存在とされること――
それが今のアレンとアイリスに必要なこと。
必要なものをひとつひとつ埋めていくこと。出来ることをひとつひとつ増やしていくこと。力をつけること――
それが今のアレンとアイリスに出来ること。
◇ ◇ ◇
中央中立地域最高峰の教育機関であるサンクチュアーリオ学院は二期制で、秋と春にそれぞれ試験が行われる。
秋に行われる試験は旧称『秋期総合考査』――現在は『新人戦』と呼ばれ、春に行われる旧称『春期総合考査』は『卒業戦』と呼ばれる。
実践的な能力を育むことはサンクチュアーリオ学院の創立当初からの理念であり、試験内容が時代と共に変わっても、そこだけは百年近い時を経ても変わらない。
試験期間はひと月にも及び、その前半は全員参加の『個人戦』、後半は研究棟・魔術棟・騎士棟の各棟から選出された代表選手同士が競い合う『団体戦』が行われる。
それぞれの学生がそれぞれの分野でそれぞれの才能を示し、その才を測られる。
そして、本人が望めば試験結果を就職活動にも使える。年二回行われる実践的な試験で結果を残せる――そういった人材は中央中立地域に留まらず、世界各国の各機関で重宝されるからだ。
そういった就職事情を置いておけば、開催される期間が『新人戦』も『卒業戦』もそれぞれ秋と春の祝祭月と重なること、実践的な試験が競技観戦の様相を呈すこと、三つの棟同士で『ご褒美』を巡って点数を競い合うという点で、学生たちにとっては試験でありながらも『お祭り』となる。
アレンとアイリスたち新一年生が初めて受ける試験である『新人戦』は、聖域の中心地であるウィンデルベルグ連合共和国における収穫祭の一か月間に行われる。
――今の季節は夏。しかし、それは少しずつ終わりに近付いていた。
学院生たちは様々な色の想いを募らせて、
◇ ◇ ◇
それは『新人戦』の団体戦選手登録締め切りが間近に迫っている休日のことだった。
サンクチュアーリオ学院の大庭園の奥にある小さな広場では、歴史を感じさせる白い噴水が晩夏の陽射しを受けて飛沫という光を散らしていた。
西大陸の大国であるマーレ皇国の秘された皇子アレンと皇女アイリスは、本格的に新人戦の準備が始まる前の束の間の穏やかな休日に、秘かにお茶会をしていた。
それは久方ぶりのふたりきりのお茶会だった。
風が吹き抜ける木陰に白いガーデンテーブルにティーセットを並べ、シルバーブロンドの双子は穏やかな朝を楽しんでいた。
鮮緑の葉は柔らかく擦れ合い、テーブルの上の置かれた白いクロスに映った木漏れ日が揺れる。
小さなお茶会の給仕役は兄のアレンが務め、そんな様子を妹のアイリスが楽しそうに眺めていた。
アレンはアイリスの傍らに立ち、琥珀色の紅茶を白磁のティーカップに注ぐと、そっとアイリスの前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとう、アレン」
アレンは柔らかい白いシャツに踝が見える丈の灰青色のチェック柄のパンツを合わせた少年らしい格好で給仕をしていた。
普段は整えている髪も今日は素のままに下ろし、普段学院で過ごすときよりも少し幼く見える。
そんなアレンが給仕をしている姿は、少しアンバランスでいて、しかしその少年らしさがどこか型にはまっていた。
アイリスは向日葵色のギンガムチェックのワンピースドレスを着て、板についた「お客さん役」をやっている。
中央中立地域で夏場の衣装用として好まれるという木綿と麻を混ぜた布地で仕立てたワンピースは風を良く通し、軽やかでいて涼し気だ。
腰までかかる長い髪は左右で分けて緩く三つ編みにされている。その尾はワンピースと揃いの向日葵色のリボンで飾りつけられており、このお茶会に彩を添えていた。
アレンが給仕を終え、席に座ると、アイリスは「いただきます」とカップに口をつける。
アイリスが紅茶を一口含んで再び目を上げるとアレンは笑顔でアイリスに感想を問いかける。
「どうだ、美味しいだろう」
「うん、すごく美味しいわ。それにすごく懐かしい味がするわ。アレンったら、皇宮からわざわざ紅茶を持ち出してきてたの?」
アイリスは懐かしむような笑顔でアレンに問いかける。
半年前までは当たり前にこうやってふたりきりの小さなお茶会を楽しんでいた。しかし今は、それが何だかとても遠い昔のことのように感じられる。
「いや、セレーナさんに売ってもらったんだよ」
「セレーナさん?」
アレンが
だからアレンは嬉しそうにその紅茶を手に入れた経緯を語った。
「セレーナさんの家は貿易商なんだってさ。前にちょっとご馳走になったんだけど、俺も懐かしいって思ったからアイリスも懐かしいって思うかなって」
なんとなくそうした方が良いような気がして、アイリスが雛姫と喧嘩していたときにセレーナと二人で密かに話をしたことには深く言及しないでおくことにした。
「うん、懐かしい。向こうのお茶菓子とかもあるのかな」
「言ったら喜んで持ってきてくれると思うぞ」
アレンがアイリスの甘い物好きを「相変わらずだ」と微笑ましく思って笑う。
すると、アイリスはじっとアレンの顔を見つめてきた。
「…………」
「なんだ?」
「……アレンって女の子とすぐに仲良くなるのね。向こうでもメイドの子たちとすごく仲が良かったし」
「まだ小さい頃の話だろう。それに言っておくけど、それってアイリスの影響だからな」
「ええー、そうなの?」
アイリスは本気で驚いた顔をしている。
アイリスと一緒に居る時間が一番長いのだから、どうしたってアイリスと一緒にいる感覚で女の子と接することが多くなる。
小さな頃から人形遊びやおままごとに当たり前のように付き合っていたのだから。
その影響を受けない方がおかしい。
それに双星宮のメイドのみんなはとても良くしてくれていた。でもそれは、「仲良し」というのとは少し違う気がする。
口が堅いと選ばれた彼女たちは、とても「仕事」の出来る大人の女性たちだった。
アイリスがこの聖域に来て、初めて同年代の友人が出来たのと同じように、アレンだって初めてということばかりなのだ。
◇ ◇ ◇
アレンはアイリスに懐かしい香りと味で楽しませた後、本題に入る。
懐かしい香りと味は、人の心を開かせると未来の貿易商の少女から聞いた。
「なあ、アイリス」
「なあに、アレン」
「……もし、新人戦で俺と対戦することになったとしても、手を抜かないで欲しいんだ」
「……――――?」
アイリスは藍玉の瞳に、疑念の色を浮かべる。
アレンはその色を避けずに受け止める。
温かさと冷たさの混ざった風が吹き、アレンの髪が揺れる。
「アイリス、俺は全力のアイリスに勝ちたいんだ」
――それはアレンがこの聖域で新しく募らせた想いだった。
アレンは昔から、『強さ』に興味があった。
剣や体術を習ったのはアイリスを護りたかったからというのは、間違っても嘘じゃない。
だけど、それだけじゃなかった。
アレンは、マーレ皇国では役に立たない自分の『可能性』に興味があったのだ。
アレンにとっての『強さ』の根源と象徴は、アイリスだった。
弱々しい程に細くて白い身体で苦しみながらも、それでも懸命に息をして、懸命に生きる妹の姿。
それはアレンの瞳には、とてもとても強く映っていた。
それこそ、超えるべき壁として――
「アレン……?」
「俺もそうするから、アイリスも全力で俺を負かせるつもりで戦って欲しいんだ」
「でも私、そもそもアレンよりも強くないわ」
アイリスは答えが分かっているのにわざと間違える子供のように俯く。
「……アイリス、本当は分かっているだろう。俺はアイリスよりも弱い」
確かに普通の武器を取って戦えば、アレンはアイリスに当然のように勝つ。
――ただし、それはアイリス自身の強さと『魔法が無ければ』の話だ。
だが、その前提条件は決して崩れない。
アイリスだって本当は分かっているはずだ。
アレンが真剣な瞳でアイリスを見つめると、アイリスは諦めるように溜息を吐いた。
「……分かったわ」
アレンの願いはアレンが想像していたよりもあっさりと認められた。
「私、『もう卑屈にならない』って決めてたの。なのに……ダメね」
アレンはアイリスの放つ『卑屈』という言葉に驚く。
少し前に自分もそうであることを認め、否定しようと決めたばかりだったから。
アレンは思わず肩を揺らして笑ってしまう。
それを見て、アイリスは頬を膨らませ、唇を尖らせて抗議する。
「人が真剣に話しているのに、どうして笑うのよ?」
「いや、やっぱり俺とアイリスは双子の兄妹なんだなって思っただけだよ」
――俺とアイリスは『双子』だけれど『別個体』だからと、少し距離を取ってみた。だけど、二人で同じような場所を巡っているんだな。
「何よ、そんなの当たり前でしょう。私たち死ぬまで、いいえ……きっと死んでもずっと一緒よ」
アイリスはそんな重い言葉を当たり前のことのように語る。
――本当に、ずっと、一緒に居れたらいいな。
アレンはそんなことを思いながら、念押しする。
「あと、もうひとつ。
「当たり前でしょう」
「「――『呪い』を解こう」」
二人の耳には片方ずつ藍玉のピアスが太陽の光を受けて、その藍を反射していた。
◇ ◇ ◇
紅茶を飲み終える頃には、太陽が早くも高い位置に昇りつめていた。
そろそろ、ふたりきりのお茶会を終えようと、アイリスが人払いの魔法を終らせようする。
――その時。
背後の生垣からガサガサと騒がしい葉音が鳴った。
アレンは思わず近くの椅子に立てかけていた長剣を手に取る。そして鞘を抜かずとも、すぐにそうできるように鍔に手を掛けた。
「――ごきげんよう」
その場に現れたのは、この学院の生徒会長にして、学院首席。
騎士棟代表のクラーラ・マクレール・フロールマンだった。
なぜか胸の前で猫を二匹抱えている。確かポンドとマイルという名前の猫だ。
「「クラーラ先輩……?」」
アレンとアイリスが彼女の名を呼ぶと彼女はにっこりと微笑んだ。
「アレンさんにアイリスさん。海へ参りましょう」
「「海……?」」
「どうか
蜂蜜色の彼女は唐突にそう言った。
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