後日談

二人の健全な新婚生活


 ラダの朝は早い。

 彼女は日の出を共に起きて、夫であるアレシュのために朝食と昼食の準備を始める。

 早起きは実家にいる時から、その習慣が身についているせいもあったが、アレシュはそれがかなり寂しかった。


「………」


 ぼんやりと目を覚ました彼は、隣に愛する妻のぬくもりがないのを感じて寂しい思いを抱えながら体を起こした。

 台所から微かな物音と、パンの焼きあがる香ばしい匂いが漂ってくる。

 彼はベッドから降りると、妻を脅かしてやろうと忍び足で彼女に近づこうとした。

 が、アレシュの目論見はいつも成功しない。

 突然風が吹いて、彼の黒い髪は寝起きの状態よりさらに酷く乱され、スープを煮込んでいたラダは火力が少し強くなったことで、気が付いたようだ。


「アレシュ様!起こしてしまいましたか?」


 彼の愛する妻は精霊に愛された子であり、精霊たちは何かと世話を焼きたがる。

 今回もアレシュが起きたことをわざわざ彼女に教えて上げたらしい。足止めまでして。


「いい匂いがしたから。ラダ。おはよう」

「おはようございます」


 出会った時は十五歳。

 その時は少女であった彼女だが、十八歳になった彼女は身長が少し伸びて、ふっくらとしていた頬は少し痩せて大人の顔立ちになっていた。その反面体は丸みを帯びており、アレシュはその柔らかそうな胸や、優しい曲線を描くお尻に目を奪われそうになる自身を自制していた。

 ふわりと結われた茶色の髪からほつれた髪が首筋に巻き付き、誘われそうになる。


「あ!駄目!」


 ラダの声と同時に冷たい水がアレシュに浴びせられた。けれどもご丁寧に濡れたのは彼の顔だけだ。桶から勝手に飛び出した水は床に飛び散ることもなく、彼の顔だけにかかる。


「……ごめんなさい」

「いや、いいよ。ちょうど顔を洗う手間が省けたと思えば」


 ラダとアレシュの新婚生活は、このようにいつも精霊によって邪魔されていた。





 いつも通り、ラダを店に送ってから城へ向かう。

 厩舎に馬を預けると、偶然にフゴとイゴルと一緒になり、にやにやと笑いながら挨拶された。


「おはよう。新婚さん!」

「おはようございます。フゴ先輩」

「新婚、疲れてないか?」

「……おはようございます。イゴル先輩」


 それに脱力を覚えながら、アレシュは挨拶を返した。


「おお。来たか。新婚さん」

「今日もまた遅いなあ」

「遅くないですよ」


 第一小隊の待機室でもある宿舎の一画に行くと、そこで待っていたジョニーとハヴィルから軽口を叩かれ、アレシュは眉間に皺をよせてから答えた。


「ジョニー、ハヴィル。からかうのはその辺にしておけ。醜い嫉妬だぞ」

「うわ。余裕ある発言だな。ヴィクター。そのうちお前も振られるんだからな」


 ジョニーが返すと、すかさずエイドリアンが彼の失言につっこむ。


「お前もって、ジョニー。振られたのかよ?」

「うるせい!彼女なし歴と実年齢が同じのお前には言われたくない」

「お前ら、うるさいぞ」


 反撃にエイドリアンが言い返そうとすると、部屋にバジナが入ってきて、隊員たちは無駄口を叩くのをやめる。


「さあ、随分体力が余っているみたいだから、しっかり働かせるから覚悟しろよ」


 バジナが小隊の面々を眺め、歪んだ笑みを浮かべて言い放った。



「……なあ、これって俺らがやる必要があるのか?」

「いや、別に俺らじゃなくても」


 第一小隊の面々は、王配殿下の個人的な用事に付き合わされていた。


「えっと、君。確かジョニーだっけ。その石はもっと右に」

「はい!」


 ハヴィルと軽口と叩いていたジョニーは、少し慌てた様子でケンネルから指示を受け、すぐに石を移動させる。


「さて、フグとイゴル。そこの二人はその木を移動させて」


 城には庭師という存在がいるはずだった。

 けれども、第一小隊は庭の整備を手伝わされていた。


「アレシュ。君はこの植木鉢をあちらに移動させて」

「はい」


 先輩たち同様、アレシュも今日の作業に疑問を持ちながらも、兄の指示通り、指定された植木鉢を次々と庭の中心へ移動させていく。

 王配といえども、兄には変わりない。

 この作業の意味を問いかけようかと、アレシュは顔を上げた。


「……さあて、出て来るかな」


 そんな彼に気が付くこともなく、いや気が付いていたのか。

 ケンネルは口元に笑みを湛えると、庭に出る。

 アレシュ、そして他の隊員たちは殺気に気が付き、作業を止めるとそれぞれ腰の剣に手を伸ばした。


「ひぃ!」

「ぎゃ~」


 おかしな声を上げて、覆面をした男が数人影から転げ出てきた。

 足元に火がついて走り回っているもの、体の数か所を切りつけられいるもの、口から泡を拭き目を回しているもの、凍り付いているもの。

 アレシュは大きな溜息をついてしまいそうになり、口を押えた。


「いやいや、出番はなかったみたいだね」


 ケンネルはおかしそうに笑い、傍にいたバジナは状況に驚きながらもすぐに指示を出した。


「捕縛しろ!」

「はい!」


 アレシュをはじめ、隊員たちは直ぐに動き、戦意喪失した男たちを縛り上げた。



「いやいや、すまないねぇ。今日の私は囮でね。君たちにさり気なく警護してもらおうと思っていたんだよ。真相を話せば緊張してしまうだろう?それじゃ意味がないからね」


 賊を国防部に預け、アレシュたちはケンネルから説明を受けていた。

 バジナのみが事情を知っていて、言葉を付け加える。


「そういうことだ。体も目一杯動かせて、よかっただろう」


 笑いながらそう言われるが、頷くのは躊躇した。


「結局賊はあんな感じになってしまったし、君たち、まだ動き足らないだろう?さて、庭の作業の続きをしてもらおうか」


 ケンネルは人が好さそうに笑い、アレシュたちはげんなりとお互いの顔を見合わせた。

 

 普段の訓練よりも疲労を覚えて、第一小隊の本日の業務は終了する。

 アレシュは、意気揚々と帰り支度を始めた。

 頭にあるのは愛する妻の笑顔だ。

 帰りはラダの店に寄り、彼女を迎えつつ夕食を店で食べて帰るのが日課になっていた。


「お疲れ様でした」

「お疲れな」

「羨ましいぜ」

「俺も一緒に帰っていい?」

「夜はほどほどにしろよ」

「あー。俺も結婚してぇ」

「相手はいるのかよ」


 満面の笑顔で挨拶をする彼に、先輩たちは軽口を叩く。

 それを躱しつつ、アレシュは今日も無事に城を出立した。

 障害のない道を馬で進みながら、彼は精霊たちに邪魔されたことを思い出して苦笑する。

 結婚する前、こうしてアレシュがラダに会いにいくと、こぞって突風が吹いてきたり、水がかけられたり、光が周りをチラつき、困難な道のりを経て彼女の店に辿り着いた。

 結婚してからはそれがなくなり、すんなりと彼は店に到着した。

 彼のために作られた馬小屋に馬を預け、店へ入る。


「こんばんは」

「ラダ!アレシュ様だよ」

「ああ、大丈夫です。ゆっくりと」


 ラダが働いているところを邪魔しては悪いと、アレシュは店の奥のテーブルに腰かけた。この場所も彼のために大概開けられている特等席だ。この席で彼はビールを飲みながらラダの帰りを待つ。

 くるくると動き回る彼女を見ていると、可愛らしくて思わず抱きしめたくなるが、その気持ちを押さえて、彼はじっと待つ。


「ラダ。今日はもういいよ。あがりなさい」

「でも……」

「ほら。いいから」


 そんなやり取りがアレシュにも聞こえ、エプロンを外した彼の妻がやってきた。


「お待たせしました。帰りましょうか?」

「いいのか?」

「はい」


 彼女が頷き、彼はその腰に手を回すと店を出る。二人で馬に跨り、新居へ急いだ。

 精霊たちはこういう時は協力的で、家に戻ると温かいお湯が準備されていたり、居間の蝋燭が勝手に付いたりと、彼は彼女がいかに精霊たちに愛されているか知る。

 けれども、今日もきっと彼の願いは果たされないことに少しだけ残念な気持ちを持つ。

 実際、少しだけではないのだが。


「アレシュ様。おやすみなさい」


 可愛い妻がそう言うと、これまた勝手に蝋燭が消える。

 同じベッドで寝起きをすることにやっと慣れてきた妻だが、恥ずかしいらしく、ベッドの右端にちょこんと横になっていた。

 それを抱き寄せて、アレシュは腕の中に彼女を閉じ込める。


「おやすみ。ラダ」


 額に唇をくっつけると、それが合図かのようにラダの寝息を聞こえ始めた。


「……今日もか」


 精霊の仕業ではない。

 多分彼女は疲れているだけなのだ。

 アレシュはそう言い聞かせて、彼女のぬくもりを感じながら目を閉じる。

 すると、彼もいつの間にか眠りに落ちていた。


 二人の夜はいつもこんな感じで、新婚であるのに、健全な夜を過ごしていた。

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