一人目の邪魔者 クロウゼス視点


兄上と別れ訓練場に足を踏み入れた俺に好奇の目と一部からは憐憫の目が向けられた。

予想通りの周りの反応に対し特に何を思うことも無く軽く体を動かしてから模擬剣を手に取った俺にカルデン副隊長が怒りを露わに近づき肩に手を乗せた。


「お前はカートイット伯爵令嬢と婚約していたのでは無いのか?そのような男が、爵位に釣られるような不誠実な男が俺たちの麗しいシーナの婚約者になるなど断じて許せん!」


頭に響くほどの怒号を俺に向けて胸ぐらを掴んだカルデン副隊長に胸中でニタリと笑う。

カルデン副隊長も既にノミンシナに籠絡された人物か。分かりやすくて助かるな、と目を細める。


「私の婚約者の変更に納得いかないのであれば国王陛下に意見なさってはいかがです?それができないのであれば口を挟まないで頂きたい」

「その不遜さもシーナの隣に立つのに相応しくない!貴様の様な愚者には取り立てて特徴のないあの凡庸であり性根の腐った娘が似合いだろう!」


――凡庸?性根の腐った?


フェイブルに対しての侮辱を聞き流せる訳もなくピクリと口端が引き攣り肌が粟立つ。

そもそも贔屓目なしにフェイブルは容姿も愛らしい。さすがに絶世の美女とまではいかないが、どんな美丈夫の隣に立っても見劣りしない清廉な美しさを持っているし純粋な心を持っている女性だ。

ノミンシナのような女と比べるなと口から出そうになり、それを飲み込む。


「カートイット伯爵家とピンジット伯爵家は親しい間柄にはなかったと記憶しておりますが、まさかよく知りもしない令嬢を貶めるような品のない発言ではないでしょうね?」

「昨夜の舞踏会であの娘が凡庸な容姿だということも、更には共にいたアイリーン嬢にわざと恥をかかせるような醜い性格なのも周知の事実だ」

「わざと恥をかかせたとは?」

「アイリーン嬢にわざとシャンパンを掛けたのだろう!」


思わず「は?」と声に出し、何を言っているのかと眉を顰めた。


「あれがフェ……カートイット伯爵令嬢の過失だと?」

「当然だ!あの後、アイリーン嬢がどれほど悲しんでいたか貴様は知らんだろう!」


知らないし知りたくもないな、と座り切った目で肉の塊としか思えなくなったカルデンを見上げる。


「未婚でありながらカルデン副隊長がシーナの婚約者に選ばれなかった理由が解りますね。周りも見えず、自分の見たいものを見たいようにしか見ず、真実を捻じ曲げて他者を愚弄するような男を上級貴族の婿に迎えるなど許されるわけが無い。故にハオスワタ侯爵もご判断なさったのでしょうね……見習い騎士でしかない私よりも劣る貴方こそシーナの相手には不十分だということを。でなければ、フェイブル嬢という婚約者のいた私にハオスワタ侯爵家から婚約の申し入れなどある訳がない」

「貴様!上官である俺を侮辱するか!」


カルデンを直接的な言葉で扱き下ろし、わざと敵対心を煽る。

おそらくホビロン精鋭教育小隊で最も強いのはカルデンで間違いない。それを隊員の目の前で完膚無きまでに叩きのめせば表立って俺に喧嘩を売ってくる馬鹿は減るだろう。

煩わしい手合いなど一度で十分だ。

額に青筋が立ち、顔が赤く染まっていくカルデンを嘲笑いながら明らかに殺意の籠った目を向けた。


――もう一押ししてやるよ。


「彼女が欲したのは見目麗しい紳士だ。貴方のような男臭くむさ苦しい者ではない」

「貴様の精神を叩き直してやる!剣を置け!」


案の定乗ってはきたが流石に剣を置けという言葉には虚をつかれた。

カルデンは精神を叩き直すと言いながら、わざわざ自分より体格の小さな相手に自分の得意な体術での模擬戦を仕掛けたのだ。

とは言え、それを断る必要も感じられない。

いくら肉体だけを鍛えようと人間である限り弱点はあるし、頭脳の方は鍛えてこなかったのだろう。頸動脈を締め上げるか、それとも肝臓を狙おうか……まぁ、死なないならどこを狙ってもいいか。

そう考えてカルデンに倣いコートとクラバットを脱いだ。

本来、私闘は騎士道精神に背く為、禁止されているのだがカルデンは高らかに宣言する。


「皆、良いか!これは精神を鍛える訓練である!」


脳筋の考えそうな事だと思いながら一向に現れないケメロイ隊長を視野の中に探すが痩身の眼鏡の男性はまだ登城すらしていないようだった。

ことの成り行きを見守っていた騎士たちの盛り上がる声をしれっと受け止める俺に対して、カルデンは騎士たちの歓声に襟元を開けて拳をあげた。

わざわざ襟を取りやすくしてくれるとは有難いことこの上ないなと思いつつシラけた目を向ける。


審判を任された騎士が中央に立ち「始め!」と大きく声を上げたと同時にカルデンは唸り声を上げながら体重を乗せた渾身の右ストレートを繰り出し、それを簡単に躱す。

カルデンも上体が揺らぎはしたものの、すぐ様体勢を持ち直して再び構えを取るが、多少表情が曇っている。

まさか初手で決着がつくと思っていたのだろうか?

……いや、怯ませようとして俺が大した反応を見せない事に驚いているだけという事にしておこう。


自分より小さな相手との戦闘の場合、体重差やリーチを生かした技が優位でありカルデンもその戦術をとるようだ。

どうやって転がしてその首を締め上げてやろうかと考え父上に教えこまれた柔術を思い返す。

我が父シャーレッツオ元近衛騎士副団長は、決して大柄ではない。

比較的小柄で筋肉質であっても痩身の騎士だった。

そして、父上が最も得意とするのは剣術ではなく体術や柔術だった。

己より大柄の者と相対した場合、剣術で退けられるのであればそれが一番良いが不利になる場合が多い。

そうなった時に役立つのが打撃を主とした体術や絞め技を主とした柔術だと教育を受けた。

さて、今は相手も剣を持っていない。

カルデンであれば殴り掛かってくるか、掴みかかってくるかの二択だ。

性格からして圧倒的に勝ちたいはず。そんな男が最初に繰り出すのが蹴りとは考えにくかっただけのこと。

何せ下半身に比べて上半身を鍛えすぎているのだ。バランスが悪いと言わざるを得ない。

おそらく極めの一撃として選ぶのは初手と同じ利き腕である右ストレートだろう。

己より大柄の相手は足元から崩すか、一気に懐に入り下方から攻撃するのが定石だ。

勝ち誇るような余裕の表情を見せるカルデンを分析し、冷静にカルデンが繰り出す拳を躱しては集中的に足元に反撃し、相手の体力を削いでいく。


そろそろ下半身に疲れが出始めた頃だろう。そう汲んで俺はわざと体勢を微妙に崩す。

顔に焦りが見え始めていたカルデンが好機とばかりに右ストレートを繰り出し、それを躱しながら懐に入り素早く右手で相手の右襟を、左手で右脇を掴み手前に引き込みながら前傾姿勢になった相手の骨盤に左足を掛け、そこを踏み台に右足を思い切り宙に上げ膝裏を深く首に掛け、骨盤に乗せていた左足を右足に掛けてロックし頸動脈を絞めあげる。

所謂、三角絞めというものだ。

一連の流れを瞬時にやって見せれば、騎士たちから声が上がった。

審判を務めている騎士までもだ。


「あ……」


そう声に出した時には既に遅く、カルデンは中腰姿勢のまま失神していた。

殺意が冷静さの上を行ってしまったせいで締めすぎたようだ。

慌てて足を解き前面に倒れ込むカルデンの頭を保護するように支え、ゆっくりと仰向けに寝かせる。


「うわぁ、完全に落ちてんな」

「流石に死んだとなれば問題になるだろうな」

「まぁ、訓練中の事故で終わるんじゃないか?」

「そうかぁ?ショモナー辺りが騒ぎ出しそうだが」


やけに砕けた口調の騎士たちの声に、確かに死なれては面倒だと頷く。屈強な体躯の騎士にカルデンの足首を持ち上げるように指示をだし、他の騎士には声を掛けるよう指示を出した。


「あ、副隊長の顔色復活してきてるんじゃないか?」

「それよりクロウゼス、同期のよしみで柔術の稽古をつけて欲しいのだが……」

「パッセ、お前狡いぞ!」

「シャーレッツオ、お前の人間性は如何なものかと思うが実力は認めている。ここは年功序列という事でまずは俺と体術の訓練を……」

「先輩、僕が先ですよ?」

「いや、副隊長の心配しろよ!」

「副隊長の席が空くならそれはそれでいいんじゃないか?」

「まぁ……確かに」


口々に好きな事を言う中、同期で青髪のパッセが冷たい視線を意識のないカルデンに向けた。


「この人に関して良い噂を聞かない」


それに対して嘲笑するように返答したのは鮮やかピンク髪の先輩隊員だ。


「今の上層部には良い噂の人間の方が居ないと思うが?ドルセン大隊長も結局は血縁者に足を引っ張られているからな」


その意見に賛同する者が多い中、一人の見習い騎士が俺を見ている。

赤茶の髪に赤い瞳は正にあの女と同じ色だ。

その見習い騎士は俺に近付いて、体躯と顔立ちに相応しく仔犬の如くキャンキャンと吠え出す。


「姉様は僕の事が一番大切なんだからな!僕はお前が義兄になるなんて認めない!姉様のことを一番理解し愛しているのは僕だ!!」


だから、認めないも何も国王が定めたことで、尚且つお前の姉が求めた結果こうなったと言ってるだろう。それに理解したくもないし、されたくもない。

その上、同期に弟がいるとも聞いていないし、そもそも士官学校に居たか?という思いは口に出さず首を傾げる。

ドルセン大隊長が血縁者に足を引っ張られている……なるほど。

父親が好色爺、妹が痴女、弟が痴れ者ともなれば関係を断ち切りたくなるのも分かるなと胸中で同情はするが表面には出さず人の良さそうな笑みを作り上げた。


「そう邪険にしないでくれ。私を欲しがったのは君の姉上だ。私は麗しいシーナが作る舞台でシーナの意図するように踊るだけだよ」


言うことを聞く利口な演者とは限らないけれどと胸中で嘲り、仔犬のような面立ちの見習い騎士に事務的な挨拶を述べた。

それに続き彼も「ハンネルだよ。ちゃんと覚えておいてよね」と不服そうに名乗るあたり素直と言えば確かにそうなのだろう。

その後、救護室から駆けつけた騎士にカルデンを預け騎士たちの要望で柔術を指導しながら終業までを過ごした。

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