第11節 歓迎という名のしごき


 クラーラがアレンとの対戦を宣言してから、それが始まるまではあっという間だった。

 笑顔のランスに鍛錬場の中心に引き摺られていったアレンは、クラーラと対面させられていた。


「こちらを使ってくださいね」

 呆けていたアレンに、審判係の真面目そうな男子学生が臙脂色の布でできた細長い包みを手渡してきた。

「は、はい」

 アレンは渡された包みを解く。そして、中から出てきた物を見つめた。

「木刀……ですか?」

 アレンは、訪ねながら対面のクラーラを見る。彼女もアレンが持っているのと全く同じ包みを物を手にしていた。

 戸惑っていると、正面から「ふふ」と上品さは失わないままに無邪気さを放つ笑い声が聞こえてきた。

 アレンは吸い寄せられるように、その声の主を見つめた。


「だって――」

 クラーラの虹彩は、紅玉と瑠璃の階調がまるでガラス玉のように美しい。

 ――美しすぎて怖いくらいに。

 アレンは無意識の内に、空いている左手で腰に下げた長剣にに触れていた。

「真剣で勝負したら、アレンさんのことを殺してしまうかもしれないでしょう」

 クラーラはそれがまるで当たり前の決まりきった事実のように言う。

 今宵の月のように優しい笑顔で。

「さあ、始めましょう?」


 対面する二人は、それぞれ腰に差した剣を受け取りにきた学生に預けた。

 そして木刀を構えると、審判役の学生が合図を出した。


「始め!」

 その瞬間、ビュッと一陣の風が吹いた。

 アレンは完全に反射で、を受けた。

「――……っ! ……突き?」

 ――動きが見えなかった。

 ただ解ったことは、攻撃は振り下ろされたのではないこと。

 咄嗟に身体の正面に翳した木刀に、まるで穴を空けるような衝撃が飛んできたことだけは分かった。


 一瞬、本当に木刀が折れたかと思った。しかし、木刀はその形をしっかりと留めている。

 余程衝撃に強い木材か、きっと何か強化の術が施されているのだろう。

「あら、このくらいは反応するのね」 

 クラーラの感嘆の声を聞いた後、アレンは手が痺れるのを感じた。

 ――衝撃が時間差で届くなんて、聞いたことがないぞ。

「でもその反応だと、見えてはいないようですわね。見えていないのに、私の速度に反応できる人なんてなかなかいないわ」

 アレンは、余裕で語るクラーラの手元と自身の手元にある木刀を見つめる。

 探るように目を眇め、クラーラの立ち位置を見た。

 彼女とアレンの立ち位置は開始時から変わりがないように見える。

 ――なら、直接打ち込んできた訳ではないのか

 ――斬撃だろうか。こういうのは実際に見たことが無いから判断がつかないな。


 アレンはクラーラを上から下まで良く観察する。頭は高速で回転し、状況把握に努める。

「……構えからすると、レイピア遣いかな」

 呟きながらアレンは考える。

 ――『速度』と言っているからには、幻術の類ではなさそうだしな。

 ――まあ、嘘をついている可能性もなくはないけれど。

「ちなみに嘘もついていませんし、魔法も使っていないですわよ」

「……!?」

 まるでこちらの考えを読んだかのようなクラーラの発言に驚く。

「私が魔法を使うと、もっと速くなってしまって面白くないのですもの。まあ、まだ全然本気なんて出していないのですけれどね?」


 余裕綽々の笑みに少し腹が立つ。

 確かにクラーラは本気でないことは始まった瞬間分かっていた。

 何故なら彼女は――『左利き』だからだ。

 強制的に右利きに直される剣士も多いが、彼女は剣を右腰に差していた。つまり本来であれば、左手に剣を構えているはずなのだ。

 しかし、今目の前にいる彼女は右手に剣を構えている。

 左右どちらでも剣を扱えるとしても、多少なりとも技量に差は出るはずだ。つまり、完全に格下であると、始まる前から判断されていたのだ。


「クラーラ先輩もそういった挑発をされるんですね」

 その挑発に乗せられながらも、アレンは余裕ぶって剣を構える。 

「……速度で勝てないなら」

 アレンは一人呟く。

「力押し、っていうのも芸がないとは思うけどっ――!」

 

 そして地を蹴る。

 駆けた速度を、全体重を、両腕に乗せて左上段から袈裟切りで叩き込む。

 しかし、それは軽い木の音と共に、弾かれた。 

「くっ――! それならっ!」

 アレンは負けじと連続で打ちこんでいくが、クラーラはそれを最小限の力でいなしていく。


 ――なんてしなやかな剣技なんだ。

 アレンは自分の額から汗が流れ落ちるのを感じる。

 目の前のクラーラは息すらも上がっていない。

「間違っていないわよ。私は腕力では男性には勝てない」

 そう言われても、腕力で全く押せていない。


 ワーナー先生の護身術の授業でも習った、「力が弱ければ、相手の力を利用すれば良い」ということをクラーラは剣術で体現しているのだ。

 悔しくもあるが、また違う感情もある。


 全く歯が立たない。なのに――「楽しい」

 アレンはその場にそぐわない、満面の笑みになるのを堪え切れない。

 アレンが笑むのを見ると、クラーラもまた笑みを深める。 

「それでは、次は私の番ですわね」

 アレンは身構える。

 しかし、高速の突きが防ぐ間もなく、アレンに襲い掛かった。

 連撃の速度は最初の一撃よりは遅く、今度は何とかクラーラの姿自体は目で追える。しかし、剣先の見えない鋭く速い攻撃の全ては避け切れない。 

 切っ先が肌や服に触れるのを感じる。

「アレンさん、貴方、とっても筋が良いと思いますわ」

 クラーラは軽やかに後方に跳ぶ。その動作には、まるで重力が感じられない。


「でも、まだまだですわね――」

 クラーラは一度アレンから離れ、距離を保つ。

 流麗な構え。

 周りの木々の音がはっきりと聞こえる位に静かなのに、威圧感を感じる。アレンは、大気を制圧するような、この圧迫感を知っている。

 マーレ皇国おうこく皇帝、つまり、アレンの父親だ。

「王者の風格……」

 アレンが誰にも聞こえない小さな声で呟いた直後、その圧が迫った。

 そして、刹那――アレンの持つ木刀が払い落とされていた。

 しかし、それはクラーラによってではなかった。もっと言えば、クラーラ自身の木刀も地面に弾かれていた。

「……あらあら」

 クラーラは地面に落ちた自分の木刀を拾い上げる。

 しかし、彼女はその状況すら楽しんでいるようだった。





    ◇ ◇ ◇





 アレンにクラーラの剣が迫った瞬間のことだった。

 アレンの剣先とクラーラの剣先の狭間に、一陣の風が吹いた。


 ――それはアレンの護衛騎士ダニエルが真横から放った一撃だった。

 ダニエルの鞘に収まったままの剣が、アレンとクラーラの間を分断していた。 

 ダニエルの薄茶色の髪が、放った剣撃の余波で揺れている。アレンはその後頭部をじっと見つめた。

 ダニエルが横から軌道を逸らさなければ、クラーラの攻撃は確実にアレンの身体に当たっていただろう。


 しかし――

「ダニエル、下がっていろ。ただの木刀だ」

 アレンはわざと厳しい口調を作り、ダニエルはその場で跪いた。

「……出過ぎた真似を致しました、アレン様。クラーラ様も大変申し訳ございませんでした」

 ダニエルは一見冷たく思わせる涼し気なうぐいす色の瞳を伏せる。

 そしてアレンとクラーラ双方に頭を下げた。


「お気になさらないで」

 クラーラは笑顔でダニエルに片手を上げて見せる。

「下がっていろ」

 アレンの命にダニエルは一礼をすると、再び距離を取った位置に控えた。


「優秀な護衛なのね」

 クラーラはダニエルを横目で見ながらの余裕の笑みだ。そして意味深にアイリスの方を見つめていた。

 護衛を密かにこの場に伴っていることもどうやら不問にしてくれるらしい。

 彼にはアレンたち兄妹を監視する役割もあるから、置いてきたとしてもどうせ付いてくるだろうが。

 ――まあ、この学院には護衛を連れている人間は少なくないしな。


「さあ、続けましょう」

 アレンはクラーラに向き直り、構えを取る。

 そしてまた、クラーラもその後に続いた。先程の構えが取られ、クラーラの静寂な圧がこの夜の空気を満たした。

 




    ◇ ◇ ◇





 結果的に、試合再開後のクラーラの最初の連撃でアレンはぼろぼろになった。 

 攻撃を受ける覚悟で筋肉に適度な力を入れていたため、激痛に悶えるということはないが相当痛い。

 攻撃を受けたのは、箇所にして数十。真剣であれば、クラーラの言う通り、確かにアレンは何回も死んでいる。


「さあさあ、お次はアレンさんの番ですわよ」

 クラーラは嬉々としてアレンの攻撃を待ち構えている。これは完全なる挑発だ。

「いいえ、クラーラ先輩」

 しかし、アレンはそれに応えない。

 アレンは片膝を折り、地面につけた。体の右側に木刀を寝かせて。

 そして、礼を取り、頭を垂れた。 


「参りました」


 周りの空気がざわつくのを感じた。そういえば、皆が見ていたのだったと、思い出す。

 アレンはわずかに集中の糸を緩めた。

「意外ね。実戦経験が豊富じゃないみたいだから、まだ食らいついてくるかと思ったけれど」

 クラーラは頭を垂れたアレンの近くまで歩み寄ってくる。

「お互いにもう充分、分かったかと思いまして」

 アレンは頭を垂れたまま答える。

「引き際が分かっているなら、十分立派だわ」

 クラーラの影が、アレンのそれと重なる。アレンは立ち上がりながら、ちらりとアイリスを見た。

「それに、これ以上は妹が心配するかと思いまして」

 その視線をクラーラも追う。今はほっとしているアイリスの顔が、先程までは真っ青になっていたことが容易に想像できた。 


 ――昔からそうだった。

 アレンが双星宮で騎士たちに稽古をつけて貰っていた際に怪我をしてくると必要以上に心配していた。

 卒倒されたこともある。心配性で過保護な妹――


 クラーラはアイリスの顔を見て、「ふふ」と微笑む。そしてアレンに向き直って、手を差し出した。

 アレンはその手を取り、二人は握手をした。

「とても楽しかったですわ、アレンさん。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました。また是非挑戦させてください」

「ええ、そうして頂けると嬉しいですわ」


 その握手と共に、試合が終わった。

 アレンはボロボロ。

 クラーラは結局無傷どころか、息も上がらず涼しい顔をしていた。


 ――『惨敗』

 それがふさわしい言葉だった。

 これがアレンの今の実力だ。

 そう思い知らされた。


「これからが楽しみですわ」

 そう言うクラーラの笑顔と立ち姿は、やはり『王者の風格』だ、とアレンは思った。 





    ◇ ◇ ◇





「ダニエル、すまなかったな、アイリスの指示だろう」

 アレンはダニエルが控えている場所まで歩くと、彼に声を掛ける。

 あのとき、クラーラが構えた瞬間、「ダニエル」という声が聞こえた。アイリスが隣に控えるダニエルに囁く声が、アレンには聞こえていた。

 それが分かっていたからクラーラもアイリスの方を見つめていたのだろう。

 侮れない人だ。

「アレン様の命に反して、従ったのは自分ですので」

 ダニエルはなにやら複雑そうな瞳でアレンを見つめている。彼にも心配をかけてしまったようだ。

 ダニエルに命令を出した張本人のアイリスは、アレンの傍によたよたと駆け寄り、両手を胸の前にかざして治癒の魔法を使っている。

 アレンはアイリスを見下ろす。

「アイリス、俺は大丈夫だ。こういうことは、これから先何度もあるだろうけど、あくまで学院生活の範疇では『お互い見守ろう』って約束しただろう」

 アレンは学院に来た際に約束していたことを注意すると、アイリスはしゅんとする。

「ごめんね、アレン。アレンの邪魔をしちゃった」

 アイリスは謝りながらも治癒の魔法の手は休めない。

「分かったなら良い。心配かけて悪かったな」

 これ以上は何も言わない。心配を掛けさせてしまった自分にも非はある。

 それくらい、あまりにも一方的な試合だった。

 この日、アレンは久しぶりに圧倒的な敗北を味わった。

 アレンはまだまだ弱い。

「アイリス、やっぱり、世界は広いな」

 アレンは不思議と晴れやかな気持ちで言う。


「アレン、楽しそう」

 アイリスは本気で楽しそうにするアレンを見て、楽しそうに笑んだ。





    ◇ ◇ ◇





 アレンはアイリスに簡単な治癒をしてもらうと、皆の元に戻った。

 戻ってきたアレンにフランが心配そうな顔を浮かべながら尋ねる。

「どうだった、アレン?」

「あれは、今の俺では何万回挑んでも到底敵わないよ」

 アレンは思ったままを答える。

「だから言っただろう。この時期の騎士倶楽部は、新人歓迎っていう名前の後輩しごきだってさ」

 レオは心配そうに言いながらも、呆れ顔をしている。

「次は誰と誰が対戦するんだろう」

「レオはやらないのか、クラーラ先輩と」

 アレンはいたずら心と好奇心が沸いて、レオに矛先を向けた。

「アレン、お前あれだけボコボコにされた後に俺にそれを言うのか」

「いや、クラーラ先輩がレオと対戦したがっていたから。俺もレオの実力が実は気になってる」

「……俺、帰ろうかな。あの人以外となら対戦したい。だけど、あの人とだけは絶対に嫌だ」


「皆さん、楽しそうですわね」

 アレンたちが話していると、クラーラの声が夜の騎士倶楽部に響く。

「言い忘れていましたけれど、敗者の罰は『草むしり』ですのよ。さあさ、レオナルドさん。こちらにいらっしゃって?」

 こちらを振り返ったクラーラはとても良い笑顔をしていた。 

 レオの顔は引きつり、ジリジリと後退していった。

 無駄なのに、とは言わなかった。

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