第6節 古式魔法の権威
アレンとアイリスのサンクチュアーリオ学院での初めての夕食後の夜更け。
双子の護衛騎士であるイザベルはマーレ
アレンの部屋の外扉の前には、同じ騎士であり、共に兄妹の護衛を務める先輩騎士のダニエルが控えていた。しかし、彼は何も聞かずにイザベルを中に通した。
静かに部屋の戸をノックすると、アレンが自ら扉を開けた。
「おつかれさま、イザベル」
アレンはシャツの襟元を緩めた姿だ。アレンが背を向けて部屋の奥の方に歩いていくなか、イザベルはその場でそっと室内に視線を走らせた。寝間着は袖を通した跡もなく、綺麗にたたまれたまま置かれていた。
アレンはイザベルが部屋を訪れるのを確信していたようだ。
――これが双子の絆というものなのかしら。
我ながら空想的な考えだとイザベルは思う。
――迷信みたいなものは好きじゃないのに。
「アレン様の仰った通り、アイリス様が熱を出されました」
イザベルは頭を垂れながら報告する。後ろに高く束ねたダークブロンドが肩に垂れるのを感じる。
夕食から戻ってきたアイリスは「大丈夫です」と主張していたが、夕食前にアレンに耳打ちされた通り、彼女は体調を崩した。
そういうことは今までに何度もあった。
アイリス自身の変化変調に、本人よりも双子の兄であるアレンの方が敏感なくらいだった。
「それで、アイリスの状態はどう?」
アレンは窓辺に寄りかかりながらイザベルに尋ねる。時々彼が見せるまるで全てを悟った大人のような笑みで。
――こういう顔をするとき、アレン殿下は大抵ご自分の気持ちを隠していらっしゃる。
「今は落ち着いて、眠られていらっしゃいます」
イザベルは顔を上げると、アイリスの状態を報告した。
「ありがとうイザベル。朝になったらそちらの部屋に行くから、それまでついていてやってくれ」
「かしこまりました」
「よろしく頼むよ。異変があればすぐに報告してくれ」
「はい、アレン様」
イザベルはアレンに深く一礼する。
「失礼いたします」
そしてイザベルは足早にアイリスの部屋へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
アレンはイザベルが去って行った扉を静かに見守り、一人がけのソファに深く腰掛けた。
「アレン様もお疲れでしょう。お休みになってください」
「ああ、適当に休むよ」
アレンはダニエルに軽く手を振った。
――皇宮にいた頃、アイリスが熱を出すと彼女に付き添っていたのは、決まってアレンだった。
サンクチュアーリオ学院の学生寮は、昼間の出入りは比較的自由なものの、深夜に男子学生が女子寮に入るのは難しい。
余程のことがない限りはイザベルの方で対処してもらうように事前に決めていた。
そして、学院の人間に知られてはならない二人の『秘密』を守るため、マーレ
『護衛』兼『監視役』――それがイザベルとダニエルの二人だった。
◇ ◇ ◇
イザベルは母国の皇子アレンと皇女アイリスを敬愛していた。
イザベルはアイリスの部屋に戻る道中、少しだけ昔のことを思い出していた。
――今は私がアイリス様をしっかりお守りしなければ。
――『古式魔法』に関しては、世界トップレベルの技術力を持つマーレ皇国の
マーレ皇国の国内ですら、アレンとアイリスの存在はほとんど知られていない。
その存在を知っているごく限られた者でも、彼らについては社交の場にも出てこない『名ばかりの皇族』という認識で、記憶にも残らなければ話題にも上らない。
彼らが双子であることは、その更に一握りの人間しか知らず、彼らの存在を知っている人間もほとんどは彼らが年子の兄妹だと思っている。
双子はあの国では忌むべき存在とされることも多く、双子の皇子と皇女という存在があの国で許されるはずがないからだ。
それはつまり――――
だから彼らはひっそりと身を隠しながら、顔を隠しながら生きてきた。
確かに間近で彼らの姿を見なければ、性別が違うこともあり、アレンとアイリスが双子ということは疑われない。
しかし、学院では双子ということは隠し切れない。けれども、二人一緒でなければ意味がない。
それに、双子が忌むべきものという認識は、今の世ではマーレ皇国のような伝統や伝説を重んじる保守的な国にしかない。
世界各地から人間が集まるこの場所では、勿論警戒は怠れないが、別に隠し立てすることではない。
――だが、呪いの証のオッドアイだけは絶対に露見してはならない。
『あの瞳』は実際に発動している強力な呪術。
しかも、『古式魔法の権威』とも呼ばれるマーレ皇国の技術をもってしてもその呪いが解けていない。
やむなく双星宮から出るときや、家庭教師が来るときは布で隠したり、魔法で短時間だけ色を変えたりもしていた。しかし、それは根本的な解決にはならない。
――だから彼ら兄妹は
そして、オッドアイの秘密が露見した瞬間、彼らは
それが彼らと彼らの父親である皇帝との約束だった――
アイリスのオッドアイ偽造用の魔術具もまだ完璧ではない。
皇国を出る前、アイリスの体力が弱まると、アイリスの魔力に揺らぎが起こり、魔力を供給しても魔術具が上手く作用しないことがあった。
有り余る魔力をアイリスは制御しきれていない。
いつ死ぬかも分からなかった幼い少女の傍付きの騎士に志願したのは、同情からなのかもしれない。
それでも彼らが運命に立ち向かうというのなら、自分はその道を切り開き、護るとその剣に誓った。
役立たずと呼ばれた自分を、あの兄妹が受け入れてくれたから。
◇ ◇ ◇
明朝、アレンはアイリスの部屋を訪れた。
苦しそうに眠るアイリスの顔にかかった髪を除けると、銀色の睫毛が小さく震える。
薄く開いた瞳からは、アメジストと琥珀が覗いた。
「アレン……?」
「まだ寝ていろ」
アレンがアイリスの額に手をのせると、アイリスは再び眠りについた。
◇ ◇ ◇
アイリスがすうすうと寝息を立て始めたのを確認すると、アレンは食堂に向かい、アイリスの分の朝食も貰いに行った。
そしてアイリスの部屋に戻ってきたところで、アレンはイザベルとダニエルを下がらせた。
アイリスの額に手を当てるとアイリスがぼんやりと目を開ける。
「朝食、食べられるか」
「うん」
アイリスはもぞもぞと起き上がり、ベッドボードに並んだ枕を背に座る。
水差しから水を注いで渡すと、アイリスはそれをゆっくりと飲み干した。
アレンは朝食を載せた盆を持ってくると、湯気の上がるスープボウルから野菜を煮込んだスープを匙で掬った。
それをアイリスの口元に運ぶと、アイリスは嫌そうな顔をする。
「アレン、自分で食べれるわ。子供みたいで恥ずかしい」
「誰も見てないぞ」
「そういう問題じゃないの。――! ……ん」
アレンは問答無用でアイリスの口にスープを流し込むとアイリスは渋々それを飲む。
「……美味しい」
「ははっ」
スープの味に喜びを隠しきれていないのに、不服そうに言うアイリスにアレンは思わず噴き出した。
「何笑ってるのよ」
「何でもない、何でもない。美味しいよな、そのスープ」
まだほんのり湯気の上がる柔らかいパンもちぎって口に放り込むと、アイリスはもごもごとそれを飲み込む。
そんなことを繰り返していると器は空になった。
「ごちそうさまでした。ありがとう、アレン」
アレンが盆を下げるとアイリスは礼を言う。
再びアイリスの横に腰掛けるとアレンはアイリスの顔を覗き込む。
「顔色、良くなってきたな」
アレンがほっとしたように言うと、アイリスは頬を赤らませて語り出す。
「アレンも食事も訓練って言うけどね、魔術的な意味もあるのよ。食事っていうのはね、外部からのエネルギーの取り込み。すなわち古式魔法の一種と言われているのよ。外部からのエネルギー、つまりマナを取り込むということは体内の魔力安定に寄与する——―」
「はいはいはい。分かったから寝ろ」
アイリスが興奮して魔法語りを始めたので、再び布団の中に押し込む。
むぐ、っという声の後アイリスは布団から顔を出しこちらを睨む。
その瞳はもう、
「アレンも私にかまっていないで、好きに過ごしていいんだからね」
「わかったよ、そうする」
アレンが苦笑いで答えると、アイリスは掛布団と枕の隙間から何か言いたげな視線を送って来たので、アレンは窓際の一人がけのソファに腰を掛ける。
規則的に布団が上下し始め、アイリスが再び眠りにつくと、アレンはソファにもたれて窓の外を眺めながら自分の分の朝食を食べ始める。
漏れ聞こえるアイリスの寝息は穏やかだ。夜には体調も本調子になるだろう。
アレンは朝食を食べ終えるとアイリスの寝室を出て、控えの間で剣の素振りを始めた。
◇ ◇ ◇
早朝、
「魔力の乱れは落ち着きましたかね」
夜更けに自身の部屋で読書をしていると、妙な魔力を感じた。
大方、魔力の出所は検討がついていたが、今は干渉しない方が良いのだろう。
魔術障壁の張られた部屋とあの建物から漏れるのはごく僅かな揺らぎだ。学院長と副学院長、魔術棟の長以外の人間はおそらく気付かないだろう。
そしてその全員が今は学院の敷地内にはいない。
それと――
「あの子は気付きますかね」
そろそろ学院に戻ってくる歳の離れた妹の顔を思い浮かべる。
「あの子には余計なことは言わないでおかないと……」
溜め息をついていると。
――トン、トン、トン、トン、トン
大きいのに丁寧なノック音が室内に鳴り響く。
懸念事項は色々とあるが、雅治にとって今一番大きな懸念事項に対応しなければならない時間のようだ――
それは学院長たちの
ノックの音に続いて、扉に阻まれることなく良く通った女生徒の声が響く。
「ジェダイト先生、ごきげんよう。こちらにいらっしゃいますか!?」
早速、自分よりも追い詰められている学生が訪ねてきた。
「フロールマン、落ち着け」
同じ扉の向こうから落ち着いた男子生徒の声も聴こえる。
「はいはい、今開けますよ」
雅治は急ぎながらもゆったりと扉を開いた。
◇ ◇ ◇
それから一週間後、サンクチュアーリオ学院には休暇を楽しんだ学生たちが戻り始めていた。
アレンとアイリスの学院生活が始まろうとしていた。
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