第9節 騎士棟首席からの誘い


 ジェダイト教室クラスの面々は魔法実技の授業後、昼食をとるために同じ階にある食堂に向かっていった。

 アイリスと雛姫はアストルム老師せんせいに挨拶をしていたため、皆から少し遅れて教室を出る。すると、廊下ではアレンがレオとフランと共に談笑しながら、アイリスたちを待ってくれていた。

 最近はこの五人の顔ぶれで昼食をとることが多く、そこに同じ編入組の風鈴とジェダイト教室の委員長を務めるセレーナが加わることもあった。


 そのときのアイリスは、同級生たちと魔法や魔術について語り合うという得難い経験をし、心がふわふわと綿毛のように舞い上がっていた。

 そのせいでアレンの姿を認めた瞬間、周りの目を憚らずに上機嫌でアレンの腕に抱きついてしまう。

「アレーン!」

「――うわっ!」


 アレンはアイリスの突然の行動に驚きの声を上げるものの、身体はいつも通りアイリスにされるがままになっていた。しかし、視線は左右を彷徨い、少し焦っていた。

 だが、今のアイリスはそんなことは一切気にしていない。頬を上気させ、これ以上近づけない位までアレンに抱きついている。

 レオの「なんだあの兄妹」という声も、「そんなの僕が聞きたいよ」と答えるフランの声も、今のアイリスには届かない。


「アストルム老師と何話してたのっ?」

 アイリスは興奮気味にアレンに尋ねる。

 アイリスは授業中は沢山のクラスメイトに囲まれていたが、それでもアレンがアストルム老師と話していることに気が付いていた。

 アレンが魔力をほとんど持たないことをアストルム老師は入学試験のときに既に知っている。老師は試験官の一人だったからだ。

 それで二人の間で何かやり取りがあったのだろうかと気になっていたのだ。 


 アレンはアイリスが抱きついている左腕を優しく持ち上げる。アイリスの腕はするりと滑り落ちた。

 そのままアレンはアイリスの目の高さまで手首を持ち上げて見せた。アイリスはアレンの手首をじっと見つめる。

 そこには銀の細身の腕輪が嵌められていた。魔力の色を感じるそれは、魔術具なのだろう。

「この腕輪を頂いたんだ」


 アレンはアストルム老師から受け取ったその腕輪が、魔法を使いやすくするということを説明してくれる。

「ふーん、いいもの貰ったのね」

 アイリスの横に立っていた雛姫がぽつりと言う。いつの間にか近くに来て、翠色の瞳で興味深げにアレンの腕輪をまじまじと観察していた。

「……っ」

 アイリスはアレンに返事を言おうとして、それは言葉にならずに止まった。

 アイリスは自分の気持ちを上手く言葉にできない自分に戸惑った。

 押し黙っているとアレンは心配そうに顔を覗き込んでくる。アイリスはなぜかその瞳を直視できなかった。

 そして思わずアレンの腕に顔を埋めてしまった。アイリスはアレンの腕に顔を埋め、ひっそりと涙ぐむ。


 ――これでアレンは少しは呪いから解放されるはず。

 ――苦しみが減るはず。

 ありがとうございます、アストルム老師せんせい――


 顔が上げられないアイリスを慈しむように、アレンはそっと髪を撫でてくれる。

 だから、アイリスはゆっくりと顔を上げ、笑顔を見せた。





    ◇ ◇ ◇





 アレンたちが食堂の入り口に着くと、見知った人物と出会った。

 蜂蜜色の髪を持つ、この学院の生徒会会長にして騎士棟首席の三年生クラーラ・マクレール・フロールマンだ。


 彼女はこちらに「あら」と気が付くと、優雅な花のように挨拶をした。

「皆さま、ごきげんよう」

「「こんにちは、クラーラ先輩」」

 アレンたちも挨拶を返すが、アレンはがいないことに気が付く。

「あれ、シン先輩はいらっしゃらないんですか」

 アレンが周囲を確認すると、クラーラは苦笑いをする。

「別に私はシンと常に一緒にいる訳ではないのよ。なぜか皆から勘違いされるのだけれど」

 少なくともアレンが見かけた時は常にシンと一緒にいたように記憶している。

 首を傾げるとクラーラは更に付け加える。

「同じ教室クラスではあるけれど、三年生からはそれぞれの所属する棟での授業ばかりなのよ。シンは魔術棟で私は騎士棟での授業が多いから、会うのは生徒会の仕事のとき位なんですのよ」

 確かに学院に来た際に雅治もそのように説明していた。

「そうなんですね」

「そうなんですわ」

 アレンが納得して頷くと、クラーラも頷く。

「――そんなことよりも」

 クラーラはお願いする意思表示をするように胸元で両手を合わせる。

「お邪魔でなければ、皆さんとご一緒させていただいてもよろしいかしら。少し出遅れてしまいましたの」


「是非! ご一緒させてください!」

 アレンが「是非」と返事をしようとすると、一瞬早くその返事が矢のようにアレンの横を走っていった。

 その声の主であるアイリスだった。アイリスはアレンの半歩後ろで、アレンと同じ藍玉の瞳にいくつもの喜びの光を瞬かせていた。

 そして意気込むように拳を顔の下で強く握っている。

 その更に後ろに立っていたレオが、アイリスと対照的な顔をしているのをアレンはしっかりと瞳に捉えていた。


 アレンたちが席に落ち着くと、意外にも最初に口を開いたのはフランだった。

「クラーラ先輩、生徒会で姉さんがご迷惑おかけしたりしてないですか」

「そんなこと全くないわ、フランさん。メアリさんにはいつも助けて頂いているわ」

 フランの質問にクラーラは笑顔で答える。

 メアリと言えば――とアレンとアイリスは人懐っこそうな笑顔の赤髪の生徒会役員の女生徒を思い浮かべる。

「姉さん?」

「お姉さま?」

 アレンとアイリスが首を傾げるとフランが説明をしてくれる。

「ああ。僕の姉さん――メアリは生徒会役員をしているんだ。休暇中にアレンとアイリスさんに会って、話をしたりしたって言ってたけど」

 想像していた人物とやはり同一人物だったようだ。

 アレンとアイリスはメアリが同じ生徒会の一員であるランスやランと共に、休暇中にも時々話しかけてくれたことを思い出す。

 メアリが魔術棟、ランスが騎士棟、ランが研究棟の二年生だ。


「言われてみると、確かにメアリさんとフラン君ってそっくりだわ」

 アイリスは感動したように少し身を乗り出してフランの顔を覗き込む。

「あ、あんまり見ないでね」

 フランが慣れなさそうに左手を顔の前に持ち上げて顔を隠すと、アイリスは「ごめんね、フラン君」と謝った。

 アレンは首を傾げる。いつもならここでレオは「なんだよ、フラン、照れてんのかあ?」とからかい、フランが「う、うるさい」と怒る流れだ。

 しかし、なぜか今日のレオは無言に加えて意図的に気配を消している。


「そうそう、私、アレンさんとフランさんに言わなくてはならないことがありましたの」

 クラーラはそう言うと右手中指にはめたイエローダイアモンドの指輪を掲げた。

「騎士棟にようこそ。騎士棟の代表としてお二人を歓迎いたしますわ」

 アレンとフランが揃って礼を言うと、クラーラは顔をゆっくりと動かした。

 その瞳は一人の人物を捉える。捉えられた人物は、ギクリと身を震わせた。

「レオナルドさんもお久しぶりですわね」

「え、ええ……お久しぶりです」

 何かありましたとはっきり述べているその動作は、あまりにも不自然だった。


 入学式の時にレオが留年した関係で、生徒会長と副会長の二人とは色々あるようなことを確かに言っていた。しかし、これでは挙動不審が過ぎていると言わざるを得ない。

 アレンは思わず中等部からこの学院に所属しているフランと雛姫の二人を見る。

フランは「んー?」という不思議そうな表情をしているが、全く事情は知らないわけではなさそうな微妙な表情。

 雛姫は目の前のやり取りに興味を示さず、運ばれてきた料理を黙々と食べている。何より感情が薄くて何を考えているのか良く分からない表情。

隣同士のアレンとアイリスは思わず顔を見合わせた。

 ぎこちないレオをよそに、クラーラは鉄壁の笑顔を崩さない。人の心を掴むのに長けている彼女がレオのぎこちない態度を気が付いていないわけがないのに。

 当惑していると、アレンたちの座るテーブルに一つ、影が差した。知っている気配と影にアレンは少しほっとするが、レオは余計に緊張を高めた。

 そしてアレンたちの頭上から落ち着いた声が降ってきた。


「元気にしていたか、レオナルド。こうやって顔を見るのは久しぶりな気がするな。フロールマンと一緒なんて珍しいこともあるんだな」

 そこには濡れ羽色の髪と同じ色の瞳を持つシン・クロウリーが立っていた。

「――嫌だわ。普段から貴方と一緒じゃないという話をしたばかりなのに」

 クラーラが独り言ちるのをよそに、レオは若干二人から目を逸らし、気まずげに「ええ、元気です」と返事する。

「元気ならいい。前にも言ったが、お前がそんなに気に病んだりすることはない。お前は十分すぎる程に罰は受けたのだろう」

「そういうことですわ」

 三年生の二人は柔らかい笑顔でレオを見つめていた。

「はい……ありがとうございます」

 二人の言葉に、レオは見たことがないくらい丁寧に頭を下げ、礼を言う。元気一杯で一年生みんなの兄貴分であるレオがしおらしいのも珍しいとまだまだ短い付き合いながらもアレンは思う。

 レオも後輩なんだよな、と当たり前のことを思った。そして流石――とも思った。

 それまでの挙動不審な態度から、ほんの短時間でいつも通りのしゃんとした姿勢に戻ったから。 


 目の前で行われた先輩と後輩という関係性に、事情を知らないアレンまでなんだか微笑ましい気持ちになる。だからその気持ちを伝えようと思った。

「レオのそういうところ。すごく尊敬する」

「いや……だからそういうの自重してくれ」

 レオは何故か耳まで真っ赤に染めていた。

 それを見て、クラーラは「ふふっ」と笑い、シンは弟を見守るような大人びた表情でそれを見ていた。


 自分にもいつか後輩が出来て、こんな顔で笑える日が来るのだろうか。

 アレンはそんな未来を夢想した。





    ◇ ◇ ◇





 昼食の後、食堂の出入口でクラーラはアレンたち一年生を振り返る。

 スカートを翻し、手を後ろで組んで彼らの顔を覗き込んだ。

「ねえ、アレンさんにフランさん。今夜私たちの『騎士倶楽部』に招待されていただけませんか」

「「『騎士倶楽部』ですか……?」」

 問いかけられた二人の返事は重なるものの、それぞれの表情は分かれている。


 アレン・ロードナイトは純粋に不思議そうな顔。

 隣のフラン・シラソル・カラーは小麦色の肌を青ざめさせている。

 二人の反応を見て、クラーラは次の質問はアレンを標的にすることに決めた。


「アレンさん。騎士棟の先輩たちと剣術の地稽古をしたくありませんか?」

「興味あります」


 予想通りアレンがすぐに食いついた。隣で「あーあ」という表情をしている騎士棟生に気付かず、クラーラに話の先を促すように目を爛々とさせている。

「良かったですわ。それでしたら……」

 クラーラがアレンを誘い込もうとすると思わぬ邪魔が入った。

 それは昼食前には弱々しくクラーラに対して萎縮していたレオナルドだった。

「ア、アレン! 悪いことは言わないからやめろ! この時期にやる『騎士倶楽部』と言ったら、新人歓迎会と言う名の後輩しごき大会だぞ!?」

 レオナルドの必死な制止に、顔を青くしたままだったフランまでもがささやかな抵抗を始める。

「そうだよ、アレン!」

 フランは弱々しくアレンの袖を引く。しかし、アレンは意に介していないようだった。

「でも、面白そうだ」

「アレン、そうやって知らない奴に軽々しくついて行ったらロクな目に合わないんだぞ。お前をそんな子に育てた覚えはない!」

「そうだよ! アレン! 駄目だよ! 行くにしても今夜じゃないよ!」

 真剣な顔で参加を希望するアレンを男子学生二人が必死に止めている。


 ――美しき友情かしら。あら、でもそうしたら私は悪い魔女になってしまうわね。


「いや、レオに育てられては無いと思うんだけど。まだ会ってひと月も経ってないじゃないか」

 ふざけているようで必死な二人の制止にアレンはあくまでも真面目だ。それが可笑しくてクラーラは思わず声を上げて笑いそうになる。

 しかし、ここは大事な局面――と持ち直した。

「酷いわ、『知らない奴』だなんて……」

 クラーラがわざとらしく溜息を吐いて見せると、軽口を叩いていたレオナルドが急に青ざめる。

「す、すみません!」

 レオナルドが謝罪すると、クラーラは表情を一変させる。そして、良いことを思いついたように、その笑顔の矛先をレオナルドに向けた。

「そうですわ。レオナルドさんも久しぶりに顔を出してくださいな」

「えっ!?」

 急に矛先を向けられたレオナルドは慌てふためく。

「なにかしら、嫌なのかしら」

 クラーラはわざと悲しそうな表情をして見せるとレオナルドとフランが次々に項垂れた。

「う、有無を言わせない……」

「クラーラ先輩、それわざとですよね……」

「レオナルドさんと久しぶりに手合わせするの、楽しみですわ。勿論アレンさんとフランさんの実力を見るのもね」

 クラーラは様々な表情をする一年生たちに片目を瞑って見せた。


 最終的にアレンもフランもレオナルドも、今夜の『騎士倶楽部』に参加することになった。しかも、アイリス・ロードナイトも見学に来たいという。総合的に見て、これは大きな収穫だ。


「君は魔女か何かか」

 思い通りの展開に持って行けたことに満足していると横からシンが冷たい視線を放ってくる。

「嫌だわ、そちらの可愛らしい『小さな魔女リトル・ウィッチ』は研究棟が掻っ攫っていってしまったじゃない」

 クラーラはアイリスにぴたりとくっついている雛姫・榊・ジェダイトをちらりと見る。

 露骨に話を逸らしたクラーラに、シンは大きな溜息を吐いてきた。

「……まあ、いい。だがフロールマン、あまり後輩を虐めてやるなよ」

「シン・クロウリー、貴方もそろそろ新人戦の準備をしなくては、また今年も私たちの騎士棟に敗北いたしますわよ」

 あくまでも冷静さを保つシンにクラーラはあえて挑発的な視線を送る。

「君に心配されるまでもない。こちらとしては既に優秀な人材の目途はついている」

「あら、ではその優秀な人材に寝首を掻かれないように気を付けてくださいませ」

 クラーラとシンの間には静かな火花が散っていた。 

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