今を生きる。(イオラとホンザの結婚前の話)

風によって半数の兵士が空を舞って地面に叩きつけられた。凍てつく者達、焼かれる者たち。

サイハリの兵士は人間業ではない力によって翻弄され、兵士たちは悲鳴を上げながら死んでいく。


「お前が、お前のせいで!」

「苦しい、痛い」

「助けてくれ」


 ある兵士は炎に包まれながらもゾルターンに近づく。手を差し伸べようとしたが、兵士は黒い炭と化し、その場に倒れた。


「私を殺してくれ。頼む」


 自身の命令で戦い、死んでいく者の叫びに耐えられなく、彼はいつの間にかそう願うようになっていた。


「ゾルターン殿下。どうか生きてください」


 一人の兵士がそう言って、彼の前に立つ。微動だにしない彼は炎に全身を焼かれたが、悲鳴をあげることはなかった。


「……ホンザ、さん」


 それは、ホンザの前世。

 彼は名前すら明かしてくれない。




「イオラ様。お早うございます」


 夢から覚めたイオラに、使用人が声をかけた。

 

「ああ、お早う」



 今日は休暇で、彼女は実家に戻って来ていた。

 久しぶりに見た夢に気分が良くないが、ホンザと会うことになっているので、それを想って気持ちを切り替える。

 

 スラヴィナの戴冠式を終え、イオラは久々に休みを取っていた。

 顔を洗い、着替えを済ませて、朝食をとってから、部屋で本を読みながらホンザが屋敷を訪れるのを待つ。

 夢の情景、前世の嫌な記憶。

 忘れることなどできはしないが、ホンザの笑顔を思い出すと気分が楽になった。


「イオラ様。ホンザさんがお越しです。応接間でお待ちいただいております」

「ありがとう」


 本を閉じて、イオラは自身の足取りが軽いことを少し恥ずかしく思いながらも、応接間へ向かった。


「イオラ様」


 扉を開け部屋にはいると、すぐにホンザが席を立った。



「ホンザさん。座ったままでいいのですよ」

「はい」


 所在なさげに頷いてから、彼は座り直した。イオラはその隣に腰かける。

 控えていた使用人の一人が咳ばらいをしたが、彼女は無視をした。

 ホンザとの交際をやっと両親に認められた。けれども賛成という形ではなく、無理やり認めさせたという経緯であり、使用人たちも屋敷の主人の手前大ぴらに二人を応援することはできなかった。

 以前と異なり、応接間を使うことができるようになったが、使用人の一人が絶対に部屋にいて二人の行動を逐一報告しているようだった。これに関しては交際を認める条件の一つであるので、イオラは何も言えなかった。


「今日はどこかに行きませんか?天気もいいですし……」

「そうっすね。そうしましょうか」


 イオラの提案にホンザが快く答え、使用人が用意した昼食を持って遠乗りに出かけることにした。


「イオラ様、そこは……」

「行ってみたいのです。記憶を取り戻してから訪れたことがないので」


 厩舎で行き先を伝えられ、ホンザは迷う。

 彼女が望んだ場所はサイハリ自治領区の丘だった。かつての激戦区だった場所。


「ずっと怖くていけなかった。けど、今日は多分行ける気がします。ホンザさん、お付き合いいただけますか?」

「勿論です。けれども気分が悪くなったらおっしゃってくださいね。イオラ様。今日は私の後ろに座ってください。自身で馬に乗るのはやめたほうがいいかもしれません」

「大丈夫です」

「それなら行くのはお断りします」

「……わかりました。ホンザの後ろに乗りましょう」

「それでは」


 ホンザは自身が先に馬にのり、その後にイオラの腰を掴み、持ち上げるようにして自身の後ろへ乗せた。

 彼の思ってもみない行動に、触れられた箇所が熱く思えて、イオラの頬は自然に上気する。


「すみません。その方が早いって思って」


 つられてホンザも頬を染めて、初々しい情景が厩舎で繰り広げられていた。

 屋敷の主人の手前、反対の立場をとっている使用人たちも心の中で応援しているので、そんな二人の様子を微笑ましく思っていた。

 



「こんな風になっているのですね」

「はい」


 二人はすっかり丘ではなく、森になりかけている周りを見渡していた。

 戦場の傷跡など残っていないくらい、草花、木が多く茂っていて、イオラは自身の記憶との違いに戸惑ってしまう。


「大丈夫ですか?」

「ええ」


 目を綴じれば、あの時に匂いまで蘇りそうなくらい、鮮明に覚えていた。


「私は本当に愚かなことをした。今更悔いてもしかたないこと。ならばいっそ」

「イオラ様、いえ、ゾルターン殿下。あなたは生きるべきです。恐らく、我々兵士は皆今もどこかで生まれ変わって新しい生を謳歌しているはずです。ただ記憶があるか、どうかの違いで。今の生を楽しんでください。イオラ様」

「ホンザさん……」

「腹が減りました。お昼頂いていいっすか?」

「はい。そうしましょう」


 二人は再び馬に乗り、丘から離れた場所で昼食をとることにした。

 小さな湖近くで、敷き物を敷いて、持ってきた籠からパン、チーズ、葡萄酒、葡萄と林檎を取り出す。


「静かですね」

「はい」


 週七日のうち、週末の二日間を休みとするのが国民の生活様式で、今日は週の初めということもあり、湖の近くには二人以外の人影はなかった。


 風がそよそよと凪ぎ、葉が重なり合って小さな音を立てる。遠くから鳥の声が聞こえるだけで、静かな空間がそこにはあった。


「ホンザさん。今までありがとう。あなたのおかげで、私は前世の記憶に呑みこまれないですんでいます。けれども、このままではよくないと思っています」

「イオラ様?」

「あなたが貴族になりたくないのは理解しています。窮屈な生活ですからね。貴族というものは……。もし、あなたが他に好きな方が、」

「そんな人、一生できません。俺は、このままあなたの傍にいたいっす。それでは駄目ですか?もし、あなたに好きな人が……」

「そんなことありえませんから」


 イオラは咄嗟に答えてしまって口を押えた。


「イオラ様。あなたは一人娘だ。もし結婚しなければ血を絶やしてしまうことになるでしょう。俺は、私は、あなたの傍にいて見守るだけで満足なのです。だから」

「ホンザさんは、私が誰かと結婚しても平気なのでしょうか?」

「そ、それは」


 彼は戸惑ったまま答えようとしなかった。

 イオラはずっと考えていた。

 彼の彼女への想いは、いわゆるゾルターンへの忠誠心ではないか。男女の恋愛とは異なるのではないかと。

 結婚を勧めることから、イオラはその思いを深めた。


「あなたは私が誰かと結婚してほしいようなのですが、私はその予定はありません。ですから、あなたも私のことは放っておいて、誰かと結婚して幸せな家庭を築いてください」

「イオラ様!」

「なぜ不服そうなのですか?あなたも勧めたでしょう?だから私も勧めます」

「イオラ様」


 怒ったような声で名を呼ばれたと思うと、イオラは両腕を引かれ、ホンザの腕の中に抱き寄せられていた。


「俺を煽らないでください。会う度に必死に堪えているのです。イオラ様。もし俺が貴族になれば、結婚してくださいますか?」

「嫌です」


 イオラは即答して、驚いたホンザは彼女を凝視する。


「私のために、あなたが嫌々ながら貴族になるなんて、そのようなこと、私は御免です。ホンザさん、私と結婚してくださいますか?今のあなたのままで」

「い、イオラ様?」


 逆に尋ねられ、ホンザの方が動揺していた。


「嫌ですか?」

「嫌なわけないじゃないですか!結婚。あなたが私の妻になるなんて、そんな嬉しいこと起きるわけがない」

「ホンザさん。陛下とケンネル様を信じましょう。お二人が結婚の法を作ってくれます。制定されれば、それをもって私は両親にあなたとの結婚を認めさせます」

「イオラ様……」

「ホンザさん。どうしてそんな情けない顔をするのです。あなたは本当にわからない人です」

「イオラ様。俺、自分が情けないっす。あなたに全部言わせてしまった。本当なら俺が言うべきことを」

「気にしないことです。あなたを待っていたら、いつになるかわからなかったですし」


 イオラは泣きそうな顔のホンザに笑いかける。


「これだけは言わせてください。イオラ様。私は、俺は、あなたを愛しています。生涯かけてあなたを守っていくことを誓います」

「ありがとうございます。私もあなたのことを愛しています」


 どちらかともなく、顔が近づいていき、唇が重なる。

 ほんの少し触れあうだけの口づけ。

 いつものホンザであれば謝っただろう。けれども今日は謝らず、彼女を再び抱きしめた。


 半年後、チェリンダ女王スラヴィナは結婚の自由の法を制定させる。公布、施行後、最初に結婚を申し出たのはイオラで、ホンザと共にスラヴィナが見守る中、婚姻を結んだ。

 結婚後、イオラとホンザは別に家を構え、彼女の両親は嘆いたが二人の孫に恵まれ、長男はピーラ家を継ぎ彼らを喜ばせた。弟はホンザのように庭師を目指し、デニスに可愛がられたという。


 


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