第6節 負けず嫌い


 入学式の翌日から本格的な授業が始まった。


 マーレ皇国おうこく双星宮そうせいきゅうに長いこと籠っていたアレンとアイリスにとっては、経験のない慌ただしい日々だ。

 入学前に聞いていたよりも課題は多く、連日実技の授業もあった。

 しかし、アレンとアイリスにとっては忙しい日々を過ごせることは大変さもあるが、同時に喜ばしいことでもあった。


 アレンとアイリスは、皇国では公務に参加するのは年に数回あるかないかだった。皇子や皇女というよりも、数多くいる皇族の一員として人目につかないようにしか参加していなかった。

 だから、こんな風に時間に追われるという経験がなかった。

 アレンたちの身分や事情を知らない貴族や役人たちが陰で二人を「引き籠りの穀潰し」と揶揄していたことを彼らは良く知っていた。

 ――そしてそれは事実だということもアレンとアイリスは知っていた。

 この学院で過ごすことは、彼らにとっては『呪い』を解く糸口を探すための旅だ。

 だが同時に、皇帝からの「世界最高峰の技術を国に持ち帰れ」という命令を果たすための旅でもある。その使命を果たすため、彼らは自分たちを奮い立たすことが出来ると思った。

 生きる場所も食事も、教育の機会も与えられたのだから。

 そして、アレンとアイリスは今までもお互いの存在で自分を奮い立たしてきたのだから。





    ◇ ◇ ◇





 学生たちは皆、怪我防止の術が施された武術の授業用の服に着替えていた。

「それでは皆さん、二人一組になってください」

 体術の授業のうち、一年生の最初のカリキュラムは『護身術』だった。その護身術の授業の担当教諭であるワーナー先生が手を合わせてクラスの皆に指示を出す。

「先週は基本の型をしましたので、本日からは実戦形式での組手を行います」

 ワーナー先生の指示に従って、アレンとアイリスが所属するジェダイト教室クラスの学生たちは男女別でそれぞれ二人一組になる。

 そして各々準備体操を始めた。


 ワーナー先生は女性でありながらも、体術において、この聖域で指折りの実力者らしい。

 自分よりも体格の良い男性を涼しい顔で投げ飛ばせるのだそうだ。そしてその実力を買われ、数年前からサンクチュアーリオ学院で教鞭をふるっているそうだ。


 アイリスも長いシルバーブロンドの髪を低めの位置で二束に分けて、動きやすいようにしていた。

 母国では着ることも見ることも無かった丈の短いキュロットスカートと半袖ブラウスには二週間程の授業だけではまだ慣れずにいる。動きやすくはあるのだが、肌が露出する服では居心地は少し悪い。

 そして、アイリスはこの二週間近くで体術どころか身体動作が苦手なことが教室中に知れ渡っていた。そのレベルにはアイリス自身も愕然とする位だった。

 自分がまともに出来るのは、歩くことくらいしか無いのかもしれないとも思った。

 確かに学生の中には、運動が苦手な学生もいるが、同じ教室にはアイリスと同じレベルの学生はいなかった。必然的に、ワーナー先生がアイリスの組手のパートナーになっていた。


「ワーナー先生、本日もよろしくお願い致します」

 アイリスはなんとか「皆に追いつこう」と気合を十分に入れて、組手前の作法である礼をする。 

 しかし、すぐ近くから熱い視線を感じて横を向いた。そこにはあからさまに不満顔の雛姫が立っていた。

「私はアイリスさんとやりたかったのに……」

 雛姫は後頭部で一束にまとめたウェーブヘアをしょんぼりさせながらがっかりそうに呟く。

「雛姫さん、貴女ではアイリスさんを殺してしまうので、駄目です」 

 すかさずワーナー先生が冷静にそれを一蹴する。

「雛姫はワタシとやるんダヨー」

 そしてお団子頭の風鈴がニコニコ笑いながら雛姫の両手を掴んでぶんぶん振り回す。

 風鈴は魔法魔術も相当な遣い手であるが、体術の実力も相当なものだった。

「風鈴さんはお強いですからね。私は体術は苦手……壊滅的なので、雛姫さんの相手は務まらないです……」

 アイリスは自分の弱さに項垂れた。 

「じゃあ、雛姫、始めヨー」

「ふふふ、久しぶりの実戦楽しみ……」

「雛姫さん、風鈴さんの二人は周りを巻き込まないようにほどほどにしなさい」

 ワーナー先生の忠告に二人は「分かっています」と返事すると組手が始まった。


 雛姫は、初手からいきなり風鈴の背後を取り、小さな身体を入り込ませる。そして、そのまま背負い投げをした。

 その勢いのまま、風鈴の身体は宙を浮く。しかし、風鈴はそのままクルリと軽やかに空中で回転し、最後にはきれいに着地してしまった。

「ほんと、風鈴さんは身体が柔らかいわね」

「雛姫はその小さい身体で凄いパワーだネ」

 アイリスは内心二人の感想に激しく同意した。

 しかし、雛姫は急に嫌そうな顔をして小さく呟く。

「ち、ちいさくない……」

 そう言っている雛姫の顔は赤くなっていた。

 どうやら彼女にとってその小さくて愛らしい身体はコンプレックスのようだ。自分も気を付けないとと記憶に刻む。

「ご、ごめんネ。でも雛姫とても可愛いヨ……」

「なによ、自分が大きいからって、馬鹿にして」

 確かに風鈴は小柄な雛姫さんと比べると風鈴さんはどちらかといえば長身だ。

 だが、もっと長身な女性はたくさんいるのに雛姫はどうしたんだろうとアイリスは首を傾げる。

「馬鹿にしてないヨー、雛姫ー」

 雛姫は顔を赤くして、ぷるぷる震えている。

 一方の風鈴はおろおろし、小さく跳びながら雛姫の周りをぐるぐる回って謝罪している。

 しかし、それを見た雛姫は小さく目を見開いて「やっぱり馬鹿にしている」と、更にぷるぷる震え始めた。


 アイリスは冷や冷やしながら二人を見守り、アイリスの横に立っていたワーナー先生は溜息を吐いていた。

 そして周りの女子学生たちは「あーやっちゃった」という顔をしていた。

 アイリスが未だに首を傾げていると、近くにいたピンクブロンドの少女――教室クラス委員長のセレーナ・トーン・ブルーレースがアイリスにも耳打ちをしてきた。

「雛姫は、その、お胸が小さいことがコンプレックスなの。アイリスさんも気を付けてね。酷い目に合うから」

「ま、まあ、そうなんですね……」

 アイリスは口元に手を当て、雛姫と風鈴を見る。

 確かに雛姫は華奢な体型で、相対する風鈴は――とてもスタイルが良かった。


 アイリスは年頃の女の子たちのそういう会話に加わるのが初めてなので、少しドキドキしていた。

 双星宮のメイドたちもアイリスの前でそういったことを話すことがなかったため、そういうことを意識したこともなければ、話したことも無い。

 ――なんだか照れくさいわ。


 頬が少し熱を帯びるのを感じながら視線を雛姫と風鈴の方に戻すと、二人の闘い――もとい組手は再開していた。

 拳や蹴り、何だか良く分からない技やら攻撃がものすごい速さで繰り出されている。

 アイリスには二人が互角に闘い合っているように見える。

 アイリスはその光景に吞まれ、これが『護身術』の授業である事を、すっかり忘れてしまった。

 

 雛姫と風鈴の激しい攻防を見てアイリスは「すごいわあ」とどこか遠くを見つめる気持ちになる。しかし、ワーナー先生に肩を叩かれて意識を目の前に戻す。

「ではアイリスさん、貴女はまずゆっくりでもいいから、イメージ通り『正確』に身体を動かす訓練をしましょう。焦っては駄目ですよ」

「はい!」

 アイリスは再び気合を入れ直した。





    ◇ ◇ ◇





 雛姫と風鈴が激しい攻防を繰り広げているのを、道場の残り半面に移動した男子学生たちが戦々恐々と見ていた。


「雛姫さんと渡り合える風鈴さん何者だよ。中等部のときは死人が出ないように毎回先生と組んでたのに」

 男子学生たちは噂をしながら、雛姫だけでなく風鈴をも恐れていた。この教室の男子学生のうち、高等部から入学したのはアレン一人だったため、話にはついていけなかったが、雛姫が相当な実力者ということは分かった。

「雛姫さん、本当に強いんだな」

 アレンはクラスメイトの会話に混ざると、赤毛と小麦色の肌が特徴的なクラスメイト――フラン・シラソル・カラーが答えてくれた。

 彼は見た目からして気の良い性格が滲み出ており、アレンにも親しくしてくれている。

「男子相手でも体術なら半数以上はやられるよ……。武器も使用可の騎士戦ならほぼ誰も残らないよ」

「そんなに……」

「ここで渡り合えるのは、レオくらいかな。アレンもかなりいい線いくと思うけど」

「うーん、どうかな?」

 アレンは曖昧に笑う。

 雛姫との対戦には興味はあったが、雛姫の真骨頂は体術じゃないような気がした。


「アレーン! こっちも始めようぜ!」

 早く組手をしたくて痺れを切らしたレオが少し距離を取った位置から呼びかけてきたので、アレンは振り返って返事した。

「ああ、分かった。今いくよ、レオ」


 アレンとレオは互いに礼をすると、レオから攻撃を仕掛けてきた。

「とりゃあー!」

 レオは初手から飛び蹴りを仕掛けてくる。

 そしてアレンはそれを腕でガードして後ずさった。

 体格に恵まれている分すごいパワーだった。

「普通いきなり飛び蹴り仕掛けてくるか……? ていうかこれって護身術の授業だよな。飛び蹴りを食らわせてくる暴漢とかっているのか」

「アレンは真面目だなあ」

「いや、真面目っていうか……」

 レオは今年度最初の実戦形式の授業ということで興奮しているようだった。その紅蓮の瞳がギラギラと獲物を狙う目で光っていた。

 アレンは「もういいや」と呟く。

「ほら、次はアレンの番だぞ」

 レオはくいッと手を招く仕草をして、アレンを挑発してきた。

「――じゃあ、遠慮なく」


 アレンは床を蹴り、素早い動作でレオの後ろに回り込み、羽交い締めにする。

 それに対し、レオは凄い力でアレンの腕を掴み、足を掛けてくる。

 そのせいでアレンは驚いてバランスを崩し、床に転がってしまった。受け身は問題なく取れたが、そのままレオに背中を踏まれる。

 絶妙に力が入らない場所を踏まれており、簡単には抜け出せなさそうだ。

 ――強いな。

 アレンは授業程度の対戦と油断したことを反省し、どうしたものか考えていると、レオが頭上から話しかけてくる。

「アレンは軍とか騎士団とかで訓練受けたのか?」

「なんでだ」

 アレンは答えながらも次の手を探る。

「なんていうか、身のこなしがお綺麗だよな。基本に忠実で、『規律に従ってます』みたいな、そんな感じ」

 アレンは内心、良く見ているなと思う。

 事実アレンは双星宮の騎士に混じって訓練を受けていた。

 ――流石、実力トップクラスと言われているだけあるよな。

「それがどうした」

 アレンは努めて冷静に返す。

「別に……ただ、そんなお綺麗なままじゃこの学院じゃ負けちまうぞ?」

 遠回しに「世間知らず」だと指摘されている気分になる。

 実際そうだけど――とアレンは心の中で呟いた。

 

 そんなアレンの内心を知る由もなく、レオは悪い顔でこちらを見てくる。それは安い挑発だと分かっていても、アレンは『少し』頭に血が昇った。

 そう、『少し』だけ。


「それは、ご助言いただき感謝するぞ。ありがとう、レオ――」

 アレンは笑みを貼り付けた顔をレオの方に向けてお礼を言う。

 そしてすかさず両脚に力を集中させ、それを軸に身体を勢い良く反転した。

「――うおっ!!!」

 先程まで余裕綽々だったレオは驚き、バランスを崩した。

 アレンは身体を反転した勢いを活かし、左足を大きく回した。

 そして、道場の壁に立てかけられていたマット目掛けて、レオを蹴り飛ばした。

 目論見通りレオはマットにボフッと背中を沈め、驚愕に目を見開きながらこちらを見ていた。

 結構痛そうな音がしたので、少しだけ罪悪感を感じたが、やられっぱなしじゃいられない。


「レオが言ったんだぞ。『お綺麗なままじゃこの学院じゃ負けちまう』って」

 アレンは満面の笑みをレオに向けた。我ながらあまり行儀の良い笑顔ではないと思う。

 蹴り飛ばされた当のレオは「ハハッ」っと噴き出した後、ニヤリと好戦的な笑みをアレンに向けてきた。

 それこそあまり行儀の良くない笑顔で。

「いいじゃん、いいじゃん。そんな感じだよ」


 アレンとレオの攻防もまた、雛姫と風鈴の攻防と同じようにクラスメイトたちをざわめかせていた。

「アレンってあんな優しい感じで、結構負けず嫌いなんだな……」

「俺、アレンの事怒らせないようにしよっと」

「俺も……」

「顔が無駄に綺麗なせいで、余計に笑顔がこえーよ」

 他のクラスメイトたちがそんなことを話しているのをアレンは気付かずにいた。

 それからしばらくアレンとレオがやり合っていると、アレンとレオはワーナー先生に「そこまで!」と止められる。

 その声を合図にぴたりと動きを止めたアレンとレオは、そろそろとワーナー先生の足元に視線を送る。

 そこには、目を回した雛姫と風鈴がへたり込んでいた。そしてアイリスはそこにしゃがみ込んで、雛姫と風鈴二人の顔とワーナー先生の顔を交互に見つめておろおろしていた。


 アレンとレオは瞬時に状況を察し、お互い距離を取り合ってこれ以上、『過剰な対戦』を続ける意思はないことを示す。

「「大変、申し訳ございませんでした!」」

 二人仲良く、そして勢い良くワーナー先生に頭を下げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る