魔女のお茶会 フェイブル視点
「お待ちしておりましたわ。ようこそ黒薔薇の館へ」
その名の通りむせ返るような黒薔薇の匂いが空気をも黒く染め、まるで夜のように錯覚してしまう空間の中、黒紅のティーガウンに身を包み、うねる赤茶の髪と鋭く光る赤い目をした細身の女性が微笑んでいた。
士官学校に現れる紅蓮の魔女は間違いなく彼女の事だろう。
私が調べて欲しいなんて口にしなければ……沈みそうになる思考をぐっと抑える。
「お招き頂き光栄ですハオスワタ侯爵令嬢。カートイット伯爵家のフェイブルと申します」
「急な誘いだったのに来ていただいて嬉しいわ。女性の敬称なんて花のように移ろいやすいもの、愛されたが故にすぐに変わってしまう名ではなく、ぜひノミンシナと呼んで欲しいわ。私もフェイブルと呼ばせていただきたいですし……でも、カートイット家は移ろうことのない素晴らしい技術を誇る名門でいらっしゃるでしょ?やはり家名でお呼びするべきかしら?」
「お好きなようにお呼びくださいませ。ノミンシナ様」
「そうね……とりあえずはカートイット令嬢と呼ばせて頂きますわね。ではお茶にいたしましょう」
ノミンシナはショモナー兄妹から遺恨がある相手に対しても友好的で寛大で素晴らしいと褒め称えられながら楽しげに席に向かう。その後に続き客間に進み、勧められた席に着いた。
さすがは侯爵家の側仕えである素早く美しい所作で茶会の準備を進めていく。勉強中の身である為、こんな時でさえつい側仕えの動きを目で追ってしまう。
「今日はローズヒップティーにドライフルーツを用意させて頂いたわ。ほら私、甘い物はあまり好まないですし美容にも良いものが好きでしょう?」
「流石はノミンシナ様ですわ!美意識が高くて私も見習いたいですわ」
「俺も普通の茶会だと甘すぎるものが多くて辟易するけれど、こんな茶会ならいつでも参加したいよ」
「カートイット令嬢もどうかしら?気に入って頂けて?」
「ええ、とても素敵な香りで美味しいですわ」
「気に入って頂けて何よりだわ。……さっそくですけれどお願いしていたものはお持ち頂けたかしら?」
ノミンシナの今までよりも少し冷たい声のトーンは華やいだ茶会の空気に緊張感を与えた。しかしショモナー兄妹はその雰囲気にはあまり気が付かないのか、お願いしたものの正体が気になるようで好奇心いっぱいの目でこちらを見ている。
私は努めて冷静に今までと変化のないトーンで答えた。
「ええもちろんですわ。ジーンお渡しして頂戴」
「かしこまりました」
側仕え伝いに箱に収められた婚約の首飾りが手渡される。ノミンシナは中を確認し満足そうに微笑んだ。
「ノミンシナ様、装飾品を注文されていたのね!きっと素敵な品でしょうね!お見せ頂けるのかしら?お兄様ぜひ拝見したいわね!」
「ああ、一番に拝見できたら光栄だね」
「ふふふ……残念ですけれど期待に沿うことは出来ませんわ。こちらはまだ試作品ですの。流行に敏感なショモナー家の方にお見せしたらがっかりさせてしまうわ。出来上がったら必ずお見せしますわね」
そう答えながらノミンシナは人差し指で弄ぶように箱の中の首飾りを撫でている。クロウに感謝しなければならない。本物の首飾りであったならば、決して冷静ではいられなかっただろう。二人で一緒に作ったあの首飾りだったら……
「カートイット令嬢。この黄色い石はなんの石かしら?」
「イエローアパタイトです」
「この装飾品の中でこの石だけが素晴らしいわ。デザインも他の石も私にはあまりにも地味すぎるもの、大変申し訳ないのだけど新しいデザイン画を用意したので作り直して頂けるかしら?イエローアパタイトはこの石よりももっと質の良いもので。一度受け取ったものをお返しするのは申し訳ないからこちらの試作品は私の方で処理しておくから気にしないで頂戴」
「……かしこまりました」
侯爵家ともなると装飾品の用意も手間をかけるのね!とショモナー兄妹が興奮して話す声を聞きながら、顔に苦痛が浮かばないよう必死に気持ちを抑える。
「そうだわ!ショモナー家のお二人も今日の機会に新しい装飾品を注文されたらいかが?素晴らしい技術を誇るカートイット家に直接頼める機会ですもの!いいですわよね?カートイット令嬢」
「ええ……もちろんですわ」
愉快そうにデザインの話をすすめる三人の横で私は笑顔を貼り付け続ける。
「お二人共このデザインはいかがかしら?とても素敵だと思うわ。カートイット令嬢のデザインは少し子どもぽくなりやすいみたいだけれど、このようにしたら二人にもよく似合うでしょう?」
「本当に素敵!!ね!お兄様!」
「うん素敵なデザインだね。……でも伯爵家の俺達には少し豪華過ぎるかも知れないね」
「そうかしら?私は素敵なデザインだからこのままがいいわ」
アイリーンが 子どものように頬を膨らませ、兄のクルライに強請るような視線を向け言い募る。
「クルライったら、ショモナー家は私の大切な友人なんですから下手なものを付けて欲しくないわ。私の隣に二人がいる時はいつも素敵で華やかでいて欲しいのよ」
ノミンシナはアイリーンの頬をするりとなでると、クルライに腕を絡め下から見つめる。
ともに婚約者がありながらのノミンシナとクルライの軽薄な行為をアイリーン含め誰も気にする様子がない。常識が通じないのだと理解する。例え常識が通じなくても権力がそれを許すのだ。なんとも言えない気持ちを抱きながら変わらない表情をたもつ。
「そうよお兄様!ノミンシナ様の友人として素敵な物を身に付けるのは当然だもの。私達の装いでご迷惑をかけることがあっては困るでしょ?」
「アイリーンたら。迷惑なんてことはないけれど、アイリーンがいつも可愛いくしてると嬉しいわ。そうでしょクルライ?」
「……ああ。妹にはいつも可愛くいて欲しいよもちろん。それに俺も美しい君に相応しい自分でありたいよ」
「本当に仲がよろしくて素敵な兄妹ですこと。二人を見てたら私も弟に素敵なものを作りたくなったわ。カートイット令嬢お願いできるわよね?」
「もちろんです。どういった装飾品をお考えでしょうか?ガーネットを使用されたものでお間違いありませんか?」
ノミンシナは踊り出すような昂揚した声でそういうと、自身の手に輝く指輪に視線をやり微笑んだ。
「大切な弟の装飾品ですもの……ガーネットは使用しないわレッドアンバーのピアスを作って貰えるかしら?もちろんこの指輪と同じように最高級のものでお願いするわね」
「ノミンシナ様?ガーネットではないのですか?」
アイリーンの疑問に一瞬だけ顔を顰めると直ぐに妖艶な笑みを浮かべて答えた。
「私はガーネットが大好きだから本当は自分で身に付けたいのよ。でも、ハオスワタ侯爵家ではレッドアンバーを身に付けるという決まりがありますの。ですから私の大切な人達にはガーネットを身につけて欲しいのよ。自分は身に付けられなくてもガーネットに囲まれて過ごせるでしょ?」
「大好きな宝石が使えないなんて悲しいですわね……ノミンシナ様の代わりに私がガーネットを大切に使わせて頂きますね」
「アイリーンは優しいわね。ありがとう」
「でもそれでしたら、婚約の証にもガーネットが使えないのですね。ノミンシナ様とクロウ様の首に輝くガーネットを楽しみにしていましたのに……」
「ええ、残念だわ。でも私には無理でもクロウにはガーネットを身に付けて欲しいと思ってるのよ。アイリーンが言うようにクロウの首に輝くガーネットを私も見たいもの。そうね、私的な場で使えるようにクロウのガーネットの首飾りも一緒に作ろうかしら?」
「素敵ですわ!良い考えだと思いますわ!」
「そうなると、デザインはどうしようかしら……そうだわ!カートイット令嬢にデザインをお願いできるかしら?……今クロウには口も聞いて貰えないのでしょう?私それを聞いて可哀想に思っていたのよ。だから私が、貴方のデザインしたガーネットの首飾りを渡した上でカートイット令嬢は私達の婚約を祝福していたとクロウに伝えてあげるわ。私、二人の関係が少しでも改善するようお手伝いしたく思ってるのよ」
「……ありがとうございます」
「気になさらないで結構よ、力になれて良かったわ。あとそうだわ、アイリーン?クロウと呼んで良いのは私だけよ、気をつけてくれなくちゃ」
「ごめんなさいノミンシナ様、フェイブルが以前呼んでいたのでつい……」
「そう、でもクロウは私以外には呼ばれたくないみたいだから、以前は我慢していたのでしょうね……。アイリーンに愛称で呼ばれてクロウが忘れ去りたい嫌な過去を思い出しては可哀想ですもの。今後は気を付けてちょうだいね」
「気をつけますわ。ノミンシナ様」
ノミンシナの満足したような笑みにアイリーンが安堵した笑みで応えている。私は出来るだけ感情を出さないように押し込みながら視線を横に逸らした。そこには考え込む様なクルライがいた。
「ショモナー様?どうかされましたか?」
「……ああハンネルに教えてあげなくてはと思ってな。シーナ、弟のハンネルへのプレゼントだろ?ハンネルは既に赤いピアスを身に付けていたが……」
「いいえ違うわ。……まだ幼いので公にはしてないけれど、末に小さな弟がおりますの。その子へのプレゼントよ。ハンネルのものは以前贈ったものだけど、今回はカートイット家に直接頼める機会だもの、だからハンネルではなく可愛いあの子への贈り物よ」
クルライの話は終えていなかったようだが、ノミンシナが被せるように答えた。本人は昂揚して自分が言っていることをきちんと認識できていないようだった。同じ弟でありながら大切に思う気持ちに差があるような言にしか聞こえない。
「そうか。ハンネルが大好きなお姉様の色のガーネットのピアスなんだ!って自慢していたから、ハオスワタ侯爵家ではレッドアンバーを用いると知らないでハンネル自身が用意したのかと思ってしまったよ。シーナが贈ったのであればハンネルがきっとレッドアンバーをガーネットと勘違いしているんだね。どちらにせよやはりハンネルには教えて上げる必要があるようだ。俺から伝えておくことにするよ」
本当にハンネルらしいなと笑いながら、クルライはノミンシナの役に立てると嬉しそうにしていた。
しかし、わざわざ石の名前を口にしておきながら、その石の偽物ならともかく別の石ということがあり得るのだろうか。実際に石をみたクルライが判別できていないため本当にレッドアンバーだった可能性もあるが。
ただ……ハンネルの石がもしガーネットであるのなら、ハオスワタ侯爵が息子が自分の命に従わないという状況を許容するわけがないため、ハンネルにはあえてガーネットを身に付けさせていることになる。その場合はハンネルが実はハオスワタ侯爵の息子ではないということになり得ないだろうか。
それにもう一つ気になる点がある。侯爵家となれば赤い宝石だと通常はルビーを購入することが多い。侯爵家でありながらルビーを全く購入しないという珍しい家があれば私が耳にした事があってもおかしくないのだが、聞いた覚えがない。
父に確認すればハオスワタ侯爵からの注文履歴にレッドアンバーの指定があるかわかるに違いない。しかし、全ては憶測で石に指定があったところでなんの証明にもならない、逆に指定がない場合はノミンシナが侯爵家ではレッドアンバーを使うと言っている事が嘘になるが、そんな意味の無い嘘をつく理由も全く思いつかない。
思考にふけっていると少し顔色を悪くしたノミンシナがこの会の急な終わりを告げた。
「……私少し興奮しすぎてなんだか頭痛がして来たわ。みなさんには申し訳ないけれど今日はここでお開きにいたします。カートイット令嬢、注文書は後で送らせていただくわ。クルライ、アイリーン楽しい時間をありがとう。また居らしてね」
「まあノミンシナ様、お大事になさってください。次お会いできるのを楽しみにしてますわ」
「シーナは繊細でか弱いからな。ゆっくり休んでくれよ?」
「お招きありがとうございました。注文書の件は承りました。お大事になさってくださいませ」
挨拶の視線はショモナー家のみに向けられ、こちらには一瞥もくれず終了した。非常に礼を欠く行為だが気にする者はいなかった。
魔女のお茶会は終わり、疲れから重くなった身体を馬車にあずける。
覚悟はしていた。ただ想像を超えていた。自分が今までどれだけ守られていたかを思い知らされた。家族に友人にそしてクロウに……。
魔女の手がクロウを取り囲み私との繋がりを全て断ち切ろうとしている。ただ心の繋がりだけは決して断ち切らせない。私が決して諦めなければクロウも諦めないでいてくれるに違いない。
そう思うとそれに応えるようにクロウのアンクレットが温かくなったように感じた。
ただそう思っても今のクロウの状況を思うとこの儚い温かさをいつまで守ることが出来るのだろうと不安に零れる涙を止めることはできなかった。
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