第4節 偽りの藍玉


 長い廊下に夕日が差して影が伸びる。

 格子状に高く大きな窓から入る光は廊下を橙色オレンジに染めていた。


 サンクチュアーリオ学院は現在、新年度前の休暇中で遠方出身者以外のほとんどの学生が帰省している。

 ちらほらと学生の姿は見られるが、広大な敷地内は常時に比べて人影はまばらだ。


 雅治まさはるがアレンとアイリスの双子を連れて天球棟ドーム内を案内していると、白い制服姿の男女が前方から歩いてくる。

 その二つの影が雅治と双子の影に重なると、向こうから声がかかった。


「あら、ジェダイト先生。ごきげんよう」

「お疲れさまです。ジェダイト先生」


 蜂蜜色の豊かな長い髪を垂らした女生徒は、新年度から三年生になるこの学院の生徒会の会長であるクラーラ・マクレール・フロールマン。

 そして、彼女の半歩後ろを歩く濡羽色の髪が印象的な男子生徒は同じく生徒会副会長のシン・クロウリーだ。


 雅治は良く見知った彼らに挨拶を返す。

「こんにちは。休暇中なのに生徒会は今日もお仕事ですか」


「ええ、新年度が始まると例の行事がありますから、その準備ですの」

 溜息を吐きながら、クラーラは頬に手を当てた。


 その横に立つシンは年齢にそぐわない冷静さを纏って、アレンとアイリスの方を見た。

「ところで先生、そちらの二人は」


 長身のシンの視線に一瞬怯んだのか、アイリスはアレンの左腕をそっと掴む。しかし、すぐに思い直したようにアイリスは膝を軽く折って挨拶の姿勢をとった。

 雅治はそれを見て、双子を紹介する。


「こちらのお二方は、新年度から学院に入学するアレンさんとアイリスさんです」

 雅治が右手でアレンとアイリスを示すと半歩下がり、代わりに二人が半歩進む。


「はじめまして、アレン・ロードナイトです」

「アイリス・ロードナイトです。よろしくお願いいたします」


「こちらは生徒による自治組織――生徒会の会長と副会長のお二人です」

 雅治は、『生徒会』が何か分からないであろう双子に簡単な説明をしながら紹介する。

 それを受けて生徒会の二人も礼を取る。


「はじめまして、わたくしはサンクチュアーリオ学院高等部生徒会の会長クラーラ・フロールマンですわ。こちらこそ、これからよろしくお願いいたしますね」

「俺は副会長のシン・クロウリーだ。何か困ったことがあったらいつでも相談するといい」


「「ご配慮いただき、ありがとうございます」」


 双子が礼を述べると、生徒会の二人が頷く。クラーラは薔薇が花開くような笑顔を見せ、シンも薄く微笑みながら。

「学院の生徒を支えるのがわたくしたちの務めですの。お気になさらないで……――」


 笑顔だったクラーラは、言葉を紡いでいる途中ではっとしたように表情を消した。

 そして。

「そう、を支えるのは、私たちの務めですの」


 にこやかな顔をしていたクラーラは表情を怒りに一変させると雅治の前に一歩進み出る。

「ジェダイト先生、学院長はいつバカンスからお戻りになるのですか」

「さ、さあ、私にはわかりません」

 眉間に皺を寄せ、少し早口になったクラーラに詰め寄られ、雅治がたじたじになって後ずさる。

「学院長がいらっしゃらないせいで新年度の準備が滞っていますの」

「学院長のサインが必要な書類、確認事項が溜まりに溜まっています」

 シンも淡々とクラーラの後に続く。

「各所からの問い合わせ事項が副学院長からそのまま流れてきますのよ」

「その副学院長も先週から逃亡中です」

「あの二人、戻ってきましたら只じゃおきませんわ。この借りは必ず覚えていて頂かないと――」

「働かされた分、働かせないといけませんよ。等価交換という言葉をその身に刻んで――」


 アレンとアイリスは、クラーラとシンが息ぴったりに雅治に畳みかけているのを吃驚しながら見つめている。


 一通り言いたいことを言ったクラーラが静かに拳を握ると、そこからと火花のような閃光が散っている。

 比喩ではなく、彼女の魔法が彼女の感情の高ぶりに合わせて魔力の光がパチパチと弾けているのだ。

 これは相当怒っているようだ。

「魔術的な捜索は一応かけているんですが……。申し訳ありません……」

 雅治は頭を下げる。頭を下げることしかできないからだ。

 その様子を見たクラーラは握った拳を開放した。するとその拳から散っていた閃光も消えた。


 その閃光はこの場にいる全員が見ていたはずなのに、生徒会の二人は何事もなかったように笑顔を見せる。

 しかし、双子がじっとクラーラの手を観察しているのに気付くと、困ったようにクラーラが双子に謝罪する。

「ごめんなさいね、お見苦しいところをお見せいたしましたわ」

「申し訳ないな」

 謝罪を終えるとシンはジャケットの内ポケットから銀の懐中時計を取り出す。


「ジェダイト先生、そろそろ寮に向かわなくてもよろしいのでしょうか」

「ああ、そうでした」

 雅治は懐中時計を再び懐に戻した。


「では、アレン君とアイリスさんは夕食の席でまたお会いしましょうね。今は寮に人が居なくて寂しいのよ」

「それが良い」

 クラーラは良いことを思い付いたように二人に提案すると、シンも同意する。


 アレンは一瞬アイリスを見ると、笑顔で答えた。

「是非、ご一緒させてください」

 アレンの後ろからアイリスがおずおずと顔を出す。

「あの……、お仕事頑張ってくださいね」


 クラーラは弱々しい声で生徒会の二人を労う言葉を言うアイリスをじっと見つめる。

 そして、吸い寄せられるようにアイリスに近付くと、その両手を自身の両手でひしと掴み、ぎゅっと包み込むように握った。

 そして感動を映したその特徴的な紅玉と瑠璃が階層のように色塗られた瞳に涙を浮かべる。


「ありがとうございますわっ! アイリスさん!」


 クラーラは勢い良く言うと、疾風の様にシンと去っていった。

「ごきげんよう」という優雅な挨拶で締められた割には、嵐の去った後のようだった。





    ◇ ◇ ◇





 クラーラが後ろを振り向くと、シンがそれにならう。見つめる先には二つのシルバーブロンドが揺れていた。


「それにしてもロードナイトといえば……」

「マーレ皇国おうこくか……」


 クラーラの言葉をシンが繋ぐ。クラーラは真剣な顔で頷き、シンは真っ直ぐに廊下の先を見つめていた。


「双子の皇室おうしつ関係者なんていたのね。『古式ゆかしい国』だと思っていたけれど」

 クラーラは考え込むように俯く。

 しかし、すぐに頭上から聞こえた呟きに反射的に顔を上げた。


「尊いな」

「シン、貴方……」


 ゆらゆらと揺れるシルバーブロンドを眩しそうに見つめるシンをクラーラは珍しい物を見つめる瞳で見上げた。





    ◇ ◇ ◇





 雅治に寮まで案内された後、アレンとアイリスは寮監にそれぞれの部屋まで案内された。


 寮は上空から見ると星印アスタリスクのような形になっている建物だ。

 中央には共通の団欒スペースや食堂があるサロン棟があり、そこを介して寮全体としてはひと繋がりになっている。

 男子寮と女子寮はそれぞれ三棟に枝分かれてしており、サンクチュアーリオ学院の全生徒がそこで毎日寝起きしている。


 各国の要人の子女令息が多く通うことから、寮のそれぞれの部屋は寮と呼ぶにはかなり広い造りで、各部屋には控えの間と応接の間も存在している。まるで小さな城のようだ。


 男女それぞれの区画への出入りは滅多にはないらしいが、アレンとアイリスのように兄妹であれば、比較的容易に入棟の申請が受理されるとのことだった。


 護衛の人間は別枠で入寮が許可されているが、周囲への配慮として、アレンはダニエルを、アイリスはイザベルをというように同性の人間が護衛を務めている場合がほとんどだそうだ。

 一見自由度が高く見えるのは、高度な魔術によって寮内での人の出入りをプライバシーに支障のない範囲で監視しているかららしい。

 そこは流石の技術大国というところだった。



 アレンはダニエルと共に部屋に案内された後、荷ほどきをしていた。

 しかし、ほとんど荷物のないアレンはアイリスの部屋に荷ほどきの手伝いに行くことにした。


 部屋の扉をノックすると、イザベルが扉を開けてくれる。

 イザベルに礼を言いながら奥に進み、最後の扉を開けると寝室に相当する部屋にいるアイリスに声を掛ける。


「アイリス、手伝いに来たぞ」

「アレンー。助けてー」


 扉を開けた向こうには、想像通りの光景が広がっていた。アレンは溜息を吐く。

「いつもいつも一体どうやったらそんなことになるんだ」

「アイリス様、どうしてちょっと目を離した隙にそのようなことになっているのですか……」


 アレンとイザベルが口々に呆れと驚愕をこぼした。

 アレンとイザベルの視線の先には、大量の本をドミノ倒しにしているアイリスが映っていた。アイリスは床に這いつくばりながら、慌てて元々その本たちが入っていたであろうトランクにかき集めた本を押し込もうとしている。

 その本は一冊一冊がやたらと分厚く重そうだ。


 アイリスはジェスチャーを交えながら、心底不思議そうな顔をしながら、要領を得ない説明を始めた。

「片付けようとしたのよ」

 うーんとアイリスは悩む仕草をする。

「トランクを開けたの」

 アイリスは最後に両腕を大きく伸ばして、この状況をじゃじゃんという仕草で指し示す。

「そしたら散らかったのよ」

 そして最後に首を傾げた。


 不思議そうな顔をしたいのはこちらの方だ――とアレンは心の片隅で思いながらも、その光景は良く見る光景でもあるので、「いつものこと」という感情が勝つ。

 

 アイリスは魔法や魔術には長けているが、身体を使うのは苦手で極度の不器用だ。

 アイリスはアレンと比べものにならないくらいに勉強ができ、教えるのも上手いのだが、身体動作とそれについての説明は幼児並みだった。

 

 アイリスの魔法を使えば一瞬で終わる気もするが、寮内では学院側が用意した魔術具以外の魔法と魔術の使用は禁止されてはいないものの、推奨はされない。


 ――ここは身体を使うのが得意な人間がやるべきだろう。

 アレンはアイリスの傍に寄り、屈んで分厚い本を拾い上げた。そして散らばっている本たちの題名を見る。


 『魔術道具の基本』   『世界の大発明~魔術具の歴史~』

   『魔法史』   『精霊と気』   

   『西大陸と東大陸の技術』

 

 相変わらず妹は題名だけでも眠くなりそうな本ばかり読んでいるようだ。


 アレンは取りあえず――と、適当に備え付けの本棚に拾った本を並べていく。

 イザベルもそれに倣い、トランク内にかき集められた本たちを片付けていく。

 手伝おうとして惨状をより悪化させようとするアイリスには座って休憩するように言った。そんなアイリスは渋々天蓋付きのベッドに座ってこちらを眺めていた。


 一通り片付け終わるとイザベルは部屋を出ていった。

 そして室内にはアレンとアイリスの二人になった。


「そろそろ時間ね」

 アイリスは椅子に座ったアレンに近づくと手を伸ばし、アレンの左耳のピアスに触れた。

 オッドアイ偽装用の魔術道具であるピアスにアイリスが魔力を込める。


 すると、藍玉アクアマリンの魔石が鈍く光った。

 アレンの耳元で揺らめく魔石の光はやがて消えると、アレンは瞳が一瞬熱を帯びるのを感じた。


「一日に一回魔力供給し直さなきゃいけないのが不便ね」

 アイリスはアレンの瞳の奥を確かめるように覗き込んでくる。


 皇国にいた時にオッドアイを直接偽装する際は、魔術道具を介さずに直接瞳に偽装魔法を施していた。

 しかし、長時間効果を持たせることと他の魔法を同時に使用すると安定させることが難しかった。

 そのため、アイリスは出国の許可が下りてから旅立つまでの期間にこの魔術道具を造ったのだ。


 アイリスは自身の右耳のピアスにも、アレンのものにしたのと同じように魔力を込める。

 するとアイリスの瞳が一瞬揺らぐように光った。


「でも、もっと長期間持つように改良していかなきゃね」

 アイリスはベッドに腰掛けながら窓の外を見やる。見慣れない景色の先をアレンも自然と目で追っていた。


「魔力の器が大きくなって、やっと外に出られたんだもの――」

 アイリスは目を細め、もう沈みかけている夕陽を反射する窓硝子を眩しそうに見つめる。


「……もっと外の世界を楽しみたいじゃない」


 ――それはベッドから出ることもままならなかったアイリスの本音だ。

 アレンはその声を聴きながら、そっと目を伏せた。

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