第2節 自己紹介と眩しい笑顔
白を基調としたサンクチュアーリオ学院の夏の制服が陽の光を眩しく反射する。
長机がいくつも並んだ広い教室には学生たちがまばらに座していた。
その教室には一年生の半数が所属し、その中でさらに研究棟、魔術棟、騎士棟の三棟の所属に分かれる。
アイリスの腕にひしと抱きついていた
アレンとアイリスは一瞬あっけにとられたが、すぐに持ち直して空いていた教室の後方の席に座った。
雅治に引きずられて強制的に教室の最前列――教卓前に座らされた雛姫は、瞳をうるうると潤ませながら時折アイリスの方を振り返っている。
アイリスの方はというと、
一方、アレンはアイリスが座っている右隣とは反対側の席からの視線を感じていた。
その視線の主は焦げ茶色の短髪の男子学生だった。体格に恵まれており、頭の良い大型犬のような印象を与えられた。
焚き火のような紅蓮色の双眸は何か探るような色を灯している。悪意ではない、そんな視線だった。
アレンはほとんど魔力がない分、人の視線や気配に敏感だ。
敏感になるように『訓練した』という方が正確かもしれない。この身一つで闘い、護るためには、アレンにとってそれは必要な能力だった。
闘う術を身に付けるため、ダニエルとイザベルをはじめとした護衛の騎士たちの訓練に混ざって、日々鍛えてきた。敵と戦うにしても逃げるにしても大事なのは相手の気配を読むことだ。
アレンはひとまず男子学生の視線に気付かぬふりをして、前方に意識を集中することにした。
教室の前方では入学式のために少しかっちりとした服装をした雅治が挨拶を始めていた。
「皆さんの担任教師を務めさせていただきます、雅治・榊・ジェダイトです」
短い黒髪が開け放された大きな窓から流れる風に揺れる。
周りの反応からして、多くの生徒は中等部から進学してきた学生で、雅治と雛姫が兄妹であることを知っているようだった。
雛姫は先程の表情とは打って変わったように無関心の色で、ただ前を見ているだけというような顔をしていた。しかし、入学式の時の様子からして、それが彼女の通常なのだろう。
そう考えると、雛姫はやたらとアイリスを気に入っているようだ。
「私は基本的に二年生と三年生の魔術の授業を担当していますので、授業でお会いすることは少ないかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」
柔和な笑みを浮かべる雅治は早々に自身の自己紹介を終えると、窓際に少し寄り、先程まで自分が立っていた場所を掌で指し示す。
「それでは、次は皆さんにもそれぞれ自己紹介をしていただこうと思います」
雅治の提案で前方の列から順番に自己紹介をすることになり、まず最前列の雛姫が立ち上がり雅治の横に立つ。
襟元の黒いリボンが雛姫の動きに合わせて揺れた。
「雛姫・榊・ジェダイトです。所属は研究棟です」
たったそれだけの短い挨拶をして雛姫は席に戻る。
しばしの沈黙の後、途端に教室内がざわめいた。
アレンは短い自己紹介だなと思うが、そこまで騒ぐようなことなのか分からなかった。
しかし、周りのざわめきに耳を傾けると、彼らの動揺が流れ込んできた。
「姫が研究棟だって!? あの噂は本当だったのか」
「なんで!? 魔術棟に行くって信じていたのに」
「何言ってんだ、騎士棟の方がふさわしいだろ!」
「何かの間違いだ! 何かの間違いに決まっている! あの戦闘狂いの姫が研究棟なんて!」
「ちょっと研究棟を馬鹿にするなよ。一番歴史の古い由緒ある棟だぞ」
「なんで……なんでなの……」
二つ名がいくつかあるという有名人の雛姫を自己紹介の一番手にしたせいで、教室内の学生たちはそれまでの落ち着いた態度は雪崩のように崩れ去っていく。
それは年相応とも言うべきか。
アレンとアイリスは阿鼻叫喚という様相の教室内に面を食らい、思わず雅治を見ると、雅治は「失敗した」という表情をしていた。
「はい、皆さんちょっとお静かに。当学院は他者を尊重することを重んじていることを忘れてしまいましたか。所属する棟以外を下に見る発言は控えてくださいね」
雅治が言葉を紡ぐ毎に、教室内は落ち着きを取り戻していく
優しい口調と声音なのに、有無を言わせない圧のようなものをアレンとアイリスは感じていた。
◇ ◇ ◇
二十三名の順番が少しずつ巡り、教室後方の席を取ったアレンとアイリスの順番も近くなる。
既にアレンをやたらと観察してきていた男子学生のところまで自己紹介の番が回ってきていた。
「次は俺だな」
教室の前方に堂々と立つ彼の焦げ茶の髪は、陽に透けて少しだけ
彼は一度息を深く吸い込むと大きく響く声で名乗る。
「俺はレオナルド・ブラウン。騎士棟所属だ」
彼は右手を軽く掲げて中指にはめられた指輪を見せる。
この学院の生徒は、それぞれの棟で異なる色の魔石がはめられた指輪をしている。その指輪は学生証でもあり、各棟への所属の証だという。
――研究棟は『
――魔術棟は『
――騎士棟は『
そしてレオナルド・ブラウンの指には、サンクチュアーリオ学院の騎士棟の学生であることを表すイエローダイヤモンドが輝いていた。
一年生はこの後各棟に行き、それを受け取る予定になっているはずだが、彼はその指輪を既にはめている。
アレンはそのことに疑問に思うが、その疑問はその指輪をはめている張本人によって答えが出された。
「中等部出身の奴は知っていると思うが、俺は所謂留年で二回目の一年生っていうやつだ。だがまあ、そんなことは気にせず気安く接してくれると助かる。よろしくな」
人懐こい笑みを浮かべてそう言うと、レオナルドは元の席に戻っていった。
世間知らずなアレンでも『留年』はあまり良いものではないことは知っている。その『留年』をした割には堂々としているなと思いつつ、アレンは彼に感じる印象の正体について得心した。
彼は他の一年生たちと少し違う。
少しだけ緩く絞められた黒いネクタイ、清潔感は損なわない程度に崩されたこなれた着こなし。
姿勢は真っ直ぐに伸びているが、肩の力は抜けていて緊張している様子はない。かと言って隙がないのは、彼が騎士棟にすでに所属しており、授業での実戦に慣れているからだろう。
アレンは自然と彼の動きを目で追ってしまい、彼が座る直前にバチリと目が合ってしまった。
そんなアレンの視線に気づいたレオナルドは、意に介した様子もなく、にかっと笑顔を向けてくる。
アレンはそういう笑顔を知らない。まっすぐで太陽のようで、どこか目を逸らしたくなるような力強い笑顔を知らない。
だからどうしたら良いのか分からず迷った結果、ぎこちなく微笑んだ。
レオナルドの自己紹介が終われば、次はアレンの番だ。アレンは立ち上がると教室の前方に進んでいく。
できるだけ胸を張り、堂々として見えるように意識して歩く。マーレ
でも、相手は同級生。親しさは感じてもらわないといけない。
アレンとアイリスの『呪いを解く』という目的を果たすためには、情報が要る。
みんなと親しくしておいて損はないし、少なくとも悪印象は与えてはならない。
アレンは教室の最前列よりも更に前方の中央に辿り着くと、なるべくゆったりとした動作で振り返る。そして教室全体を見渡した。
様々な色の瞳がこちらを見ていた。
色合い、明暗、様々な髪色の学生たちがいるのは教室の後方からも見えていた。
でも、
アレンはここが中央中立地域『聖域』だということを改めて認識する。
アレンが最後方のアイリスと目を合わせ、「大丈夫だ」と言うように、にこりと笑った。
「アレン・ロードナイトです。騎士棟所属となります」
できるだけゆっくり、そしてはっきりと声を出す。
「妹のアイリス共々、西大陸から聖域に来たばかりで分からないことも多いですが、早く馴染めるように頑張ります。母国では家庭教師についてもらっていたので、学校に通うのは初めてです。不慣れなこともあるかと思いますが、皆さん仲良くしてくださると嬉しいです」
できるだけ優しく見えるように笑う。これは故郷のメイドに仕込まれた技術だ。
アレンは一度頭を垂れると顔を上げ、また背筋を伸ばして席に戻った。
アレンが座ると、今度はアイリスが立ち上がる。下から仰ぎ見るアイリスは、いつになく勇ましい顔をしていた。
妙に気合たっぷりの妹にアレンは苦笑いする。
アイリスは「任せて」と言わんばかりに頷き、凛々しい顔をしてアレンに向けて歩き出す。
アイリスが歩を進めるたびにその身体を追って腰まで長く伸ばした髪が、編み込むように髪に飾られた青いリボンと共に流れる。
アレンと同じはずのシルバーブロンドが少しだけ違う色に見えた。
「私はアイリス・ロードナイトと申します。魔術棟に所属させていただきます」
「兄と同様に学校に通うのは初めてのことですので、皆さんと勉強できることがとても楽しみです」
弾んだ声でアイリスは言う。
アイリスは一度言葉を切るように足元を見る。 顔を上げたアイリスは愁いを帯びさせた笑顔を皆に向けた。
「私は身体が弱くて、ときどきお休みをいただいてしまうかもしれませんが、皆さんに後れを取らないように一生懸命勉強したいと思います。分からないことも多いので、色々と教えて下さると嬉しいです。よろしくお願いいたします」
アイリスは淑女の礼をすると、一番前の席に座っている雛姫と一瞬微笑み合うと、そのまま真っ直ぐに席に戻って来た。
アイリスが膝丈のスカートに慣れない様子で裾を直しながら座ろうとしているのを目にし、アレンはついいつもの癖でアイリスの手を引いて座るのを手伝ってしまった。
――しかし、『こういうこと』は学院ではなるべく封印するんだったと、ふと我に返る。
数多の視線の矢が自分に刺さるのを感じたからだ。
アイリスの姿を追って移動してきたいくつもの視線が自分にも刺さり、「しまった」とアレンは少しだけ汗をかいた。
学生寮でやたらと人に見られるので疑問に思っていたところ、護衛の二人から「お二人の……一般的なご兄妹よりも……だいぶ、あ、いえ、お二人の仲睦まじさが目立つのでは」ととても言いづらそうに、言葉を選びながら指摘された。
大の大人、しかも普段は落ち着いたダニエルとイザベルをここまで困らせるのだから、きっとアレンとアイリスはあまり普通ではないのだろう。
だから、学院内ではなるべく控えようとしていた矢先だったのだ――。
アレンにとっては身体の弱い妹を助けるのは当然の事だったが、今ダニエルとイザベルの言葉に余計に納得する。
刺さるような羨望が混ざった男子学生たちの視線に、アレンはアイリスの姿は人目を引くことを思い出す。
右隣から「ずいぶん過保護だなー」とからかうような口調のつぶやきが聞こえてきたのは聞かなかったことにして目を伏せた。
アレンは頬がやたらと熱を持つのを感じた。
こんな感情にも眩しい笑顔にもいつか慣れるのだろうか――
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