第7節 泡沫の魔法
「――それじゃあ、アイリス嬢にお手本を見せてもらおうかのう」
魔術棟の長であり、一年生の魔法魔術の実技を担当しているアストルム老師がゆったりとした口調でアイリスに語りかけてくる。
教室の中央にジェダイト
そして、その中心に来るように促されたアイリスは自分のために空けられた路に進み出た。
◇ ◇ ◇
その場所は天球棟最上階にある大教室だった。
最上階にある教室は高くて天球型の天井をしている。そのせいか、どことなく聖堂のような雰囲気がある。
天球棟の大教室は、アイリスたちが座学を受けている長机が並んだ教室とはまた異なった内装をしている。
部屋は円形で、前方ではなく中央に教師が立つ。部屋の中央には机は置かれず、五十人程が余裕を持って立てる空間が設けられている。
その周りには教室の中央から放射状に階段通路が伸びており、その間を埋めるように美しい曲線を描いた長机が並んでいた。
その通路の配置のせいか、教室の扉の前に立って室内を見下ろすと、教室全体がまるで時計の文字盤か羅針盤のようだった。
アイリスは教室の中央、他の学生たちが作る輪の中心にトンとつま先を下ろす。
ベルト付きの
そして息を深く吐き、呼吸を整えた。
「それでは、僭越ながら私の
アイリスはそのまま祈るように両手の指を絡ませ、瞳を閉じる。
――こんなに大勢の前に立って魔法を見せるのは初めてだわ。
緊張している分、いつもよりも丁寧にやらないと――と意識を集中させる。
アイリスは呼吸と共に世界からマナを取り込み、自分の中の魔力と合わせて全身で循環させる。そしてその魔力を掌に集中させた。
「『聖なる水よ、大気を抱いて、顕現せよ』 【泡沫―ウタカタ―】」
アイリスの詠唱に合わせて、その足元に黄金に輝く魔法陣が浮かんだ。
魔法陣の現出と同時に、柔らかな風が周囲に吹く。制服の白いスカートと白銀の髪が揺れるのをアイリスは閉じた瞼の向こうに感じる。
アイリスは瞳を開き、掌同士の距離を広げる。
すると、そこから光が弾けた。
その瞬間、無数の泡沫が辺りに顕現した。
それはシャボン玉のように宙に浮かび漂う。
教室全体を漂う泡沫は、天球のガラスから降り注ぐ陽光を反射して淡く光る。
それはとても幻想的な光景だった。
「すごい……」
「綺麗な魔法」
「なんだか水の中にいるみたいだな」
ジェダイト
アイリスに実演の指示を出した老師も、白い顎髭を撫でながら感心している。
「わしも入学試験の時に通信用の魔水晶越しでしか見れておらんからのう。実際に見るとこれまた見事なものじゃ。ふむふむ、ばっちりじゃの」
そう言って目配せで合図をする老師を見て、アイリスは魔法を解いた。
「顕現終了」
アイリスが宣言し、再び掌を合わせると、それを合図に宙で泳ぐ泡沫は一斉に弾けた。
その散り様もまた美しく、まるでガラス玉が粉々に弾けたように空中でキラキラと舞い、消えていった。
儚く消えた輝きが再び世界のマナに戻るのをアイリスは最後まで見届ける。
しばらくの静寂はアストルム老師の声で打ち消えた。
「ありがとう、アイリス嬢。素晴らしかったぞう」
「ありがとうございます。勿体無いお言葉です」
アイリスは軽く裾を持ち上げて礼をした。
「じゃあ、ついでに魔法魔術の基本でもある『顕現の魔法』についてちと説明してくれるかの。中等部からの皆は、復習じゃのう」
アストルム老師の言葉にアイリスは驚くが小さく頷く。
「はい、それではご説明させていただきます」
アイリスは息を吐きながら、頭の中を整理する。
魔法魔術についてはアイリスもマーレ
――落ち着いて答えれば問題ないわ、アイリス。
「アストルム老師が仰った通り、『顕現の魔法』は多くの魔法魔術にとっての基本となります。例外はもちろんありますが、私たちが普段使う魔法や魔術というものは、目に見えない魔力やマナを『顕現させる』ことで、『事象』として認識されたもののことを言います」
――魔力とマナを目に見える形にする、それが『顕現の魔法』
「それは世界に直接干渉する『魔法』と、媒介物を通して世界に干渉する『魔術』のどちらにも言えることです。『魔法使い』と『魔術師』は、魔法やマナを『顕現させる存在』と言えます」
アイリスの説明にアストルム老師は頷き、更に問う。
「うむ。では『顕現の魔法』において大事なのは何かの?」
アイリスも頷き、更に説明を続ける。
「はい、『顕現の魔法』において、一番大事なのは『
アイリスは自身のこめかみを指さし、その手を胸元に下ろす。
「世界に、自分がいる空間に、こうあって欲しい、自分自身がこうなりたいという
アイリスが話し終えると、アストルム老師は頷きながら金色の瞳を細めた。
そして、口元はいたずらっ子の様にニヤリと上がる。
「うむうむ。素晴らしいのう。では、『詠唱』についての説明はどうかの」
しかし、そのアストルム老師の「おかわり」によって、先程までは優し気な笑みを浮かべていたアイリスの表情が一変することになった。
クラスメイトたちが作る輪の最後方にいたアレンは、その瞬間を見逃さなかった。
そして「スイッチが入った」と思い、「またか」と溜息を吐いた。
アイリスの藍玉の瞳は、強い光を宿してギラついていた。
アイリスの中で先程まで大きく鳴っていた緊張は今やすっかり鳴り止んでいた。
「――『詠唱』はあくまでも、そのイメージを補助する道しるべのようなものです。ですが、『詠唱』は術の発動に必ずも必要なものではありません。しかし、だからといって『詠唱』は軽んじられるべきものではありません。それは『詠唱』が強いイメージを持つためには、必要なものだからです」
アイリスの身振り手振りは段々と大きくなっていく。最前列の学生たちは瞳をギラつかせるアイリスに気圧され、ジリリと半歩後ろに下がった。
「『詠唱』とは自分の中のイメージを具現化するためには、どういう工程・どういう方程式を組む必要があるのか、それを示したものになります」
――こうなったら、もう誰にもアイリスを止められない。
アレンはその行く末を静観するしかなかった。
「身近なものであれば、強いイメージを持つことはそれほど難しいことではありません。ですが、たとえば見たことがない事物や空想のようなものを顕現させるためには、『詠唱』はとても大事な役割を果たすものになります」
アイリスは饒舌に語り続ける。夢見心地の表情ですらある。
「詠唱次第ではどんな魔法でもより強い効果を発揮するということは既に証明されている事実です。詠唱にはある程度の『定型文』というものは存在しますが、この世界にはこの術を発動するには『この詠唱でなければならない』という決まりはありません」
アイリスはうんうんと一人頷く。
「この辺りは皆さんの方が詳しいと思いますが、言語が違っても、イメージが同じであれば同じ術が発動――というよりも『結果』が得られますよね。これは魔法魔術において、『言葉』というのは自身と世界への暗示という要素が強いからと言われています」
アイリスは小さな間を作ると、人差し指を顔の横に立てて見せる。
「大事なのは
アイリスはまるで「じゃじゃーん」とでも言いたげに、満足そうな笑みを浮かべていた。熱が入りすぎたのか、その額にはうっすらと汗が滲み、頬は紅潮していた。
アストルム老師は面食らったような顔をしたが、同時に感心もしているようだった。
「うむ、かなり具体的に説明してくれたのう。よく勉強しておる。……わしが喋ることがなくなってしもうたわい」
アストルム老師が少しがっかりしたような顔をすると、アイリスの紅潮した頬は、みるみる白くなり、そしてみるみる青くなる。
そして最後にはアイリスの半分泣いているような声が教室にこだました。
「ご、ごめんなさいー!!!」
◇ ◇ ◇
「……アイリスは魔法魔術オタクなんだ」
後方でずっと見守っていたアレンは、何か言いたげなレオの視線を感じて説明する。
レオの横には、珍しく静かにアイリスの方を見つめている雛姫がいた。
雛姫は別段口数が多いわけではない。しかし、彼女がいつもはアイリスに送っている視線は、熱いのだ。
元々雛姫は実技の授業で相当熱くならない限りは、とても大人しいらしい。
中等部までは委員長のセレーナ以外のクラスメイトとは必要以上に言葉を交わすことはなかったそうだ。だから、アイリスが来てからは良く喋っているとクラスメイトたちは驚いていた。
雛姫はアイリスに寄り添って落ち着いているときは、安らいで眠る小動物のように静かだ。
一方、普段から良く喋り、今も五月蠅い視線をアレンに送ってきていたレオはアイリスの習性についての感想を漏らす。
「ビックリしたなあ。確かに勉強が好きなんだなあとは思ってたけど」
「まあ勉強は趣味ではあると思う。趣味にしては行き過ぎだとは時々思うけど」
そんなことを言っていると、レオがふいと首を傾げた。
「……なあ、さっきからなぜか身体が軽いんだけど」
レオは自分の身体の調子を確かめるように、腕をぐるぐると回している。アレンはその答えをすぐにレオに渡した。
「アイリスが【泡沫】に使った水は『聖なる水』、つまり聖水なんだ。だからその治癒と回復効果が効いているんだと思う」
「……アイリス嬢の能力値どんだけ高いんだよ」
レオは驚愕したような呆れたような顔をする。
「……さすが、アイリスさん」
それまで静かにしていた雛姫は、頬を赤らませながらアイリスに賛辞を贈った。
「いやいやいや、『聖水』を出せる学生なんて、この学院でもそうそういないでしょ!」
赤髪のクラスメイトにして、教室で一二を争う常識人でもあるフランが冷静に指摘した。
◇ ◇ ◇
「本当にごめんなさいー!!!」
アイリスはアストルム老師に勢い良く頭を下げた。
つい調子に乗って熱く語ってしまったことに羞恥心が込み上げ、半泣きになる。
「いいんじゃよ、いいんじゃよ。ちと、からかいが過ぎたかのう。しかし、これだけの才能があるのじゃ。未来とは明るいものだのう」
頭上から聞こえるアストルム老師の言葉に、アイリスはそろりと頭を上げる。
――未来は明るい。
未来という言葉に胸が鳴る。
それはずっとアイリスにとって縁遠い言葉だった。こんな風に普通に投げかけられる言葉ではなかった。これまでは。
アイリスは頭を上げながら、閉じていた瞳をゆっくりと開いていく。
瞼の隙間、視線を上げるその先には、天井から降り注ぐ光が満ちていた。
――確かに、未来は明るいのかもしれない。
――叶うのなら、私もいつかそこに辿り着きたい。
アイリスはそう願い、眩しい光に目を凝らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます