第4章 ふたりの選択

第1節 選ばれた存在


 ――雛姫・榊・ジェダイトは、『天才』だ。

 学術、魔術、武術のいずれをとっても彼女の能力は幼い頃から抜きん出ていた。


 雛姫は中央中立地域で最も敷居が高いこの学院においても、『天才』と呼ばれ、別格の存在として扱われていた。





    ◇ ◇ ◇





「失礼しました」

 雛姫は始業時間前に研究棟に呼び出されていた。そして今ちょうどその用事を済ませたところだった。


 ――『雛姫君、新人戦の団体戦に君を誘いたいのだけれど、勿論出てくれるよね?』

 研究棟代表からの呼び出しは正直面倒だと思っていた。だが終わってみれば、その用事は雛姫にとっては楽しいものだった。

 それは三月みつきの後には開催されている新人戦のうち、各棟の代表を選んで競う団体戦への参加の打診だった。 

 本来であれば団体戦選手の選出は、競技内容が決まってから行われることが多い。

 しかし、雛姫は研究棟所属としては珍しい、武術に長けた人間であるため、予め声を掛けてきたのだと思う。

 研究棟は学術だけでなく、魔法魔術も得意な学生は多い。しかし、武術の能力は劣る傾向がある。

 これまでの雛姫であれば、無感情でその誘いを受け止めていただろう。

 ――でも、現在いまは違う。現在のサンクチュアーリオ学院には、『彼女』がいる。『彼女』なら、必ず団体戦の選手に選ばれるはずだ。 


雛姫は古い本の香りに満ちた、少し埃っぽい研究棟から外に出て、朝の空気を吸い込んだ。そして教室へと歩き始める。

 雛姫は『選ばれること』が、こんなにも嬉しいという気持ちを初めて知った。うずうずとした気持ちは、足早になるだけでは抑えきれず、思わず鞄をぎゅっと抱きしめた。


 そしてそんな彼女にざわめく者たちもいた。

「『小さな魔女リトル・ウィッチ』がご機嫌だぞ」

「『姫』は朝から暴れてきたのか」

「いや、でも最近は『白銀の姫君』と一緒にいるせいか大人しいって」

「『白銀の姫君』は、猛獣遣いなのか」

「いや、でもあの『戦闘狂』だぞ」

「早朝だろうが、深夜だろうが、器物の一つや二つ損壊してきていてもおかしくないぞ」

「そっとしておこう」

「見なかったことにしよう」


「「「そうだ、そうしよう」」」


 周りは雛姫を様々な名前で呼び、噂する声が聞こえてくる。しかし、雛姫は気にしない。

 雛姫にとって大事なことはいつもひとつだった。





    ◇ ◇ ◇





 雛姫は入学当初から、学院内では目立った存在だった。それは中等部の時代から更に時間を遡り、中等部と高等部とは違う場所にある幼稚舎の時からだった。雛姫の意思とは関係なく、雛姫が目立つ存在であることは流石の雛姫本人も自覚していた。


 翡翠の瞳に白茶のウェーブがかった髪に東西の人種の特長を混ぜた実際よりも幼く見える顔立ち。そして小柄な風貌。

それは例えるならば、人形のような愛らしさだの周りの大人たちは口々に言った。

 ――そして、人形のように感情の色が乏しいと、そう言われていた。

 雛姫は昔からあまり周りに馴染むことはなかったし、雛姫自身もあまり馴染もうと思っていなかった。

 周りに興味がないというよりも、魔法魔術、武術、学術、ありとあらゆる物に興味を示し、それを学ぶのに忙しかったからだ。

兄の雅治からは「もう少しだけで良いから、周りを見なさい」と昔から言われるが、実のところ見ている余裕がなかったのだ。

 雛姫は楽しいことに夢中になっている時間に、全てを注ぎたかった。

 ――どうしてみんな他の人を気にする余裕があるんだろう。

 雛姫はずっと不思議に思っていた。


 雛姫自身は何の迷いもなく研究棟に進んだが、周りからすれば意外だったらしく、知らない先輩から突然声を掛けられ、理由を尋ねられることも何度かあった。

大人や子供に関係なく、みんなは雛姫を『選ばれた存在』だと言ったが、雛姫にはよく分からなかった。

――だって、わたしは自分が興味のあることしかしていなかったから。

 そんな雛姫でも学院でなんとかやってこられたのは、幼馴染で教室クラスの委員長を務めるセレーナのおかげだ。

 ピンクブロンドのしっかり者のセレーナは、昔から自由気ままに自分の世界に籠もる雛姫の世話をなぜか焼いてくれていた。

 彼女は今も高等部から入って来たクラスメイト三人を気にかけ、息をするように当たり前に世話を焼いている。それと同じように、もしくはそれ以上にかつては雛姫に付きっきりだった。

 教室を移動するときは、彼女がいつも手を引いてくれた。二人一組にならなければならないときは、気付けば彼女は雛姫の近くにいた。彼女は雛姫とは対照的に「周りのことを見すぎている女の子」だった。

 雛姫は昔一度だけその事をセレーナに指摘したことがある。そのときのセレーナは何だか照れくさそうに、「そうしていないと、自分が落ち着かないのよ。雛姫が自分のために色々なことに没頭するのと同じように、私も自分のためにそうしているのよ――」と語ってくれた。

 セレーナは雛姫には勿体ないくらいに本当に良く出来た友人だった。自由気ままで、かといって感情の起伏もあまり見せない雛姫に付き合ってくれるのは、彼女くらいだった。

 だから、雛姫にはセレーナ以外には歳の近い友人と呼べる人はいなかった。


 ――しかし、そんな雛姫にも興味を持てる存在が、高等部入学と共に現れた。

 雛姫はそれまで人に対してこんな感情を持つことはなかった。『彼女』は、雛姫にとっては新しい世界へと続く扉の鍵のような存在だった。 

 雛姫はその人物の元へと急ぐ。

 『彼女』のことを考えていたので、自然と『彼女』のことを話す人たちの声が耳に入る。


「『白銀の姫君』、今日は来ているのね」

「体調が良くなったのね、よかったわ」

「お、『白銀の姫君』じゃん」

「今日も神々しいなあ」


 雛姫は『彼女』の姿をその翡翠の瞳に捉え、駆け寄る。

「アイリスさん!」

 雛姫は、『白銀の姫君』ことアイリス・ロードナイトに抱きつく。

 彼女と出会ってからそうしているように、ぴったりとその腕に張り付き、手を握る。

「おはよう! アイリスさんがお休みだったから寂しかったわ。もう元気になった?」

 雛姫は猫が甘えるようにアイリスの傍を離れない。

 彼女の傍はとても心地良い。彼女の柔らかな雰囲気とよく似た、とても大きくてとても優しい魔力の波長。それは揺り椅子に揺られている蜂蜜色の午後のようだった。

「心配をかけてごめんなさい。もうすっかり元気になりました」

 雛姫は微笑み、自分よりも少し背の高いアイリスを見上げる。アイリスの顔色は良く、頬は薄紅に、唇は桜貝のように色付いていた。

「……よかった」

 雛姫は再びぴっとりとアイリスに張り付いた。アイリスはそんな雛姫を見て、嬉しそうに微笑んでくれた。

「うーん、やっぱり心地の良い波長ー」

 雛姫はその柔らかい感触と魔力にすりすりと頬を寄せた。





    ◇ ◇ ◇





「――あの、俺もいるんだけど……」

 アレンは、静かに自分の存在を主張してみる。

「アレン、諦めろ。雛姫嬢の目にはアイリス嬢しか映っていないんだ」

「しょうがないよ、アレン。しかし、相変わらずお熱いねー」

 アイリスと雛姫に取り残されてしまったアレンを後ろから来たレオナルドとフランが慰めてくれる。

「あら、みなさん、おはようございます」

「みんな、オハヨウー」

 そして、そこにセレーナと風鈴も合流する。

「皆さん、こんなところで立ち止まってどうされたんですか」

「おう、セレーナ嬢に風鈴嬢! あれだよ、あれ」

 レオがアイリスと雛姫の方を指差すと、セレーナと風鈴が男性陣の間から覗き込むようにその先を見る。

「ワオ。『仲睦マジ』……ダネ?」

 風鈴が感嘆の声を上げ、セレーナはその横で俯きながら額に手を当てている。

「あの子ったら、またあんなにアイリスさんにくっついて……」 

 状況を理解した様子のセレーナは、なぜか少しだけ寂しそうな顔をして一歩進み出た。

「雛姫! 教室の入口を塞いではだめよ」

 数歩離れた距離からセレーナは雛姫を注意する。

 すると、雛姫の代わりにアイリスが「ごめんなさい!」と慌て、入口の脇に除けた。しかし、それでも雛姫は接着剤で張り付くように、アイリスの傍を離れなかった。

 塞がれていた入口から見える教室内からは、様々な感情がアイリスと雛姫に対して放たれていた。

 羨望、驚愕、呆然、その他表現が分からない諸々の感情。アレン自身もこの学院に入学してから向けられた覚えのあるものだ。

 アレンは居心地が悪くなってそこから目を逸らした。

 一方のセレーナは落ち着いた様子でアイリスを慰める。

「大丈夫よ、アイリスさん。また雛姫が突撃したんでしょう」

 あわあわと慌てるアイリスを落ち着かせるように、セレーナはその腕をさすり、教室内に導いた。セレーナはアイリスを席に座らせ、自分もその横に座る。そしてそのセレーナの横には、ニコニコしながら風鈴も座った。

 取り残されアレンたち男性陣は顔を見合わせながら自分たちも席についた。


「そうだわ!」

 セレーナが何かを思い出したように鞄から一冊のノートを取り出すと、雛姫がそっとアイリスの腕を離した。

 なんとなくだが、雛姫はセレーナを「尊重している」とアレンは感じていた。

「アイリスさん、お休みしていた間のノートです。分からないことがあったら、聞いてくださいね」

「セレーナさん! ありがとうございます」

 アイリスはきらきらと藍玉の瞳を輝かせ、嬉しそうに受け取ったノートを抱きしめた。


 それから間もなく雅治が教室に現れた。

 雅治は教室内を見渡すと、瞬時に雛姫にすぐに気付く。そしてまっすぐにその場所まで、すたすたと進んでいった。これはもう恒例行事に近い。

 雅治は笑顔とはいえ、黒い笑顔だった。

「雛姫さん、貴女は一番前に座ってくださいね」

「雅治兄さん」

「……兄さんではありません」

「ジェダイト先生、席は自由なはずです」

「雛姫さん、貴女だけは『特別』です。アイリスさんに四六時中ぴったりとくっつくのをやめてくれたら、自由で構いませんよ」

「ジェダイト先生、私は誰にも迷惑をかけていません」

「いいえ、私のところに他の先生からも既に苦情が来ているんですよ」

「私は知らないです」

「雛姫さん、貴女はもう少し、周りを見てくださいね」

「むり……です」

 そんな年の離れた兄妹のやり取りだ。


「ジェダイト先生と雛姫さんの兄妹って、すごく仲が良いよな」

 雅治と雛姫のやり取りを見ながらアレンが感想を言う。すると、周囲にいたクラスメイトたちが、バッと一斉にアレンの方を見た。

「お前が言うな、アレン」「君が言うなよ、アレン」

 クラスメイトたちの気持ちを、レオとフランが代弁していたことに、このときのアレンは気付いていなかった。





    ◇ ◇ ◇





 授業が終わり、雛姫は寮の自室に戻る。


 雛姫の部屋の書棚にはびっしりと本が詰まり、備え付けの大きなクローゼットにすら収まりきらなかった魔術具や武器がその前に並んでいた。

 ぬいぐるみが並んだ天蓋付きのベット以外は、年頃の女の子らしさはあまり感じられない部屋。


 雛姫はアイリスの部屋との境である壁をじっと見つめる。その視線の先には白塗りの壁には備え付けの鏡と照明以外は何もない。


 ――雛姫は三日前の夜を思い出す。

 アイリスが体調を崩して休んだ前日の夜、雛姫は壁越しに魔力の震えを感じていた。

 魔力障壁が施されている寮の壁が震えるほどの魔力――ということは相当大きな魔力のはずだ。

 雛姫は彼女の魔力が大きいことは知っている。

 でも、ただそれだけだ。


 雛姫にとって大事なのは、彼女の傍が心地良いことだ。だから彼女とその兄が隠していることに興味はないし、干渉するつもりもなかった。


 ――このときはまだ、そう思っていただった。

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