第7節 心よりの祝福を
中央中立地域
――通称『聖域』
その中心地であるウィンデルベルグ連合共和国最高峰の学び舎――サンクチュアーリオ学院の新しい一年が幕を開ける。
天球棟で一番大きなガラス張りの天球からは晴天の光が降り注ぐ。振り仰げば、流れる雲と夏の青空が一枚の画のように祝いの日を彩っていた。
司会役の教師が淡々と式を進めていき、陽が高い位置に昇る頃には、式も中盤に差し掛かっていた。
「――続きまして、生徒会長の祝辞となります」
その声が響き終わると、高等部生徒会の会長を務めるクラーラがするりと立ち上がった。
この場にいる全員の視線を集めながらも、彼女は優美な仕草で頬に掛かった髪を耳にかける。そしてクラーラは生徒会役員が座る一角から歩を進め、優雅な仕草で壇上へと上がっていく。
彼女が一歩進めば、その度に「ほう」という感嘆の声があたりから漏れる。
彼女は全学院生の憧れの花だ。
◇ ◇ ◇
クラーラは壇の中央に立つとゆっくりと学院生たちを見渡し、深い笑みを浮かべた。
「皆様ごきげんよう。
彼女は一音一音を丁寧に語る。
「新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。サンクチュアーリオ学院高等部へようこそ。そして、在校生の皆様。またこの場でお会いすることができ、大変嬉しく思いますわ」
彼女は全員の顔をひとりひとり確認するように、視線を動かしていく。
「さて、本日より新しい一年が始まります。私にとっては最後の一年ですが、本日入学する一年生の皆様にとっては最初の一年です」
彼女は笑顔の中にも真剣さを瞳に帯びさせ、語りを続ける。
自然とその場にいる者たちは、一語一句を逃さないように居住まいを正す。
「時間とは、皆に平等に流れるものです。皆様どうか、一日一日を一分一秒を大切にしてくださいませ。――それは自分自身のためにです」
大講堂内にある、百年近くの時を刻む大時計が針を進める。静寂の大講堂にカチリという小さな音が鳴った。
「時が流れるのと同様に、皆様はこれから多くの経験を積むことでしょう。楽しいこと、悲しいこと、喜ばしいこと、苦しいこと、様々なことがあるでしょう。時にはどうしようもない怒りや絶望に打ちひしがれることもあるでしょう」
クラーラは表情を流れるように変え、想いを伝える。
「――けれども、これだけは覚えていてください」
クラーラは一言一句を大切に扱うように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――皆様は決して『独りではない』ということを覚えていてください」
それは祈りだ。
「困難に打ちひしがれ、足元しか見えなくなってしまったとき、どうか勇気を出して顔を上げ、周りを見渡してください」
天球のガラスの向こう、鳥が空を翔んでいき、その影が落ちる。
「勇気を出して、助けを乞うてください。きっと、あなた方の『隣人』があなた方の『救い』となるでしょう」
クラーラは真っ直ぐに前を見据える。
「人を思いやり、人に優しくしてくださいませ。それは自分自身のためにです。人のために、勇気を持って、行動してくださいませ。それは自分自身のためにです。皆様が心を尽くした相手が、いずれ皆様にとっての『隣人』となるからです」
クラーラはその場にいる全員に語り聞かせる。それは不思議とすっと沁み込んでいく。
「『綺麗事』と思われる方もいるでしょう。ですが、私はその『綺麗事』を夢見ています。私は私自身の夢を叶えるために行動いたしましょう。救いを求めているとき、私たち生徒会を頼ってくださいませ」
クラーラは、彼女を見つめる学生たちに向かって手を差し伸べる。
「皆様のお力になれるよう、私たちは全力を尽くすことを誓いましょう。私たちが皆様の『隣人』の一人となれるよう、私たちは手を伸ばすでしょう」ま
クラーラは差し伸べた手を胸元に引き、祈る仕草をする。
「最後に、今日の喜ばしき日にこの場に立ち会えましたこと、大変嬉しく思います。皆様の信じる神が、皆様にどうかご加護を与えますように。一つでも多くの笑顔がここで生み出されることを祈っております」
カチリと時計の音が鳴る。
「――この祈りを祝福の言葉と代えさせていただきます」
クラーラは握った拳を左胸に当て、小さく礼をする。
「クラーラ・マクレール・フロールマンより、心よりの祝福を皆様に――」
一度伏せた目を上げた後、クラーラは深い令嬢の礼をした。
シンと静まり返る講堂にいる全ての者の視線は礼をしているクラーラに注がれる。
彼女が再び顔を上げると、盛大な拍手が講堂中に響き渡り、それは天まで高く昇っていった。
◇ ◇ ◇
講堂の前方の席でアレンとアイリスは並んで座っていた。そして二人は呆然としながら壇上から降りるクラーラを見つめていた。
クラーラは生徒会長の席に戻りながら盛大な拍手に応えている。
「クラーラ先輩、すごかったな」
アレンがアイリスに同意を求めるとすぐにアイリスは笑顔を向ける。
「うん、すごかったわ!」
クラーラが祝辞を述べている間、その場にいる皆が壇上の彼女に釘付けになっていた。彼女が「周りを見渡してください」といえば、皆が魔法にかかったかのように周りを見渡した。
魔法に疎いアレンには分からないが、実際に魔法に掛かっていたのかもしれない。
柔らかい語り口なのに、そこには明確な意思の強さ、彼女の『芯』が感じられた。
アイリスから東大陸には「言霊」という魔法があるということを聞いたことがあるが、それはきっとああいうものなのだろう。
「私、ああいう強い女性になりたい」
アレンが素直に感動していると、アイリスがふとこぼしたようにそう言った。
アイリスの真意は分からない。だが、アレンははっとしてアイリスを見つめた。それは、アイリスがこれまで誰かみたいになりたいと言っているのをアレンは聞いたことがなかったから。
アレンは微笑み、アイリスの頭を撫でて言う。
「なれるといいな」
「うん」
アイリスははにかみ、瞼を震わせながら小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
クラーラが席に戻り、講堂が再び静かになると、司会者が進行を再開する。
「続きまして、新入生代表挨拶となります」
新入生代表が呼ばれると、アイリスが座っている席の斜め前方の席から、一人の少女が立ち上がった。
その少女がアイリスの前を横切るとき、彼女と一瞬目が合った気がした。
その少女は壇上に登ると小さく礼をした後、挨拶を始める。
「新入生代表の
姓からして、
寮では隣室らしいが、休暇中に彼女に会うことは出来なかった。
アイリスは雛姫と呼ばれた少女を上から下まで観察するが、今そこにいる彼女の風貌からは雅治の言っていた凶暴な二つ名は一切結びつかなかった。
緩いパーマの掛かった肩まで伸びた
音は高めだが、落ち着いた声。それにゆっくりと柔らかな語り口調。
彼女は人の視線を受けることに慣れているのか、緊張している様子は感じられない。けれども、それはクラーラの情緒ある語りかけるような挨拶とはまた違い、淡々とした語り口と表情だった。
――感情の色は薄いけれど、冷たいというわけではない。
「本日は私たちのためにこのような場を設けていただき、ありがとうございます」
――彼女はまるで凪いだ海のようだ。
そうアイリスは思った。
「これから皆さんと切磋琢磨し、三年間、様々なことを学びたいと思います。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
小さな体で礼をすると、彼女は壇上から静かに降りて行った。
彼女は有名人なのだろう、静かな彼女とは裏腹に周りは少しざわついていた。
アイリスには友人と呼べる存在はいないが、なぜか彼女とは特別な友人になれる予感がした。
◇ ◇ ◇
――――バーンッ!
新入生代表挨拶が終わった直後。
扉が勢いよく開く音が響き、その場にいる全員が後方を振り返った。
渋みがかった紅色のジャケットと膝丈のタイトスカートからはすらっとした脚が伸び、黒いハイヒールを響かせる堂々とした佇まいの彼女は――
「諸君、入学おめでとう。私が学院長のイヴ・アウエルマイヤーだ」
――『豪胆』
学院長はそう表現するのがふさわしい女性だった。
本来は学院長の挨拶は式の初めにあるはずだった。それが後回しになっていたのは、彼女が遅刻していたからだった。
溢れ出るオーラは、自由の象徴でもある中央中立地域に相応しい、自由な風そのものを表していた。クラーラや雛姫とはまた別の意味で人目を引く、そんな女性。
保守的なマーレ
「私から言えることは一つ。自分の魂が
強い眼差しに強い言葉。
そして最後に強い一言を放った。
「以上!」
アウエルマイヤー学院長は短過ぎる程に短い挨拶を終えると、ずんずんと壇上から降りていく。
困った顔の司会者をよそに、学院長は他よりも少し豪勢な椅子に腰かけて足を組む。肘掛けに体重を預けると、学院長は後ろの生徒会役員席を振り返った。
そして、クラーラ目掛けてウィンクした。
「じゃ、クラーラ君、あとはよろしく」
「あとは」と言うよりも、もう全部よろしくしているのでは――と皆が思う中、アレンとアイリスは、学院で初めて生徒会の二人と出会った時の事を思い出す。
この自由な女性にしっかり者のクラーラとシンが日常的に困らされていることが容易に想像できた。
クラーラは深く嘆息すると再び壇上に戻り、副会長のシンも今度は一緒に壇上に上がった。困った顔を一瞬で潜ませて、クラーラは凜とした表情で再び語り始める。
「ここからは皆様に学院での生活の注意事項とこれからの予定についてお話させていただきますわ」
◇ ◇ ◇
一通りの注意事項の説明が終わり、アレンとアイリスは説明の際に配られた『サンクチュアーリオ学院 学則』と刻印された皮表紙の本を閉じ、顔を上げる。
「以上で学院での生活についての簡単な説明を終ります。詳しくはまた各教室での説明がありますので、ご安心くださいませ」
クラーラが注意事項の説明について締めの言葉に入ったため、これで終わりかと思ったが、双子は次の言葉に意識を持っていかれた。
「――最後に、大事なお知らせとなります。中等部から進学された方はすでにご存知かと思われますが」
クラーラは満面の笑みで新入生の席の方向を見つめていた。
アレンとアイリスは壇上の彼女とカチリと視線が合ったような気がした。
「
アレンもアイリスもその聞き慣れない言葉に興味を惹かれていた。
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