第5節 アンジェラス・バードの剣


 アレンは制服の上着の下で、ずっと空白のままだった革製のソードベルトに剣を納めた。


 アレンはマーレ皇国おうこくから持参した、自身の手に馴染んだ長剣の柄の感触を確かめる。そしてその姿を良く確かめた。

 金色の鍔につややかな藤色の鞘。その鞘の中の刀身は、綺麗に手入れされ輝いている。剣のつばには、マーレ皇国の神獣である『アンジェラス・バード』が装飾されている。


 ――アンジェラス・バードは古き神話の時代、現マーレ皇国の海岸に舞い降りた『祝福とお告げの霊鳥』であり、現代においては伝説上の生物である。

 アンジェラス・バードは、マーレ皇国がマーレ皇国になる前、その場所にあった一つの小さな国に『魔法』をもたらしたとされている。

 その姿は白く尾の長い美しい鳥であり、その瞳は輝く藍玉アクアマリンだったと古文書には記されている――

 

 アレンは、剣の鍔に繊細に装飾されたその美しい姿をとても気に入っていた。それは魔法が使えないアレンにとっては、憧憬であり、御守だった。そしてそんな魔法をもたらしたという霊鳥を指で撫でるのがアレンの長年の癖だった。


「綺麗な剣だな」

 自身の剣の感触を確かめることに夢中になっていたアレンはレオから声を掛けられて、はっとする。

 アレンはレオと二人で昼食をとるために寮に戻る途中だったことを思い出した。アレンは横を歩くレオを見上げる。

「ああ、俺の最初の剣の師匠が俺のために造ってくれたものなんだ」

 アレンはかつての師匠を思い浮かべ、自然と優しい笑顔がこぼれた。

「そっか。じゃあ、大事な剣なんだな」

 レオはアレンの表情を見て、白い歯を見せながらアレンに笑いかけた。

「ああ」

 アレンは答えながら、レオの腰に下がった剣を見る。

 長身な彼に合わせているのだろう、アレンの剣よりも少しだけ長い長剣。アレンの剣と比べるととてもシンプルな装飾だった。

 黒地に銀で補強を施した鞘に収まった、基本に忠実な騎士の剣。柄には何度も補修している跡が見られるが、きちんと磨かれて大切にしていることが伝わってくる。そして何より、レオの研鑚ぶりがその剣からは伝わって来た。

「レオは努力家なんだな。剣からそれが伝わってくる」

 思ったことをそのまま言うと、レオがふいと目を逸らす。

「アレンのは、吃驚するからちょっと自重してほしい」

 額に手を当てて嘆息されるが、アレンには思い当たる節がなかった。

「それって、なんだ。レオには色々と教えてほしい。レオはいい奴だと思うから」

「だから、そのこっぱずかしいやつだよ」

「俺、何か変だったか」

 アレンは世間知らずな自分の言動がレオを不快にさせたのか不安になり、繰り返し尋ねる。

「いや、いい。俺が悪かった。アレンはそのままで育ってくれ」

 レオは何かを諦めたように項垂れる。しかし、困ってはいるが、怒っている様子はなかった。

「何か良く分からないが、何か無礼があったなら遠慮せずに言ってくれ」

 アレンは真面目な顔でレオに告げた。


 赤の煉瓦路を縁取る緑々とした芝生は、夏の風を受けて揺らめいていた。





    ◇ ◇ ◇





 アレンとレオの二人が寮まで戻ってくると、サロン棟でアイリスたちが先に待っていた。

 アレンたちが近付くとアイリスはこちらに気付き、ソファから立ち上がる。


「アレン、お帰りなさい。……そちらは教室でお隣に座っていらしたレオナルドさんですね。お疲れさまでした」

 アイリスはアレンの隣にいるレオにも視線を向け、笑顔で声を掛ける。

「お疲れさん、アイリス嬢。アイリス嬢もレオって呼んでくれ、アレンもそうしてくれている」

 レオは自分のことは愛称で呼ばせるのに、女性には『嬢』付けで呼ぶのは少し意外だとアレンは思った。

「はい、ではそうさせていただきますね。レオさんも騎士棟でしたよね。兄の事をどうぞよろしくおねがいいたします」

「ああ、もちろんだ。……ところでそこにいるのは雛姫嬢か」 

 レオは頭を下げたアイリスの横にぴたりと身体を寄せ、こちらにつむじを見せている雛姫の方を見つめる。

「はい、雛姫・榊・ジェダイトです。アイリスさんのお友達になりました」

 雛姫は猫のようにすりすりとアイリスの肩に白茶色の小さな頭を摺り寄せている。

 アイリスはそんな雛姫の言葉に歓喜している。

「まあ……!」

 アイリスは薄紅に染まった頬に両手を添えて震えている。どうやら初めての同い年の女友達に感動しているようだ。

 アレンはアイリスと雛姫との間に一切の距離がなく、むしろ重なり合っている様子をまじまじと見つめる。

「……ちょっと近くないか」

 アレンが小さな声でアイリスと雛姫の距離感について漏らすと、雛姫は意味ありげにアレンの方を見つめた。一見柔和な笑顔なのに、なぜか素直にそう感じられない。

 ――これは一種の敵対心を向けられているのだろうか。

 アレンは内心首を傾げる。

「私、アイリスさんと片時も離れたくありません」

 アレンの瞳にある戸惑いを察したのか、雛姫は柔和さの中に強気さを潜ませて言う。

「あら、まあ」

 アイリスはますます喜ばし気に頬を紅潮させ、ウェーブの効いた雛姫の髪を愛おしげに撫でる。

 その光景は兄としては、少し複雑な気分だった。


「……熱烈だな」

 複雑な感情を持て余して押し黙るアレンの心中を察したのか、レオは感心なのか何なのか良く分からない声音でアレンの代わりに呟いた。


「アイリスさん、一緒にお昼を食べに行きましょう」

 雛姫はにこりと笑うとアイリスの手を引く。

「そうですね、アレンもレオさんも一緒に参りませんか」

「……あ、ああ、そうしようか」

「ああ、是非一緒させてくれ」

 四人がそれぞれ違う表情と声で食堂に向かっていった――





    ◇ ◇ ◇





 アレンとレオ、そしてアイリスと雛姫は向かい合って昼食をとっていた。

 レオと雛姫が中央中立地域出身であるため、自然と話題は『聖域』の話になった。


「ところで気になっていたのですが、中央中立地域の方は自己紹介の時に二つの姓を名乗っていらっしゃいますよね。あれは聖域の慣習なのでしょうか。雛姫さんは『榊』と『ジェダイト』という姓をお持ちですし」

 もごもごとパンを頬張る雛姫の代わりにレオが答える。

「風習と呼ぶにはまだ新しい文化だけどな。二つの家名を名乗ることで、両方の家を大事にするとか、そういう意味合いがあるんだ。まあ、場面によって一方の姓を使ったり、どちらの家名を先に言うのか変えたりとか使い分け可能だから結構臨機応変な制度ではあるな」

 アレンとアイリスは食事の手を止めてレオの話に聞き入る。

「最近では中央中立地域外でも取り入れ始めている国もあるらしい」


「なるほど、面白いな」

「なるほど、面白いですね」


「……急に双子ぶっこんできたな」

 アレンとアイリスが二重奏になるとレオがびくりとして何かを呟いたが、アレンには聴き取ることはできなかった。

 アレンは、「あれ」とふと疑問が浮かんでレオに話を振る。

「レオは中央中立地域出身なんだよな。レオは『ブラウン』だけを使っているのか」

「……ああ、でも俺の場合はちょっと特殊でな。うちは両親とも姓がブラウンなんだ。ブラウン姓は確かに多いんだが、うちの両親は従兄妹同士でな。両方の姓を取ったら『レオナルド・ブラウン・ブラウン』になっちまうから、まとめてるんだ」


「なるほど」「そういうこともあるんですね」

 アレンとアイリスは二人で頷きながら納得する。

「二人で一文ってパターンもあるのな」

 レオはまた何かを小さく呟いたが、アレンにはそれが何か聴こえなかった。


「公の場だったり、学院の先生たちのことも姓で呼ぶけど、聖域ここでは基本的には姓よりも名の方が重要視されるって覚えてもらえば間違いないな」

 レオがまとめてくれたので、アレンとアイリスはレオに順番に礼を言った。


「……ところで、アイリスさんは『榊』が東大陸の姓って分かるんだね」

 それまで食事に集中していた雛姫が唐突に声を発した。入学式のときのような静かな雰囲気を纏った雛姫を全員がじっと見つめる。 

 そして問いかけられたアイリスが雛姫に答えた。

「ええ、以前東大陸の魔術の系譜についての書籍を読んだ際に見た名でしたので。えっと確かこういう文字ですよね」

 アイリスが笑顔で答え、空に何かを書く動作をする。それを見た雛姫は、静かな表情から喜色をはらんだ表情に変わる。

「アイリスさんは美人さんで素敵な魔力の波長を持っているだけでなくて、博学なのね。実は『榊』は母方の実家の姓なの。お母様は東大陸出身なのよ」

 雛姫はアイリスを称え、自身の姓について説明する。その翠の瞳を煌めかせながら。

「いえいえ、今のお話でやはり本を読むだけでなく、実際に目で見て、耳で聞き、体感しないと分からないことがあることが良く分かりました」

 アイリスの言葉に、雛姫はより一層両目の翡翠を輝かせた。そして食事中にも関わらずアイリスに抱きついた。

「アイリスさんみたいなお姫様に合える日がくるなんて」

「え、姫?」

 レオンが雛姫の言葉にたじろぎ、アレンとアイリスの顔を交互に見る。アレンとアイリスは思わず顔が強張った。

「え、アイリス嬢が姫ってことは、アレンは王子様?」

「…………多分レオが考えているようなものじゃないよ」

 アレンは否定も肯定もせず、レオから顔を逸らした。

「まあ、詮索はしねえよ。この学院には色んな事情をもったやつがいるからな」

「……そうしてくれるとありがたい」

 アレンはレオに小さく謝意を込めて頭を下げた。

 もっと言いようはあった気がしたが、あれが今のアレンの限界だった。

 ――もっと上手くならなきゃな。

 アレンは内省する。

 ――でも確かに、この学院はアレンとアイリスのような『訳アリ』にはぴったりだ。この学院の学生はあり得ないくらい訳アリに慣れているんだ。




    ◇ ◇ ◇






「ねえ、ちょっと」


 経験のない同級生との賑やかな昼食を終え、サロンに戻ろうとしたところだった。

 最後尾を歩いていたアレンは後ろから声を掛けられ振り返る。


「アレン・ロードナイト君だよね。ちょっといいかい」

 振り返った先には数人の男子学生がいた。しかも同じ教室クラスの男子学生だった。

 アレンは彼らに連れられて、サロンの片隅に移動する。しかし、移動してきたはいいものの、彼らは一向に口を開かない。それどころか、何か言いにくそうに互いに目配せしあっている。

 ――これは一体どういう状況なのだろうか。

 良く分からないが、黙って彼らについてきてしまったので、アイリスたちが心配していることを思った。

 手短に済ませるためにアレンはこちらから会話を始める。

「皆さん同じ教室クラスの方がたですよね。僕に何かご用でしょうか」

 アレンは当り障りのない笑顔を彼らに向ける。

 しばしの沈黙の後、ようやく一人の学生が、口を開く。なぜかモジモジしながら。

「アレン君! 一体どうやってレオナルド先輩と仲良くなったんだよ!」

「…………?」

 アレンは予想外の言葉にしばし沈黙してしまう。しかし、すぐに気を取り直す。

「えっと、普通に話しやすい人だと思うけれど」

 アレンが答えると、なぜか男子学生たちは動揺しだす。

「ふ、普通ってなんだ!?」

「そう言われると分からないかな。レオの方から声を掛けてくれたから」

「あまつさえ愛称呼びだと!?」

「いや、そう呼んで欲しいって言われたから。……皆もそう呼びたいって言ったらそうさせてくれるんじゃないかな」

「そ、そうなのか。いや……でもレオナルド先輩は、俺たちにとって『レオナルド先輩』だぞ」

 彼らの中に何か激しい葛藤を感じる。

「うーん。よく分からないけど、そういうの気にしなくて良いって自己紹介の時に言っていたと思うけど」

「そうなんだよ! でも緊張してしまう……」

 なぜか恋する乙女のような表情で「そうなんだよ」と言い合う彼らを見て、アレンは可笑しくなって笑ってしまった。今日は笑ってばかりだ。

 そして、みんなレオと仲良くしたいと思っているのだとアレンは感じた。

 ――レオはいいやつだから当然だろうな。

 アレンも含めて皆、レオに対して自分に無いものを感じているのだろう。そして抱くのは憧れの念だ。

「みんな面白いなあ。きっとレオも皆と仲良くしたいと思ってると思うよ。声を掛けてみなよ」

 アレンがそう言って思い切り笑うと、なぜか全員が固まってしまった。

「じゃあ、妹も待ってると思うから、僕は行くよ。あ、良かったら僕とも仲良くしてね」

 アレンがその場から立ち去ると、後ろから「破壊力が」とか「輝きが」とか良く分からない呟きが聞こえてきた。

 しかしアレンは自分が歩く先の方へと意識を持って行かれてしまったため、すぐにそのことを忘れてしまった。





    ◇ ◇ ◇





 レオナルド・ブラウンはサロン棟から寮の自室に戻ると、ソファに腰を掛ける。

 窓から見える中庭を見つめながら、今日出会ったアレン・ロードナイトという不思議な少年を思い出す。

 兄妹揃ってやたらと高貴なオーラを纏っているとは思ったが、西大陸出身の王族もしくはそれに近しい姫とか王子とか呼ばれるような存在とは思わなかった。


「はあー……」

 レオナルドは嘆息し、改めてアレンと交わした会話を思い出す。


 学校に通ったことがないだけでは説明がつかないような人付き合いへの慣れなさ。人形のように綺麗すぎる顔立ちとシルバーブロンドの髪余計にそう感じさせているだけなのかもしれないが。

 だかそれを抜きにしても、『世間知らず』と言うには浮世離れしすぎているような雰囲気だった。


「……なんか、すごい重要人物なんじゃないのか。まあ王子とか姫とかいうのに反応する時点で庶民の俺には只者じゃないんだけどさ。まあ西大陸も沢山国があるからなあ」

 レオナルドは独り言ちるが、すぐに気を取り直す。

「ま、いっか」

 政治とか世界情勢にはあまり縁もなければ興味もないレオナルドには、考えても答えが出るような問題ではない。

 だから、ひとまず自分の思うままに彼らと接することに決めた。

 どうせこの学院にいなければ接することがなかったような身分の人間ばかりがこの学院にはいる訳で、身分とか立場は今更気にしてもしょうがない。


「さてと、鍛錬でもするか」

 レオナルドは自身の長剣を手に部屋を出る。そしてまだ陽の高い外へと歩いて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る