第6節 きっと、みんなそう
この一週間、授業が終わるとアイリスと雛姫の二人は部屋に引き籠ってしまっていた。
アレンはと言うと、毎日フランとレオと三人で課題をこなしていた。
「お邪魔していいかしら」
しかし、そこに今日は別の客人が現れた。
アレンは顔を上げ、声の主に頷いてみせた。
すると、ふわりと懐かしさを感じさせる紅茶の香りが鼻をくすぐった。
ピンクブロンドを後ろで緩く束ねた
セレーナが
アレンの向かいに座ったセレーナは、落ち着いた様子で紅茶を注ぎ、アレンの前に静かにそれを置いた。
アレンがお礼を言うと、セレーナは小さくそのピンクブロンドを揺らした。
アレンはあえてセレーナよりも先に紅茶に口をつける。セレーナもそれに続き、ティーカップから口を離すと口を開いた。
「意外だったわ」
それは今、紅茶を先に口をつけたことか、それとも――
「何が、かな」
「アレン君は、
「俺がアイリスと雛姫さんの間に入ると思ってたってことかな」
アレンは苦笑いする。
「そこまではいかなくても、アレン君ならアイリスさんを追いかけるかと思ったから。だから意外だなって思ったのよ」
アレンはあのとき、アイリスの後をあえて追いかけなかった。
これまでは、アレンがアイリスの傍にいることは当たり前のことだった。アイリスはアレンの妹で、アレンはアイリスの兄だから。
でも、干渉することだけが、傍に居ることだけが、一緒にいることじゃないと思い始めていた。
護衛はイザベルがいるし、この学院は警備に関してはかなり厳重だ。だから危険もないだろうと判断した。
アイリスが部屋に引き籠った後に、イザベルから報告を受けたが、アレンは特に何も言わなかった。
彼女は何も言わないものの、アレンの顔を不思議な瞳で見つめていた。まるで、「何か悪い物でも食べたのではないか」というような顔で。
そして、その表情を隠す気もなかったかのように思えた。イザベルはもしかしたらアレンに怒っていたのかもしれない。イザベルはアイリスのことが好きだから。
アレンは自分のイメージに疑問を抱きながらも、二人の友人たちにも「意外」と言われたことを思い出す。
「……実は、レオとフランにも同じことを言われたよ」
アレンが笑うと、セレーナは小首を傾げた。
「やっぱり、そうよね」
「確かに今までの俺だったら、そうだったかも」
「やっぱり、そうよね」
セレーナは紅茶に口を付けながら相槌を打つ。
「この学院に来てからまだ少ししか経っていないけど、少し考えが変わってきたんだ」
「そうなの?」
「うん。『アイリスと俺は双子だけれど、別個体なんだ』って思えるようになってきた」
「『別個体』……。面白い言い方をするのね」
「でも本当にそうなんだよ。俺たちは今まで、お互いを自分の事として捉え過ぎていたんだと思う。それこそ、『同一個体』くらいに思っていたんだ」
「そうなの?」
「『相手の幸福は、自分の幸福。相手の不幸は、自分の不幸』。そうやって生きてきたんだ」
アレンの言葉にセレーナは考える仕草をする。
「……それって、良いことじゃないの?」
「確かに聞こえは良いと思うよ。でも、それは『怖いこと』だと思うようになった」
「どうして?」
「俺は、アイリスに幸せになって欲しいだ。分け合うのは『幸福』だけでいい。『不幸』なんて、誰とも分け合わなくて良いんだ」
「……そうね。でも、そうすると自分が苦しくないかしら。抱え込むのは辛くないかしら」
セレーナは肯定しながらも、考え込むように頬に手を当てた。
彼女は良い聞き手だと思う。
これまでたくさんの人の話を聞いてきた、そんな雰囲気を感じる。
「うん、そうだな。確かに別に自分一人で抱える必要もないかも、とは最近思っている」
「それじゃあ、どうするの?」
「『みんなで笑い飛ばせれば良い』って思ってるかな」
「『笑い飛ばす』か。うん……良いわね」
セレーナが顎に手を当てて頷き微笑む。
アレもそれを見て頷く。
「でも、実際にそれをやるには、まだまだ修行が必要だなと思ってる。まだ『気付き』の段階だよ」
「……修行、ね。私も修業が必要かも」
セレーナの言葉に、アレンは少し面食らう。
「そっか。俺だけじゃないんだ。みんな修行中なんだな。ちょっと安心した」
アレンは満面の笑みをセレーナに見せた。
そして、自分たち兄妹の話をする。
「俺とアイリスは、学校どころか同年代の人たちと関わるのもほとんど初めてなんだ」
アレンはレオとフランにしたように、言葉を選びながら話す。
「周りにいるのは大人ばっかりだったんだ」
アレンとアイリスが不慣れなことは、きっと、みんなが気付いていることだ。
みんな、アレンとアイリスの反応にいつも少し驚く。
「だから、喧嘩をしたことがないんだ。やり方を知らないんだ」
アレンの言葉を聞いて、セレーナが「ふふっ」と笑う。それは優しくて、人を見守ってきた人間だけが造れる笑みだった。
「じゃあ、ふたりとも『はじめての喧嘩』なのね」
セレーナは肩を揺らす。アレンはセレーナの言葉に首を傾げた。
「『ふたりとも』?」
「そうよ。だって雛姫も、喧嘩をしたことがないのよ。ほら、あの子雲みたいに『自由』でしょ?」
セレーナは、窓の外に浮かぶ夜の雲を眺める。
「自由な『雲』は、何者にもぶつからないでしょう?」
雨間に覗く灰と青の空に、雲が浮かび、風に身を任せて流れていく。セレーナはどこか懐かしむような表情で、それを目で追っていた。
「あの子があんな風に人を想って、怒ることってあるのね……」
アレンは雲を見上げたままのセレーナの表情を窺う。
「なんだか、寂しそうな顔をしてるね」
アレンが指摘すると、セレーナは珍しく唇を尖らせた子供っぽい表情でアレンを睨んだ。
「アレン君。世の中には、胸に秘めておいた方が良いこともあるのよ。女の子って複雑なんだから」
アレンは思わずたじろぐ。
「えっと、ごめん……」
「いいわ。それに本当に少し『寂しい』って思っているの。わたし、あの子と本当に小さな頃からずっと一緒に居たんだけど、あの子のことを深いところでは分かっていなかったかもしれない」
セレーナは琥珀色の紅茶を手元でじっと見つめていた。それはやはり寂しそうな顔に見えた。
アレンは言葉に悩みながらも、思ったことを伝える。
「雛姫さんは、きっと、セレーナさんのためにも怒ってくれると思うよ。セレーナさんがしっかりしているから、きっとまだ、その機会が来ていないだけだよ」
きっと自分にはまだ、そういう修業が足りないから。だからせめて正直に。
「お互いを大事にしていること、まだ会ったばかりの俺でも分かるから」
アレンの言葉に「ありがとう」と言うセレーナは、やっぱりまだ寂しそうに微笑んでいた。
アレンはその笑顔とよく似た笑顔を、どこかで見たことがある気がした。
「……そうだと、いいわね」
ぽつりとこぼれた言葉は、祈りのようでもあった。
「絶対にそうだと思う。それに多分、アイリスも雛姫さんも変わろうとしているんだ」
「そうね。あの子はアイリスさんが来て、変わったわね」
「雛姫さんはたぶんそれに気付いてる。でも、アイリスは本当は変わりたいって思いながらも、気付かないふりをしているんだ」
アイリスは頑なだった。
あんなに変わりたいと願い、変わるためにここに来たのになぜ急に頑なになったのか。
アレンにはその理由がなんとなく分かっていた。
それは人よりも怖がりな妹の、少し複雑で、少し卑屈で、少し愛らしさのある抵抗――
「俺も、変わったから。ここに来て。たぶんこれからも、もっと変わるから」
「それじゃあ、私も変わるかしら」
「変わるさ。変わらないことなんてないから。……それはたぶん『悪いこと』じゃない気がする」
アレンが笑って見せると、セレーナは深緑の瞳を丸くした。
「皆がアレン君を『紳士』って言うの、分かるわ」
「俺は、そんなんじゃないよ。そうなれたら良いなって思ってるだけだよ」
「いいじゃない、皆そうよ。私もそうなれたら良いなって自分を演じているだけだから。そうやって変わっていくのよ。きっと、みんなそうよ――」
互いに笑い合った後、アレンは改めてセレーナに淹れて貰った紅茶を味わう。
「それにしても、この紅茶はなんだか懐かしい味がするな」
「乾燥させた果物が入ってる紅茶なの。西大陸北部で良く飲まれる紅茶よ。ちなみにこれは林檎が入っているの」
西大陸北部。それはマーレ皇国がある場所だ。アレンはあえて、それを言及しない彼女の気遣いに感謝する。
アレンはセレーナが注いでくれた紅茶のおかわりに口をつける。
「うん、やっぱり飲んだことがある味だな」
アレンが微笑むと、セレーナはほっとしたように手を合わせた。
「やっぱり。これにして良かったわ」
「どうして?」
アレンは首を傾げる。
「馴染んだ味とか香りがすると、人って心を開きやすいらしいわ」
「うーん、俺は尋問でもされていたのかな?」
アレンが真剣に悩んだ表情を作るとセレーナは慌てる。
「いやだ、勘違いしないで。ただ、少しだけ心を開いてもらって、仲良くお話したかっただけよ」
「……本当かな?」
アレンは口元に上げたティーカップ越しに意地悪な笑みでセレーナを上目遣いで見る。
「いやだわ、『紳士様』が意地悪言わないでちょうだい。……これはただの性分なのよ」
セレーナは照れくさそうに頬を染める。
「性分?」
「私の実家は貿易商なの。私も跡を継ぐ予定なんだけれど、商人ってそういうところがあるのよ」
「へえ、貿易商か。大変そうだけど、楽しそうだね」
社交家で、交渉上手な彼女に良くあった職業だと思う。
「そうなの!私も早く世界を飛び周りたいわ。ちなみに、この紅茶もうちが仕入れたものよ」
「なら、また飲ませてくれると嬉しいな。顧客として名前を入れておいてよ」
「もちろん、喜んで!」
彼女は商売上手でもあるらしい。アレンはいつも大人びている彼女が、はしゃいでいる様子に小さく笑った。
「楽しみにしているよ」
束ねたピンクブロンドを揺らしながら、彼女はぽんっと拳で手のひらを叩く。
「そうだわ! 学院を卒業しても、いつかアレン君とアイリスさんにも商品を届けに行くわね。サービスしちゃうから」
「それはますます楽しみだね」
未来の話をする。それはアレンにとっては、温かいものだった。
――アイリス、お前も、こういう温かいものを受け取っていいんだからな。
少しだけ心を開き合った、『兄』と『姉のような存在』は窓の外を眺める。
雲間から覗く新月の夜空の向こうには、星が綺麗に輝いていた。折角こんなに綺麗な空なのに、一人きりで見るのは淋しすぎる。
「あの二人。早く、仲直りできると良いな」
「そうね。私もちょっとお節介の血が疼いて、流石にちょっと落ち着かないわ……」
セレーナは本当に落ち着かなそうに、両手同士合わせた指先をくるくると回していた。
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