第10節 夜の騎士倶楽部


 夜のサンクチュアーリオ学院は静かだ。

 鳥の鳴き声。虫の音。風で木立の葉が擦れ合う音。

 それらの音は全て月と影のように、ただそこに在った。


 ――『騎士俱楽部』――

 それが開かれる場所は、今は授業では使われていない旧鍛錬場だ。

 教師たちはその存在を認識していながらも、管理はしていない。それは騎士棟の学生たちが代々引き継いできた研鑚の場。


 アレンたちは騎士棟三年生首席であり、代表を務めるクラーラにいざなわれ、その森を訪れていた。

 旧鍛錬場は騎士棟裏にある現在の正規鍛錬場から更に学院の奥にある。その場所に辿り着くためには、鍛錬場を囲む森の中を通る小道を進み、しばらく歩く必要がある。


 アレンたち一行が道を先へ先へと進んでいると、視線の先に薄暗さが少し和らぐ場所が現れる。そこはひらけた場所だった。

 だがしかし、そこは雑草が生い茂っていて、到底鍛錬に使えるような場所には見えない。

 アレン、レオ、フラン、そしてなぜか見学を許された魔術棟所属で部外者のアイリスは、その『何もない場所』に向かって真っ直ぐ歩いていた。


 昨年倶楽部への参加資格を得ていたレオに案内され、道を進み、ここまで来たが。

「本当にここで合ってるの? 迷子になってないよね?」

 フランが不安そうに先頭を歩くレオに尋ねる。フランもこの場所を訪れるのは初めてのことらしい。

 聞くと、中等部の学生は現在の鍛錬場より先にある、この森への出入りを禁止されているとのことだ。

 『騎士倶楽部』の参加資格は高等部以上であり、参加するためにはそのときの『騎士倶楽部のあるじ』に招待される必要があるとのことだ。

 騎士倶楽部に招待される人間は、出自を問われない。単純に騎士倶楽部の主が興味を持った人間であったり、倶楽部の人間からの推薦であったりと、特に決まりはない。特段秘された組織でもなく、一芸を披露したりして入会を希望する学生もいたりする。そして余程素行が悪くなければ、退会もさせられない。

 そして『騎士棟の主』は、基本的にはそのときの騎士棟首席が務める習わしになっているそうだ。

 昨年レオはその『主』になったクラーラに招待されて騎士倶楽部に時々参加していたらしいが、「まあそれも色々あるまではだがな」と本人はバツが悪そうに言っていた。


「――ああ、この場所で合ってるよ」

 レオは手にした夜灯をその道の先にかざして答える。

 魔術具の夜灯は優しい灯であるが、不思議と遠くを明るく照らした。そして、照らされた小道の終着点にアレンたちは辿り着く。

 その終着点には蔦が絡まった古びたアーチ状の門扉が立っていた。背の高い門扉は、既にその役割を果たしていないように見える。片方の扉は無くなり、もう片方の扉は辛うじて繋がっているような状態だ。


 レオ以外の三人は首を傾げる。しかし、その不安はすぐに消え去った。


「――ようこそ、夜の『騎士倶楽部』へ」


 四人がその門扉の前に並んだ瞬間、目の前に音もなく人が現れた。

 アレンたちが着ているのと同じ腰丈の学院指定の白いローブを身に纏い、フードを目深に被った女生徒。

 に剣を下げている人物の声は知っているものだった。

 随分と形式ばったことをするんだな、とアレンは思う。


 ――しかし、この会の名前は『騎士倶楽部』。そういう趣向なのかもしれない。ここはそれに応えるべきだろう。

 アレンはそこまで引いてきたアイリスの手をそっと離す。そして、アイリスにその場を動かないように言い含めて、レオの横をすり抜けた。


 案内人である女生徒の前まで進むと、立ち止まり、自身のローブのフードを外す。そのままその場で片膝をつき、彼女の手を取った。

 こういう所作には、練習ばかりだが一応は慣れているつもりだ。

「お招き頂きありがとうございます。『騎士倶楽部』のあるじ

 アレンに手を取られた女制とは、空いている左手で自身のフードを外すと、一束に結われた蜂蜜色の豊かな髪が零れた。

「随分と様になっていますのね」

「お褒めにあずかり光栄です、クラーラ先輩」

 アレンは跪いたままクラーラを見上げ、我ながら嘘くさい笑みを浮かべた。

 その体勢ではクラーラの顔は影になって良く見えなかったが、おそらく彼女もこの茶番に対して悪戯な笑みを浮かべているのだろう。

 アレンがそっとクラーラの手を離して立ち上がると、クラーラはアレン達に背を向ける。そしてローブの懐から何かを取り出した。


 シャラリと鳴るは、真鍮製の鍵束だった。

 クラーラはその内の一本を選ぶと、何もない空間にその鍵を刺した。そしてその鍵で扉を開くように手首を捻った。

 次の瞬間。鍵を刺した部分を起点にしてアレンの目の前には、先程までとは少し違う光景が広がった。

 壊れた門扉とその先にあるはずの雑草が生い茂っていた場所には、鍵と同じ真鍮製のアーチ門が立っていた。

 その先には最低限の草は刈られ、周辺に野花が咲いている拓けた場所があった。

 先程までは壊れた様相だった門扉は美しく輝き、今にも駆けだしそうな翼の生えた神獣、空駆ける馬が装飾されている。


 アレンたちはクラーラを先頭にその門扉を順番に潜る。

 門を潜った先、花開いた黄色い花弁はそよ風と共に踊り、その場所に足を踏み入れた若者たちを歓迎した。

 そして、その拓けた場所に立っていた十数名の学生たちがアレンたちの方に近付いてくる。その中でも先頭にいたのはアレンの知っている顔だった。

 生徒会役員でもある二年生、茶髪と人懐っこそうな笑顔が印象的な男子学生――ランスはクラーラの横に並んだ。

「いやー新しいパターンでしたねー。クラーラ先輩」

「ええ、とても楽しかったわ」

 ランスはクラーラと「あはは」「うふふ」と楽しそうに笑い合う。ひとしきり二人で笑い合うと、ランスはアレンたち一年生にぶんぶんと大きく手を振った。

「よー。元気かー、一年生ー! 知っていると思うけど、俺は騎士棟二年のランス・ニューマン! 敬意をこめて、ランス先輩と呼ぶが良いー!」

 ランスはとても元気が良かった。

「そうそう! これを言っておかないとな!」

 ランスは思い出したようにくるりとレオの方に向き直る。

 そしてレオの両肩にバシバシと両手を叩きつけながら言う。

「レオナルドー! 二回目の一年生おめでとうー!」

 アレンの右隣からピキリという何かがひび割れるような音が聞こえた気がした。その音源と思われるレオがずかずかとランスに近付いていく。

 そして瞬く間にランスの胸倉を掴んだ。

「――ランス! お前、ぶん殴るぞ!」

「まあまあ、そうカリカリすんなよー。あ、てか俺一応先輩だよー。ランス先輩って呼んでみろよー。あははーうけるー」

 レオはランスの胸倉を掴んだ勢いまま、前後左右に激しく彼の身体を揺する。しかし揺すられている当人は気にする様子もなく、にこにこと笑っている。

「お前のその能天気そうな顔見るとイライラするんだよ!」

「なんだよー。反抗期かよー。かわいい奴めー!」

「こっちが留年した途端、意気揚々と年上ぶってんじゃねーぞ!」

「年上じゃない! でも! 先輩だ!」

「お前、まじで、ぶん殴るぞ!」

 怒っているのに、怒っていない。

 アレンは、そんな風に怒っているレオが珍しくて思わず二人を凝視してしまった。

 ――なんだか楽しそうだ。

「二人は仲が良いんだな」

 アレンは笑う。

「そうそう、仲良しなんだよー!」

「まったく、仲良くない!」

 ――息がピッタリだ。

「仲良しじゃないか」

 アレンの一言に、レオは何故か「無」の表情を浮かべていたが、アレンにはその理由が分からなかった。





    ◇ ◇ ◇





「お遊びはその辺にして、早速稽古を始めましょうか」

 クラーラはパチリと手を打つと、並んだ一年生をくるりと見る。新一年生はアレンとフラン以外にも何名か集められていた。


 クラーラの視線が移動するのを見て、なぜかフランはレオの背中の後ろに隠れていた。

 どうせ来ていることが知られているのに、とそんなことを思いながらレオを見る。そして再び顔を正面に向けるとクラーラと目が合った。

 クラーラはアレンにニコリと微笑んだ。これは何か企んでいる顔だ。アレンの警戒をよそに、クラーラはわくわくしているようだった。

「まずは腕試しに、アレンさん、私と対戦しましょうか?」

「……え?」

 アレンは唐突な誘いに言葉を失った。

「いきなりかよ……」

 レオは呆れ顔でクラーラ見ていた。

「アレン、生きて帰って来るんだぞ……!」

 フランはまるで死地に向かう軍人を見送るような目でアレンを見ていた。

「アレン、がんばって……!」

 アイリスはこの場では部外者のはずなのに、なぜか周りから何も指摘されることなく、なぜかこの場に馴染んでいた。

 そしてアレンに声援エールを贈っていた。


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