前世の物語
精霊に愛された青年1
「ごめんなさい」
女はそう言って、大きな籠を木の根元に置いた。
籠の中には小さな赤子。生まれて数週間は経つだろうか。
白髪の産毛に、銀色の瞳をもった不思議な赤子だった。
「こうするしかないの。ごめんなさい」
女の瞳から涙がこぼれる。
赤子の銀色の瞳が女を捉える。
逃げるように女が去り、赤子が泣き始めた。
森が急に闇に包まれる。
それは凝縮すると人の形を取った。
黒い影は赤子を抱き上げる。
すると泣き声が止まる。
『ワシらの元に来るか?』
影の声は人の言葉ではない。
だが、赤子はその意味がわかったように笑い声をあげる。
『そうか、愛しい子』
影は赤子を優しく包み、森の奥深くに消えて行った。
☆
『ヤルミル!』
「なに?火の精霊?」
『オレッチと遊ぼうぜ』
「いいよ。何する?」
白髪に銀色の瞳の少年は、何もない宙へ話しかけていた。
もしその様子を人が見たら、気がふれていると思われただろう。
少年は、精霊の姿を見て、その声を聞くことができる者であった。
白髪に銀色の瞳と、普通ではない色彩を持つ彼は、生まれて数週間で森に捨てられた。それを拾ったのは闇の精霊であり、他の精霊たちも面白がって赤子の世話をするようになった。
母乳の代わりに他の動物から乳をもらい、ヤルミルに与える。
闇や光の精霊たちは街に出かけ、人の生活を観察して、彼のために家を作り、時折物を拝借し、彼を育てた。
森深くに家を構え、ヤルミルは静かに精霊たちと暮らしていた。
そんな平和な日々は、ある少女によって破られる。
『面倒くさいから追い出してしまおうぜ』
『でも、ヤルミルが喜ぶかもしれないヨ』
朝起きると火と水の精霊の声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
『あー、なんでもない』
『あのね、森に人が落ちてるノ』
「落ちてる?」
『あー、水。余計なこというな。放置しようぜ。なんか面倒くさそう。あいつ、人に追われていただろう?』
「追われていた?風の精霊、連れてって」
『わかったよ』
『ヤルミル!なんで、そんな時だけ風の精霊に頼るノ?オイラだって移動できるヨ』
「水に頼んだら濡れちゃうだろう。火だと燃えちゃうし」
『ちぇ、風はいいな』
『本当な。精気貰えてうらやましい』
「今度、何か別のことをお願いするよ。火の精霊に水の精霊。とりあえず、風の精霊お願い」
『わかった』
不満そうな精霊たちに構わず、風の精霊は少女の姿になると、ヤルミルの手を取った。
『行くよ』
風の少女に手を引かれ、彼の体が宙を浮く。
「気持ちいい」
『ふふふ。よかった』
風はヤルミルをのせ、森の上を移動する。
『あ、いた!降ろすよ!』
ふわりとヤルミルは地面に降ろされた。
「人だ……」
精霊たちが人の姿になることはある。
こうやって実際に生身の人を見るのは初めてで、彼は恐る恐る倒れている少女に近づく。
「暖かい」
腕に触れ、その暖かさにヤルミルは浸たる。けれどもドレスに隠されていない手足に裂傷を見つけ、我に返った。
「風の精霊、僕とこの子を家に連れて戻って」
『わかったよ』
少しだけ不満そうな口調に思えたが、彼は深く考えることはなかった。
☆
少女の名前はウルシュア。
紫色の瞳に黒髪のとても美しい少女だった。
「ありがとう。この果物はとても美味しいわ」
「これは、クリッチという果物なんだよ。もっと食べる?」
「ううん。もうお腹いっぱい」
少女の傷は軽く、ヤルミルが普段使う薬草を傷に当てるだけでよかった。
「他に人はいなかったのね」
「僕が君の傍にいた時はそうだったよ。誰か他に人がいたの?」
「ええ。私は追われていたの。マクシムは私を庇って、逃がしてくれたけど……」
「マクシム?」
「ええ。私の騎士よ。いつも守ってくれるの」
ウルシュアがそう語り、ヤルミルは初めて心の中に嫌な気持ちを持った。
その嫌な気持ちを振り払おうと、彼は立ち上がる。
「君を見つけた場所へ戻ろうか?もしかしたら何か見つかるかもしれないし」
「本当?でも……」
「大丈夫だよ。風の精霊お願いできる?」
『……その子も一緒なの?』
「うん」
「ヤルミル?誰に話しかけてるの?風の精霊って?」
「君には聞こえないの?この森には精霊たちが住んでいて、僕の友達なんだ。精霊たちのおかげで僕は生きていけるんだ。そうだ。君も一緒にここで暮らそうよ。ね?」
「ヤルミル……。それはできないわ」
「どうして?」
「だって……」
『ヤルミル。できないって言ってるよ。だから諦めて。それより、その子がいた場所へ行くのでしょう?』
「うん」
『じゃあ、まずは外に出て』
「ウルシュア。外に出よう。風の精霊が僕たちを運んでくれる」
「運ぶ?」
少女にとっては精霊と言われても明確に理解することができなかった。
けれども彼女が倒れていた場所へ戻ってくれるのはありがたくて、ヤルミルについて外に出た。
風によって空を飛ぶ。
ヤルミルの手を思わず強く握りしめてしまい、彼女は謝った。
「大丈夫。痛くないから。それより怖いの?大丈夫だよ。風の精霊は僕たちを落としたりしないから」
彼は安心させるように笑ったが地面に降ろされるまで、彼女の不安が消えることはなかった。
到着して、地面に足がふれて、ウルシュアはやっと胸を撫でおろす。
そして、周りを確認し始めた。
人の痕跡を掴むことはできず、肩を落とすしかなかった。
「マクシムって人が心配?」
「ええ。怪我を負ってるかもしれないのよ」
「……そう。もうちょっと探してみよう」
ヤルミルはお互いの姿を見失らないように声をかけながら、探してみたが、見つかることはなかった。
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