第3節 波に流れた砂の城
「そうですわ!」
クラーラは子供のような笑みでその場にいるアレンたち一年生を見つめ、そんなクラーラを一年生たちも見つめ返した。
一年生たちは互いに「なんだろう」と目を合わせ出す中、クラーラは意気揚々と一歩踏み出した。
「本日お付き合いいただいたお礼に良いもの見せて差し上げますわね」
そう言うとクラーラは皆が見つめる中、白い砂に裸足の足跡を残して、海に進み入っていく。
しかし、彼女の白いワンピースは濡れることはない。
それは一歩進む毎に、まるで彼女に道を譲るように海が割れていくからだ。
本来であれば彼女の腰の位置まで海水が浸る辺りでクラーラは立ち止まり、砂浜に残るアレンたちの方を振り返った。
「【
水の壁に囲まれたクラーラは、長剣を顕現させる。
そしてクラーラは、金の装飾が施された純白の鞘から磨き抜かれた刃を取り出した。
その長剣が光り歪んだと思えば、その姿は
アレンは騎士倶楽部で木剣を交えた感触から、クラーラは本来であればレイピア遣いと読んでいた。しかし、彼女は普段は長剣を下げている。
そして今、彼女がレイピアを握っているのを初めて見ることでその仕組みに納得していた。
クラーラは金色の輝きを溢す剣を、躊躇することなく水の壁に挿し込んだ。
そしてその場で踊るように身体を回転させると、彼女の動きにまるで合わせるように、水がレイピアに付き従って踊る。そして彼女は謡うように魔法を唱える。
「逆巻く水よ 天舞い踊れ 【
クラーラは舞い踊るように剣を操りながら、旋律を奏でるように水を踊らせる。
彼女の指揮で水竜は空を
それはとても美しい光景だった。
だったが――
「――……あら? ちょっとやりすぎちゃったかしら」
剣舞を終えたクラーラは、我に返ったように皆を見つめた。
「冷てえ……です」
「クラーラ先輩、僕たちびしょびしょになっちゃいましたよ……」
一番の被害を受けている様子のレオとフランが自身の惨状とクラーラとを交互に見つめる。
「クラーラ先輩の魔法、すごいです!」
アイリスは全身ずぶ濡れであることを意に介した様子もなくクラーラを輝く瞳で見つめる。
そしてアレンは隣で濡れているアイリスの三つ編みにされた髪を優しく搾りながら苦情を言った。
「クラーラ先輩、確かにすごいですけど、流石に加減してくださいよ……」
そして、他の女性陣はというと。
「流石、学院首席。レベルが高いですね……神獣の顕現、私にもできるかな」
「クラーラ先輩……私たち何かしてしまいましたか……?」
「すごいネー、びしょ濡れダネー」
雛姫もアイリスと同様に感心しながら何かをぶつぶつと呟き、セレーナは不安気にクラーラを見つめ、風鈴はなぜか楽し気だ。
――そんな中、少し離れた木陰に座って本を読んでいたシンだけが、涼しい顔でこちらを見つめていた。
彼を中心にした周囲一帯だけがまるで球状の壁に覆われているように濡れていない。
アレンは魔法にはあまり詳しくないが、おそらく何かの保護魔法のようのものを使ったのだろう。
シンは立ち上がって手に持っていた本を懐にしまうと、こちらに歩きながらクラーラに声を苦言を呈した。
「フロールマン。楽しいのは分かるが、はしゃぎすぎだ」
クラーラはそれに対して素直に謝罪する。
「みなさん。私、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたわ。ごめんなさい」
シンはクラーラが皆に頭を下げるのを見届けると、風鈴の肩をポンと叩いた。
「風鈴、みんなを乾かしてやれ」
「ハイ、合点承知デス、親分」
風鈴は姿勢を正し、ぴしりと敬礼する。それを見てセレーナがレオナルドの方を真っ直ぐに見る。
「ちょっと、誰ですか。風鈴さんに変な言葉を教えたのは……」
「何でセレーナ嬢は真っ先に俺を見るんだ」
「レオってば信用ないなー。やっぱり普段の行いを委員長はちゃんと見てるよねー」
「お、俺じゃねえよ。確かにそんな言葉遣いが出てくる最近人気な小説を貸したけども!」
「やっぱり、レオナルド君じゃないですか!」
セレーナとレオが風鈴の言葉遣いに関してやりあっている内に、風鈴はニコニコしながら魔法の詠唱を始めた。
「温風よ 廻り舞いませ 【
風鈴の詠唱が終わると、小さな朱色の風車の幻影が無数に現れる。きっとこれは幻術か何かなのだろう。
朱色が廻る空間の中で、アレンたちの濡れた服が温かな風で乾いていった。
◇ ◇ ◇
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、陽が暮れ始めていた。
海も砂も橙に染まり、内湾の穏やかな波が小さく反射して、白く光って眩しい。
アレンは濡れた足で踏みしめる砂の感触を楽しみながら、海辺の木陰に足を踏み入れた。
「隣、良いですか」
アレンはクラーラの横に空いた場所を指し示し、問いかけた。
「どうぞ」
座ったままこちらを見上げるクラーラから許可を得て、アレンはその隣に腰掛ける。
「息抜きはできてますか」
「ええ。お陰様でだいぶ気分転換になったわ」
クラーラは有明の月のように薄く微笑んだ。
「それは、良かったです」
「たまにはこういう風に息抜きしないと、自分に負けそうになるのよ」
「……」
アレンはじっとクラーラを見つめる。意外に思いながら。
クラーラはアレンの顔を見ることはなかったが、その気配を察したようだった。彼女は波打つ海を眺めながら、アレンの視線に答える。
「意外だったかしら。でも、私だって普通の女の子みたいに遊びたいときもあるのよ」
「別にそれについては、意外じゃないですよ」
「あら。じゃあ何が意外なのかしら」
クラーラはアレンの発言を意外そうに聞く。
「クラーラ先輩は『弱さをさらけ出すこと』を嫌がるタイプなのかな、と勝手に思っていました」
アレンは迷いながらも口にする。
彼女は絶対的な強者で勝者だ。
皆の前に立つときの彼女は胸を張り、堂々と振る舞い、皆の期待に応える。弱さを見せず、負けることなど決してないような人だと勝手に思っていた。
でもきっとそんなことを永遠に続けられるわけはないのだ。
息が詰まって、あの海の向こうにあるような激しい波に流されて、溺れてしまう。
「そうね。昔はそうだったかも」
クラーラは波の向こう、どこか遠くを懐かしむように見つめる。
アレンはふと、アストルム老師が彼女を『青い』と評したことを思い出す。
「……でも、自分の中に閉じ込めて、人に心配をかけるよりも、駄目なときは駄目って言った方が、自分にとっても周りにとっても良いと思ったのよ。……もちろん吐き出す相手は選ぶけれどね」
――すべての人が、人の弱さを受け入れられるわけではないから。
「自分の弱さや未熟さをさらけ出すのは、とても勇気が要ることだわ。でも、きちんと『助けてほしい』って言える人は強い人よ。『察してほしい』だけじゃ、最初は良くてもいつか誰も助けてくれなくなるわ」
――救いは誰にでも与えられるものではない。それを欲し、手を伸ばせる人にこそ、それは与えられるのだ。
アレンはそのことを良く知っている。そしてクラーラはきっとそのことを分かっているのだ。
だから、アレンに話してくれたのだろう。
「私は人を助けたいけれど、人に助けても欲しいし、実際にたくさん助けてもらっているわ」
真っ直ぐを見つめる彼女の瞳は揺らがない。揺らいでいるのはその中に映る橙の海だけだ。
アレンはクラーラの横顔を見つめながら問う。
「その『強さ』の秘訣ってなんですか」
クラーラは考えるようにつま先で砂に円を描く。その横顔はやはり前を向いていた。
「そうね……なんだかんだで私は楽しいと思っているのよ。この学院で過ごすことが。私はこの学院が、皆が大好きなのよ。だから期待に応えようと努力できるし、そのために闘えるのよ」
彼女は頭の良い人だ。才能に愛された人だ。
だけど、それだけじゃない。
彼女自身が努力してこなければ、現在の彼女はいないのだろう。
彼女はきっといつだって闘っているのだ。
他の何者でもなく、自分自身と。
――――だから、彼女は学院最強なのだ。
自分自身の弱さを認め、受け入れた上でそれを跳ね除けて、現状を楽しめるだけの強さを持っているのだから。
「だから、アレンさんもアイリスさんも、きっともっと強くなれるわ」
そう言うとクラーラはすくりと立ち上がり、波打ち際で遊ぶ皆の元へと駆けて行った。
――『騎士王 クラーラ』
真っ白なワンピースを着て微笑む彼女に、その通り名はとても似合わなかった。
ただ、それはその『強さ』を知らなければの話だが――
◇ ◇ ◇
アレンはクラーラが去った後、しばらく海を眺めてから立ち上がる。
もう陽は水平線に沈みかけていた。
アレンはゆったりとした足取りでアイリスたちの元へ向かう。
アイリスは向日葵色のギンガムチェックのワンピースドレスを膝上まで持ち上げ、水に足をつけてはしゃいでいた。こちらに気付くと、アイリスは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「冷たくて気持ちいいわよ、アレン」
彼女は朝から何回もそうやってはしゃいでみせている。余程、海に入れるのが嬉しいようだ。
アレンは、アイリスがこの先何度でもこうやって海ではしゃげるような未来を用意したい。そう願う。
アイリスは海から出ると、アレンの背中に縋るように両手を伸ばしてきた。しかし、不意打ちだったこともあり、アレンは慣れない足場にふらつく。そして、アレンとアイリスは折り重なるようにして砂浜に倒れ込んだ。
砂は柔らかく、痛みはない。
「大丈夫かあ? アレンにアイリス嬢」
「もう、二人ともなにやってんのさ」
「アイリスさん、大丈夫?」
近くにいたレオとフランと雛姫が崩れ落ちた二人を覗き込む。
「大丈夫だ……」「大丈夫よ」
アイリスは雛姫の手を借りて起き上がり、座ったままのアレンの隣にしゃがみ込む。
そして手を伸ばして、アレンの髪についた砂を払った。
「ふふ、アレン頭に砂ついてる」
「アイリスも砂まみれだぞ」
アレンも交差するようにアイリスの頭についた砂を払う。
そうしながら、完全に陽が沈み、赤に青が差し始めた空と海をふたり同時に眺めた。
「綺麗だ」「綺麗ね」
その美しさに見入っていると、二人の先輩から声が掛かった。
「さあ、みんなそろそろ帰りましょう」
「帰るぞ」
その声に皆が帰り支度を始め、元来た白い道を辿り出す。
アレンとアイリスは名残惜しむように、何度も何度も海の方向を振り返った。
潮が満ち、誰かが造った砂の城が流されていく。楽しい時間はあっという間に流れ、これから『新人戦』に向けて、忙しい日々が始まる。
そしてきっとすぐに、『新人戦』が始まるのだ。
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