第2節 わたしの身には余るお話
真夏が始まる前に、雨の季節が訪れていた。
ここしばらくは雨の日が続き、学院内にも雨雲のように灰色の空気が流れていた。
しかし、その日は少しだけ様相が違った。
その日の朝も雨模様だったが、地面を打つ
アレンとアイリスが教室に向かうためにエントランスホールに入っていくと、昼時の食堂のように人だかりができていた。
「わ。すごい人ね。どうかしたのかしら」
アイリスは驚いてわずかに跳ねながら立ち止まった。
「ここからじゃ良く分からないな」
アレンはそう言いながら周りを見渡す。
すると、見覚えのある長身で目立つ男の後頭部に気が付いた。
アレンはアイリスを引き連れて、その男子学生――レオナルド・ブラウンに近寄る。
「おはよう、レオ。何かあったのか」
アレンが声を掛けると、レオはわくわくを隠し切れない表情で振り返った。
「おはよう。アレンにアイリス嬢。あれだよ、あれ」
レオはざわめきの中心にある前方を指差し、アレンはその先を見る。
アレンが人だかりの隙間から前方を覗くと、魔水晶でできた掲示板が光りながら何かを映し出しているのが見えた。
少し距離があるので、はっきりとは見えないが、『新人戦』『種目名』という文字が浮かんでいるように見える。
アレンは状況をつかもうと更に目を凝らす。すると、最前列にいた赤毛の少年が振り返り、ぱちりと目が合った。次の瞬間。
赤毛の少年――フラン・シラソル・カラーは大きく背伸びをし、このざわめきに負けないくらいの大声を放った。
「あっ! アレンじゃん! ってことはアイリスさんもいるよね! 二人ともおはようー!」
フランはいつもよりも大分元気良く、人垣の前方からこちらに大きく手を振っていた。
アレンは何だか注目を浴びているようで、気恥ずかしくなる。かといって何も返さないのも居心地が悪い。なので、とりあえず小さく手を上げてみせた。
「新人戦の個人戦の一回戦と団体戦の競技名発表されてるよー!!」
常識人の彼らしくなく、妙に浮かれた様子で状況を説明してくれる。
ただ、物凄く周囲の注目を浴びているので、少しだけやめて欲しかった。
「フラン、今日はなんだか元気だな……」
アレンが面食らって言うと、レオが説明してくれる。
「あいつ、新人戦マニアなんだよ。確か去年も姉貴のメアリの試合を見るとか言って見学に来てたよ。すげー詳しいし、解説員の解説とかし出してかなり目立ってたから覚えてる」
フランの様子は少し意外ではあったが、確かにここ最近の雨で皆が憂鬱そうにしている中、フランは逆に元気そうにしていた。
元気よく手を振るフランに小さく手を振り返していたアイリスが、ふとレオを見上げて問いかける。
「そういえば、レオさんはいつもフランさんと登校されていますけど、今日は別々なんですね」
レオは「ああ」と苦笑いをする。
「なんか今日は急ぎの用事があるとか何とか言って、走って行っちまったんだよ。このことだったんだな……。『統計的には多分、今日だ!』とか言いながら朝飯食ってたし」
「――そうなんだよ!」
いつの間にかフランはアレンたちのそばに来ていた。
「過去の発表日から大体当たりを付けていたんだ。今年は学院長と副学院長が休暇中に逃亡したって聞いていたし、少し遅れると思っていたけれど、流石はクラーラ先輩とシン先輩だね。見事に日程通りだ。流石のスケジュール管理能力だね!」
そして流れるように説明をし始める。
「でも今年の競技は面白そうだよ」
フランは顎を撫でながら胸元から手帳を取り出す。そしてパラパラと頁をめくってその手帳を眺めていた。
「新しい種目名も多いし、研究棟はいつもみたいな座学の試験じゃなさそうな種目名を出してきているんだ」
フランは灰茶色の瞳を大きく見開き、アレンたちの方にう身を乗り出してくる。
「これは種目予想がかなり盛り上がるんじゃないかな!」
フランの声は弾んでいる。
「種目予想?」
「種目が発表されているんじゃないのですか?」
アレンとアイリスが質問すると、待っていましたと言わんばかりにフランがさらに瞳を輝かせる。そして人差し指を立ち上げてアレンとアイリスに講義を始めた。
「種目発表は、その種目が『実際に何をするのか』という解説が無いんだ。だから各々『種目名』からそれがどんな競技なのかを予想して、対策を立てなきゃいけないんだ」
「なんだか難しそうですね」
「まあ、研究棟と魔術棟の種目に関してはそうだね」
「じゃあ、騎士棟は?」
「騎士棟は基本的に『ルールを守りながら、勝つ』って感じが例年の傾向かな。個人戦に関しては『反則以外は何でもあり』の試合だよ。ちなみに魔法も武器も、何なら罠も使用可だよ」
フランは少し悪い顔をして、アレンもつられて少し笑った。
「それは楽しみだな」
「お、アレンもやる気になって来たか」
「いいよねー、新人戦。ロマンだよねー」
「……うーん、『種目名』が気になります」
男性陣が想いを馳せている中、アイリスが背伸びをしながら掲示板を見ようとする。
「見えない」
すると、それに気づいたレオが何かを思いついた顔をした。
「ん? それじゃあ、俺が抱えてやろうか」
レオはそう言うと、アイリスの背後に回ってその両脇を抱えるように腕を伸ばした。
しかし、その腕はアイリスに触れることはなかった。
――ギリッ
アレンがぎっちりと絞り上げるように、レオの腕を掴み上げていたからだ。
「――いっ、痛ってえよ!!!」
「え、聞こえないですよ、レオナルド君? 何か言いましたか?」
アレンはあくまでも笑顔だ。しかし、レオはその仄暗い笑顔を見て、ヒュッと喉奥を鳴らした。
「わ、悪かったって。悪気はなかったんだよ……」
「……『悪気』はなかった? レオナルド君、『悪気』がなくても、やって良い事と駄目な事があることをご存知でしょうか。分からないのであれば、僕が教えて差し上げましょうか
「申し訳ありませんでした! っていうかなんでいきなり敬語なんだよ! こえーよ!」
「アレン、別に私は何も気にしていないわ。親切にしてくれただけじゃない」
アイリスの言葉にアレンは盛大に溜息を吐く。
「……アイリスは少しレオから離れていろ」
アレンはレオの腕を離し、普段の柔和な態度には似合わない乱暴さでレオをアイリスから遠ざけた。
「レオは意外と命知らずだよね」
フランが呆れたようにレオとアレンを見て、いつも通りの落ち着きで言った。
――そして、レオには更なる猛追を受けることになる。
「――レオナルド君、何をやっているの?」
「今のはレオが悪イト思ウヨ」
「
セレーナ、風鈴、そして雛姫はレオがアイリスを抱えようとした間の悪いタイミングでその場にやってきていた。
そしてそれぞれ呆れ・軽蔑・殺意を宿した言葉を残し、アイリスを掲示板近くに引き連れて行った。
アレンはレオに対して蔑んだ目を隠しもせず、後方を警戒しながらその後を追って行って。
◇ ◇ ◇
取り残されたレオの背中を、唯一その場に残ったフランが優しく叩いて励ました。
何も言わないのがフランの優しさだった。
「つい妹にするのと同じ感覚になっただけなんだよ……。本当だからな……」
レオはがっくりと肩を落とし、誰にともなく言い訳をしていた。
それからしばらく――太陽がより一層強く照らす盛夏になるまでの間、アレンがレオのことを静かな笑顔で威嚇しているのを周囲の人間たちは興味深そうに傍観していた。
◇ ◇ ◇
新人戦の種目発表があったその日の放課後。
魔術棟代表である三年生のシン・クロウリーは、就業時間の鐘が鳴ると共に魔術棟を急ぎ足で出た。
彼の足は一年生のジェダイト
――あえて目立つ行動をするのは、『彼女』に自覚を持ってもらうため。そして、彼女の能力を周囲に知らしめるため。
「シン副会長! 失礼しました!」
シンがジェダイト教室の前まで来ると、今まさにその教室から出ようとしていた学生が頭を下げて、一歩下がって道を開けてくれた。
「ありがとう」
シンは道を譲ってくれた学生たちに片手を上げて礼を言うと、室内に足を踏み入れて目的の人物を探す。
そこにいるだけでも目立つ風貌の彼女は、すぐに見つかった。彼女は鞄に教科書を詰め、帰り支度をしていた。
シンは脇目も振らずに彼女の元へと進んでいった。
そして彼女の名前を呼んだ。
「――アイリス・ロードナイト。君を新人戦団体戦の選手として登録したい」
「えっと……」
彼女は当惑の瞳でシンを見つめた。
シンの心境を映してか、心なしか澄んだ
「君の力が必要なんだ。団体戦の選手として、一緒に闘ってはくれないだろうか」
なおも言葉に窮す彼女に、ピンクブロンドの少女がアイリスの背中を優しく叩いた。
――たしか、セレーナ・トーン・ブルーレースだったか。
「アイリスさん、凄いじゃない。編入して早々に選ばれるなんて」
そう言いながらセレーナはシンの顔を見て微笑んだ。
彼女は研究棟所属の印であるブルーサファイアの指輪をしているが、どうやら助け船を出してくれたらしい。
「やっぱり! アイリスさんと団体戦で戦えるのね!」
今度はアイリスにぴったりと張り付きながら、彼女を見上げている雛姫・榊・ジェダイトが翠の瞳を輝かせた。
彼女もブルーサファイアの指輪をはめている研究棟生で学院で有名な麒麟児だ。すでに団体戦参加も内定していると聞いていたが、事実らしい。
彼女の学友たちは好意的にシンの誘いを受け止めてくれていた。
――しかし。当のアイリス・ロードナイトは、小さな頭を横に振った。
それは否定だ。
シンは艶のあるシルバーブロンドが小さく揺れるのを何も言わずにじっと見つめた。
目の前の少女は藍玉色の瞳をそっと伏せ、こう言った。
「……ありがたいお話ですが、私の身には余るお話だと思います。私よりもふさわしい方が大勢いらっしゃいます」
彼女は静かに微笑む。
「「アイリスさん……?」」
セレーナと雛姫が伺うようにアイリスの横顔を見つめた。
「君がそう言うのなら、
シンは淡々と告げた。
「……折角お誘い頂いたのに、申し訳ございません」
彼女は深々と礼をする。その表情は窺えない。
「いや、君が謝ることじゃない。こちらこそ申し訳なかったな」
シンは彼女に背を向けて歩き出した。
「……アイリス、ヨカッタノ? 一緒に団体戦デナイノ?」
同じ魔術棟所属の風鈴・フォンがアイリスに話しかけているのが、背中から聞こえた。
シンは彼女には既に今日の昼休みの内に声を掛けていた。彼女からの返事は色良い返事だったが。
「はい。私では皆さんにご迷惑をお掛けしてしまいますから。……でも個人戦は精一杯頑張りますね」
――新人戦そのものに消極的なわけではなさそうだな。
――これなら脈はあるかもしれない。
シンは考え事をしながら生徒会役員室に入っていくと、既に役員室に来ていたクラーラが顔を上げた。
室内にはまだクラーラしかいなかったため、シンは少しだけ緊張を緩めた。
そしてクラーラも同じなのか、他の学生にはあまり見せない悪い顔をしてシンを見つめた。
「シン。あなたアイリスさんに振られたんですってね」
どうしてつい先程の出来事を既に知っているのかと思う。
だが、この『天才にして秀才』な生徒会長については、そういった疑問は無駄だと思い直す。
シンは自身に与えられた席に向かい、椅子を引く。
「ある程度、予想はしていた」
そのまま席に着くと、意外そうな顔でクラーラがこちらを見ていた。
「あら、そうでしたの……」
「なんだ、その顔は」
「いいえ、もっと落ち込んでいるかと思いましたのに」
「残念だ、とでも言いたげだな」
「失礼ですわね。
「どうだかな。それに、『誘うのは一回』だなんて誰が言った」
「……本当、執念深い男ですわね」
「君にだけは言われなくないな」
シンとクラーラは笑顔で見つめ合う。
どうせ、そちらもアレン・ロードナイトをどんな手段を使ってでも勧誘するんだろう――とは口には出さなかった。
普段は息の合った生徒会長と副会長と言われるが、こと勝負事において二人は手を抜かない。
――今年も彼女に負けるわけにはいかないのだ。
気持ちは焦りそうになるが、まだ時間は残されている。とはいえ団体戦選手の登録締め切りまではひと月と少し。それは長いようで短い時間だ。
それまでにどうやって彼女の気持ちを転ばせようかとシンは真剣に考える。
シンは本気で彼女の力を必要としていたから。
しかしシンのこの行動で、「ある波乱」が巻き起こることは、彼には知る由もなかった。
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