第36話 諦め

『ラダ。あいつが仕掛けてくるよ』


 昼食の繁盛時間を終え、父イルジーは夕食の仕込み、母ガリナは家族の昼食の準備をしていた。ラダがテーブルを拭いていると風の精霊の声がする。


『ラダのことは今後こそ守るから』

「……何もしないで。もういいの」

『ラダ!』


 生まれ変わって普通の人、娘として過ごそうと決めていた。けれども王太子(イオラ)に指摘され、ラダは過去の罪は消えないと思うようになっていた。あの戦争の情景が夢に出来て、眠れない日々もある。


「楽になりたい。もういいの。ただお父さんとお母さんに迷惑かけたくないから、あの人が来そうになったら、教えて」

『ラダ!』


 独り言に近いつぶやき、しかし風の精霊が拾えるくらいの声。ラダはそう言うと、風の精霊の呼びかけを無視して、両親が待っている厨房へ向かった。


「ラダ。どうしたんだい?顔色が悪いけど」

「うん。ちょっと疲れているみたい」


 最近よく眠れず、疲れていることは嘘ではないので、母ガリナの問いにラダは答える。


「それなら休みなさい。ラダ。お店は父さんと母さんに任せておけばいい」

「ありがとう。父さん。そうするね」


 彼女は布巾を洗って干すと、食卓に付いた。本当ならそのまま二階の部屋に上がりたかったのだが、何も食べないと心配すると思ったからだ。

  

「ラダ。自分一人で何か抱えているんじゃないかい?あの、アレシュ様のこととか」

「母さん!」

「大丈夫。なんでもないよ。ちょっと最近夢見が悪くて眠れないの。アレシュ様は……ごめんなさい」

「どうしてお前が謝るんだい。元から騎士様なんてうちの常連じゃなかったからね。ほら、アレシュ様が来なくなって喜んでいる客もいるし」


 母がそう言うと、父が頷きながら追随する。


「そうだ。そうだ。お前が気にすることはない。だいたいちょっと心配だったんだ。お前がどこか遠くにいってしまうんじゃないかってね」

「遠くに?私はどこにもいかないよ。ずっとお父さんとお母さんの傍にいたいもの」


 その気持ちは本当だった。

 ラダは両親と静かにお店をやっていきたかった。

 

(でも、きっとあの人はそれも許せないんだろうな)


「ラダ?」


 スプーンを手に取ったまま考え込んでしまった彼女に、父と母が心配そうに問いかける。


「なんでもないから。ちょっとお腹いっぱいになっちゃった。上に行って休むね。明日は頑張るから」

「ラダ。明日も休んでもいいんだよ。私たちはまだまだ若いからね」

「そうだぞ。心配することないから。ゆっくり休みなさい」

「ありがとう」


 優しい二人の声に泣きそうになりながら、ラダは席を立った。

 食器を片付けようとしたのだが、母が後でやるからと彼女に休むように伝え、そのまま二階にあがる。

 倒れる様にベッドに横になったラダに、少し経ってから風の精霊が声をかけた。


『あいつが来るよ』

「ありがとう。そこに連れて行ってくれる?どこか誰も見ていないところで降ろしてもらって、そこからあの人のところへ行く」

『……わかったよ』

『ワシが案内しよう。ラダ』


 風の精霊との会話に急に闇の精霊が割り込んできた。部屋の中が闇で満たされる。舌打ちみたいな声が聞こえ、風が闇を吹き飛ばそうとするように部屋の中に入ってきたが、それだけだった。


『風。すまんのう。ここはワシの出番じゃ』

「闇の精霊?どうしたの?」


 闇の精霊がこんな風に強引に出てくるのは珍しい。しかも真っ昼間だ。首を傾げる彼女に彼は言葉を続けた。


『ワシはラダに暇つぶしで、影移動をさせる。ワシの影のほうが人目につかないからな』

「闇の精霊……」

『さあ、ワシの手を取るのじゃ』


 部屋に広がった闇は小さくなり、ラダの影に吸い込まれるように消えていく。影の一部が伸びて手の形になって、彼女を誘う。


「ありがとう」


 ベッドから立ち上がり、ラダはその黒い手を取った。




「兄上!」


 アレシュが厩舎に行くとケンネルの姿を目にした。

 まだ馬上にいて、彼を見るとその青い瞳を細める。


「アレシュ……。君がここにいるってことはイオラが動いたのか?」

「はい。午後から休みを取っています」

「それじゃ、一緒に行こうか」

「兄上?」

「戻ってきたばかりで本当ならもう行きたくないけどね。過去にばかり囚われるゾルターンとも話さないと。あと、ヤルミル……ラダちゃんも」

「ラダがどうかしたんですか?」

「まず馬に乗りなさい。そこで説明する。ここで話す内容でもないし」


 ケンネルは苦笑しつつ、呆然とやり取りを見つめている厩舎係の使用人に目をやった。


「すまないな。ちょっと借りていく。先ほど俺たちが話していたことは他言しないようにな」

「は、はい!」


アレシュが馬に乗りながらそう声かけると、使用人は敬礼して返事をする。


「まあ、後は父上がどうにかやってくれるだろう」

「父上?」

「色々面倒なことは父上に任せているんだよ。イオラのことがあって、私も過去(マクシム)のことを秘密にしているわけにもいかなくなったしね」

「父上は知っているのですか?」

「ああ。ちょっと驚いただけで面白くなかったけどね。父上曰く、前世(むかし)は昔だってさ。まあ、そういう風に思ってくれると助かるけど」

「そうですよね」


 兄の言葉を聞きながら、アレシュは少しだけ父に同情してしまった。

 父は騎士の中の騎士と言われるマクシム・ベルカを尊敬していて、何かと話題にすることが多かった。現在の彼は硬派と呼ばれたマクシムと異なり、物腰が柔らかく人によればふざけた態度ともいわれるほどだ。前世とは全く異なっていた。

 それはアレシュも同じなのだが。


(本当は相当驚いただろうな)


「アレシュ。何をぼやっとしてる。飛ばすぞ。街に降りてから説明する」

「はい!」


 こうして兄と馬を駆ったことはなかった気がする。

 アレシュは騎士としてやってきた自身よりも馬をよく乗りこなしているケンネルの背中を見ながら、やはり彼はマクシムの生まれ変わりだと再確認することになった。

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