第3節 紫蛍石の指輪


 アイリスは席に戻ると、姿勢を正して再び前方に目を向ける。


 アイリスを最後に教室全員の自己紹介が終わると、担任教師の雅治まさはるから入学初日の次の予定の案内がされる。

「それでは、これから皆さんには各棟の教員の案内に従ってそれぞれ所属する棟まで行っていただきます。各棟で学生証の指輪を受け取り、案内ガイダンスを受けて本日の予定は終了です。本日は天球棟ドームの食堂はお休みですので、昼食は学生寮で召し上がってくださいね」

 雅治は深い茶色の瞳を細めて学生たちを労わる言葉を続ける。

「明日からは早速授業が始まりますので、皆さん今日はしっかりと休んでくださいね」


 アイリスは騎士棟の担当教員の方へと向かうアレンと別れ、雅治が立っている方へと向かった。

 雅治は魔術棟所属となる学生たちが全員集まったのを確認すると、話を始める。

「それでは、これから皆さんを魔術棟に案内しますね。ですがその前に……アイリスさん、風鈴ふうりんさん、前へ来てください」

 その呼びかけにアイリスともう一人の少女が最前列まで進んだ。

 アイリスともう一人の少女は雅治に手招きされ、他の学生たちに向き合うように指示される。

 アイリスたちが雅治の両隣に並ぶと、雅治はうんと一つ頷く。


「えー自己紹介で二人とも言っていましたが、アイリスさんと風鈴さんは高等部からの編入組です。中等部から学院にいる皆さんよりも、勝手がわからないことがあると思いますので、色々と教えてあげてくださいね」

「「「はい、ジェダイト先生」」」

 中等部出身の学生たちが元気よく返事すると、雅治は今度はアイリスと風鈴の方を向く。

「アイリスさんも風鈴さんのお二人はとても優秀な成績で編入してきていますし、他国からの留学生です。勉強以外でも皆さんも色々と学ぶことがあると思います。二人ともよろしくお願いしますね」

「はい」

「分かりマシタ」

 アイリスと風鈴は笑顔で返事した。

 一方的に助けられる関係じゃないことを雅治が示してくれたことが、アイリスには嬉しかった。


 風鈴と呼ばれた少女は、アイリスと同じく高等部から学院に入学した風鈴・フォンという名の東大陸出身の少女だ。

 自己紹介の時に彼女も魔術棟に所属すると言っていたのをアイリスは覚えていた。

 風鈴は八重歯の見える猫のような人懐っこい表情と東大陸の少女だ。彼女の母国の発音であろう音が混ざった喋り口がアイリスにとっては珍しく、それが可愛らしく印象的な少女だった。

 艶のある黒髪を左右にお団子でまとめていて、その髪飾りは西大陸では見ない紋様が金色の糸で緻密に刺繍されている。

 それがとても綺麗だとアイリスは思った。


 アイリスと風鈴の二人が紹介された後、魔術棟所属者の列が魔術棟に向かっていく。

 アイリスと風鈴さんは自然と横並びになり、話し始めた。

「アイリス、よろしくネ」

 風鈴が笑顔で挨拶をしてくれたため、アイリスもそれに応じる。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。風鈴さん」

 二人で挨拶を交わしていると、アイリスの左腕に柔らかい感触とふんわりと花の香りが存在感を示した。

 触れる体温を見下ろすと、研究棟の列にいるはずの雛姫ひなひめがアイリスの腕に自身の腕を絡めていた。

「アイリスさん、途中まで一緒に行きましょうね」

 雛姫はまるでそこにいるのが当然のようにニコニコとしながら、そしてアイリスにくっつきながらひょこひょこと歩を進めていた。

 アイリスは戸惑いながらも、浮かんだ疑問を率直に雛姫にぶつけてみる。

「えっと、研究棟の皆さんと一緒にいなくて大丈夫なんでしょうか……」

 アイリスの問いに少しの間を置きつつも変わらずの笑顔で雛姫は答える。

「一緒に行きましょうね」

 念押すような繰り返しが雛姫から放たれてアイリスは戸惑う。

「えっと……」

「一緒に行きましょうね」

 三回目は優しく穏やかなのに有無を言わさないような笑顔だった。その笑顔は少し雅治と似ていると思った。

「あ、はい」

 アイリスはたじろぎながらも肯定の返事をすると、雛姫はこれ以上ないくらいに笑みを深めた。嬉しいオーラを振り撒きながら、ぎゅっと細めた目は小動物のようでとても愛らしかった。

 風鈴は「雛姫、オモシロいだネ」とニコニコ笑っているし、周りは何だか遠巻きにこちらを見つめているような気がした。


 その後すぐに、周りの空気で雅治が状況を把握し、雛姫に注意したものの、雛姫は一切聞く耳を持たなかった。最終的に雅治は深い溜息を吐いて諦めたように列の先頭に戻って行ったという一連の流れは、ほんの僅かな時間でのことだった。

 結果的にアイリスは二人の少女に挟まれながら、ジェダイト先生の後をついていく形で魔術棟に向かうことになった。

 内心「両手に花だわ」と思いながらも、それは口にしなかった。


「もう着いちゃった」

 魔術棟の本当に入り口近くで雛姫はやっと、アイリスの腕から離れていく。

 名残惜しげに雛姫は身体を反転させるとアイリスにまるで何年も会えないかのような顔を向け、別れの挨拶を告げた。

「アイリスさん、また寮でお話しましょうね」

 雛姫は胸の前で小さく手を振り、研究棟の方まで向かっていった。

 アイリスも手を振るが、研究棟へ向かう列は既に研究棟内に入って行っているのが遠くに見え、アイリスは大丈夫なのだろうかと心配になった。





    ◇ ◇ ◇





 雅治に案内されて、アイリスは風鈴や他の魔術棟所属となる生徒たちと共に魔術棟の中に入る。その内部は天球棟ドームの中とはまた違った幻想的な景色が広がっていた。

 アイリスは思わずぐるぐると周囲を見渡してしまう。


 窓は天高い場所にあり、棟の先端近くは白い光が交差しあっている。

 しかし、アイリスたちがいる遥か階下のエントランスホールを明るく照らすほどの光量はない。その代わりに、照明としてランプや蠟燭の明かりが灯っていた。ランプや蝋燭といった照明以外にも、くうに浮かんだ魔術具や魔石の優しい光が散りばめられているのが、とても幻想的だった。

 壁一面にはその力の大小はあれど、やたらと魔力を放っている魔導書や魔術具が収められていた。書架やガラス戸の棚には長い木梯子が何本も掛けられている。壁に収められている書や物品の魔力の強さを辿ってみると、上方に向かうほどその力は強くなっているようだった。

 アイリスが感じ取る分では、中には『あまり良くないもの』も混ざっていそうだった。


 アイリスは他の学生たちを追い、エントランスホールの中央に行くと、雅治をはじめとする魔術棟の職員の案内に従って整列する。

 そこから魔術棟の長であるという高齢の魔術教師から祝辞を頂きながら、順番に学生証である指輪を受け取っていく儀式が始まった。


 何人かの学生が指輪を受け取り、ついにアイリスが指輪を受け取る番になり、前方に進み出た。

 その場所に立つと、距離があったときには暗くて良く見えなかった魔術棟の長の表情が見えるようになった。

 その人は人の良さそうな小柄なお爺さんで、陽だまりのような笑みを浮かべてアイリスの前に立っていた。とても優しくて大きな魔力を持った人だった。

「アイリス・ロードナイト嬢だのう」

「はい、アストルム老師先生

「魔術棟へようこそ、これが貴女の指輪リングですぞ」

 アイリスが前に受け取った学生たちを真似し、膝をわずかに折って両手を差し出す。

 その手にはベルベットの小さな箱が手渡された。

 箱を開けると、中にはパープルフローライトの魔石がはめられた白金の指輪が収まっていた。その魔石は周囲の光を集めて美しく煌めいた。

「ありがとうございます」

 アイリスは脇に用意された小さな円卓の上に小箱を置き、左手の中指に指輪をはめる。

 すると、指輪はアイリスの指の太さに合わせてサイズが変化した。

 白銀の輪にはアイリスの名が刻まれ、魔石以外は何の装飾も施されていなかった意匠が変化した。

 そこにはアイリスの花が浮き彫りにされていた。

 ――本人の魔力と生命力を感知して変化するよう魔術が掛けられているみたいね。不思議な指輪だわ。


 アイリスは後で良く見てみたいと思いながら、目を伏せて淑女の礼をする。そしてそのまま後ろへ下がろうとすると、アストルム老師がちょいちょいと呼び止めてきた。

 アイリスは不思議に思いながらも再び顔を上げると、アストルム老師に小声で囁かれた。

「『古き魔法の国』からきたお嬢さん。貴女にはこの場所は少し刺激的かもしれんのう」

 アイリスは驚いて思わず彼をじっと見つめてしまう。

「そなたがと感じるモノには近付かん方がよいぞ」

 アイリスが驚いてわずかに目を見開く。

 まるで彼にはアイリスがどの程度、どのように「世界を知覚」しているのか、分かっているようだった。

 アイリスが考え込みそうになると、アストルム老師はウインクをしてアイリスに笑顔を見せた。

 まるで「内緒だよ」と言わんとしているように。

 そして元の声の大きさに戻すと「噂の白銀の姫君。期待しておるぞ。がんばっておくれのう」と茶目っ気たっぷりに言った。


「白銀の姫君――?」


 アイリスは聞いたことのない呼び名で呼ばれ、首を傾げた。

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