精霊に愛された青年5

「ヤルミル!」


 誰もよりも城に早く到着した彼はウルシュアには暖かく迎えられたが、他の者からは異質な目を向けられた。


「ヤルミル殿。戦局はいかに?なぜあなただけが先に」

「サイハリ軍は撤退しました。8割方の兵士が死に、チェリンダ兵には誰も犠牲を出ていません」


 走り出そうとしたウルシュアを止めた中年の男が問いかけ、ヤルミルは蒼白な顔で答える。


「カシュン!何も今聞かなくても、ヤルミルは疲れているわ。時機にマクシムも戻ってくるはず。彼に聞きなさい」

「殿下」

「ダナ。ヤルミルを部屋に案内して」

「はい」


 ウルシュアの命を受けた侍女の一人がヤルミルに駆け寄る。


「私は近づいていないわ。だからいいのでしょう?」


 それを不満そうにしたカシュンを彼女は睨みつけた。



「ヤルミル。部屋でゆっくり休んで。ありがとう」


 ダナに支えられたヤルミルは顔をあげ、ウルシュアを見る。紫色の瞳が痛まし気に揺れていて、彼は悲しくなった。


 --そんな顔させたくないのに。


「ヤルミル様。何か暖かいものをお持ちします。まずはお部屋に戻りましょう」

 

 声をかけられ彼は頷く。

 それから、ウルシュアに目を向けるが、すでに彼女の姿はそこにはなかった。


 ☆


『ヤルミル。森に帰ろうぜ』

『そうだよ。オイラたちはちょっと遊ぶのは好きだけど、これはちょっとやりすぎダヨ。その分、いっぱい精気貰わないといけないし』


 部屋に戻り、ダナがスープを用意するといなくなるとすぐに火と水の精霊の声がした。


「ごめん。だけど、まだ終わってないでしょう?」

『十分じゃねーか』

『そうダヨ』


 それにヤルミルは答えなかった。

 目を閉じて息を吐く。


『しょうがないな。でも精気はしっかりもらうからな。あいつら、しばらく来ねーはずだし』

『うん。あれだけめちゃくちゃにやられたんだから、来ないヨ』


 火と水の精霊は自分たちでそう納得したらしく、実体化するとヤルミルの額に触れる。実体化の姿は火の精霊は炎の少年、水の精霊は透明な少女の姿だ。実体化といっても、ヤルミルの目にしか見えない。


『おやすみ。しっかり休めよ』

『じゃね』


 二人の精霊が去り、精神的疲労ではなく、肉体的に疲労が訪れ、手足が石のように重くなった。同時に意識もぼんやりとしてくる。

 風、闇、光の精霊もそれぞれ現れたのだが、もはやヤルミルは眠気に支配されており、会話らしい会話も成立しない。


『ヤルミルの馬鹿』


 最後に風の精霊がそんなことを言ったようにも聞こえたが、ヤルミルの意識は深く落ちており、定かではなかった。



 ☆


「殿下」

「マクシム。どうしてここに?」

「あなたが来そうだから待ち伏せしていたのです」


 ヤルミルの部屋で、ウルシュアとマクシムがそんなやり取りをしていた。

 彼は意識の遠くで二人の会話を聞いている。目を開けようとしているのに、瞼はとても重く持ち上がらなかった。


「騎士団長も暇そうね」

「……それは嫌味でしょうか?」

「違うわ。ごめんなさい」

「謝らなくても。ヤルミルのおかげで、今日は戦いすらしませんでしたから」

「そうなの……」

「もう少しです。恐らく王太子ゾルターンが鍵です。彼のおかげで、あの軍はどうにかまだ動いている。ですがすでに限界でしょう」

「……ヤルミルなしでも戦える?」

「はい。彼はとても疲れている。次は彼がいなくても勝利は我が軍へもたらされるでしょう。ですから、あなたからヤルミルにお伝えください」

「……森に帰ってもいいと?私たちの都合で彼を呼び出して、そして返すの?それはあまりにも身勝手ではないの?」

「それなら、次も戦わせますか?」

「そんなこと望んでない。ただ……、私も森にいってもいい?もう、戦いは終わりでしょう?もういいでしょう?」

「逃げるつもりですか?」

「逃げるって」

「わが軍はサイハリを国として滅ぼします。けれども民は残ります。その民をあなたは捨て置くつもりですか?」

「捨て置くって。それはお父様とお兄様が」

「あなたは王族です。務めを果たすべきです」

「……誰かと結婚して、民のために尽くせと?」

「はい」

「それはあなたになるわね」

「……でしょうね」


 そこで沈黙は訪れる。

 ヤルミルはどうしようもない自分の体に嫌気がさして、とうとう声を出してしまった。


「二人は、」


 結婚するのかと聞きたかったが、それ以上口にはできなかった。

 彼が声を出したのを聞いて、ウルシュアがベッドに駆け寄る。


「ヤルミル!」

「王女様……」


 どうにか目をこじ開けてみれば、驚き、不安、悲しみという表情を浮かべた彼女が、ヤルミルをのぞき込んでいた。背後からは眉間に皺を寄せたマクシムが近づいてくる。

 ウルシュアの隣にマクシムが並び、王女と騎士。

 まるで童話の表紙のような場面が出来上がった。


「どうしたの?」

「……ちょっと疲れていて」


 目覚めたはずの彼が目を閉じたのでウルシュアは尋ね、それに小さくヤルミルが答えた。


「ごめんなさい。起こしてしまったのね。本当に」

「殿下。ヤルミルを休ませてあげましょう」

「そうね。ヤルミル。ゆっくり休んで」


 マクシムにも言われ、彼女は頷く。


 --王女様に騎士。僕はお邪魔虫だ。それでも……。


「お休みなさい」

「ゆっくり休め。邪魔はさせないようにする」


 二人が揃って部屋を出て行き、再び静寂が訪れた。

 体はとても疲れているはずなのに、ヤルミルはなかなか寝付けなかった。


 ☆


 辛くて、悲しくて、それでもヤルミルはウルシュアが好きだった。

 例え彼女が他の人を愛していても。


「マクシム。僕はあなたが嫌いだ。だけど、王女様にはあなたが相応しい」

「ヤルミル?」


 数日後、両軍は前回のようににらみ合っていた。

 勢力はサイハリ軍がやや少ない。

 前回あれだけ壊滅的なダメージを受けたのに、兵士たちは王太子ゾルターンと共に再びそこにあった。

 ヤルミルは馬を駆り、マクシムの隣に立っていた。チェリンダの兵士は遠巻きに二人を見守っている。


「今度で終わらせる。後はお願いします」

「どういう意味だ?ヤルミル」

「下がってください。精霊たちに願いを伝えます。兵を引かせて」


 殺気だった様子でそう言われ、マクシムはヤルミルの指示通り兵に伝令を出す。


「さようなら。王女様。好きだった。ウルシュア」


 マクシムの耳に彼の声が届いたような気がした。

 同時に精霊たちの攻撃が始まる。


「ヤルミル!」


 怨嗟の声で彼の名が呼ばれる。

 王太子ゾルターンが炎に包まれた。


「殿下!」


 サイハリの兵士たちが嘆きの声を上げ、その場に崩れる者が多く出た。


「ヤルミル!終わりだ。戦いはこれで終わったんだ!」


 マクシムは視線の先、白髪の青年に声をかける。

 返事はなく、ただ彼の目の前で、ヤルミルがゆっくりと馬から落ちた。



「どうしてこんなことに」


 ーー僕は卑怯だ。卑怯者だ。こんな風にして彼女に僕のことを覚えてもらおうと思ってる。


 ヤルミルはウルシュアに抱き起されていた。

 マクシムは意識のない彼をすぐに城に連れて帰った。ウルシュアは制止を振り切り、彼に駆け寄った。そこでやっと意識を取り戻し、ヤルミルは別れの言葉を告げる。


 --もう、森には帰れない。僕は多くの人を殺しすぎた。もう静かな生活には戻れない。だけど、君の傍でいきていくのは無理だ。君の傍には、僕ではない、誰かがいるのだから。


「ヤルミル。ごめんなさい。本当に。ごめんなさい」


 ウルシュアはその紫色の瞳から大粒の涙をこぼしていた。


 --ごめん。王女様。ウルシュア。泣かせたくないのに。僕が、僕が願ったために。精霊たちよ。僕の最後の願いを聞いてくれてありがとう。僕の精気を全部貰ってくれてありがとう。だから、僕はこうして王女様を見ながら、最後の時を迎えることができる。


「王女様。ずっと笑っていてください。僕のために」

「ヤルミル……」


 --僕はあなたの笑顔が好きだった。でも、卑怯な僕を許して。ウルシュア。


「ヤルミル!!」


 王女ウルシュアの腕の中で、青年ヤルミルは息を引き取った。

 その顔はとても安らかで満ち足りた顔をしていたという。



(完)



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