第32話 拒絶
「ラダ、大丈夫か?」
「アレシュ様、なんでここに」
ヤルミルの記憶が、思いが押し寄せてきて、ラダは呆然としていた。そこに突然アレシュに話しかけられ、取り乱しそうになる。
アレシュの紫色の瞳は、ウルシュアと同じで、今もヤルミル(ラダ)の心を搔き乱した。
――「約束は守ってくださいね。守らなければ、私はきっと話してしまいます。あなたの罪を」
先ほどのイオラの最後の言葉が彼女を突き動かす。
(ちょうどいい。店よりもこうして二人のほうが。お父さんもお母さんにも変な心配させないだろうし)
「アレシュ様。お願いがあります。今後お店に来ないでいただけますか?」
「それは、あの焦げ茶色の髪の女性とホンザに関係することか?」
(……アレシュ様は知ってる?でも彼女の正体は知らないのだろう。だからこんな風に冷静でいられる。私はこんなに辛いのに)
そう思うと腹が立って、ラダは感情をそのまま吐露した。
「はい。そうです。あなたのために、私は今の幸せを失いそうになりました。確かにヤルミルは多くの人を殺した。罪深きことをしました。けれども、私は、今の私は幸せになりたいのです。何も望まない。ただ街の普通の娘として生きていきたい。それだけなんです!」
「ラダ。どうしたんだ?ヤルミルの罪?いったい何を言われたんだ?」
「彼女は、彼女は隣国の王太子の生まれ変わりなのです。私が、僕がこの手で殺した隣国の王太子。今の王女様は隣国の血を持つ方とか。その方があなたを夫にと望んでいると聞きました。私が邪魔だと。私は何もしていないのに!」
目の前のアレシュが困惑しているのがわかった。
けれどもラダは言葉を続ける。
「お願いします。店にはもう来ないでください。私の幸せを奪わないで。お願いします」
彼女は泣きながら頭を下げた。
「ラダ……」
呻く様に名を呼ばれるのが分かったが、彼女は首を垂れたまま、彼が去るのを待つ。
『王女様は帰ったよ』
風の精霊が教えてくれて、ラダはやっと体を起こす。床には自身が流した涙によって染みができていた。
『よかったの?』
「うん。これでいいの。王女様とか騎士様とか、今の私には関係ないもん。私は街の娘。もう関わりたくないから」
『ラダがそう言うならいいや。あいつだって、自分から言い出したんだ。ラダが約束を守ればボクたちのことも話さないだろう。話したら、やっつけてやる!』
「風の精霊……。お願い。何もしないで。大丈夫。約束だもの。破るはずない」
『そうだったらいいけどね』
風の精霊はそう言って消えてしまい、ラダに嫌な気持ちが残る。
「大丈夫。大丈夫」
イオラの琥珀色の瞳を思い出すと寒気を覚えたが、彼女は暗示をかける様にそう繰り返した。
☆
「なんだ?しけた面してんなあ」
「すみません」
城に戻りまずはバジナ小隊長へ報告する。
彼の顔を見るなりに嫌そうな顔をされ、アレシュは反射的に謝った。
「腕のほうは大丈夫なのか?なんならそのまま帰ってもいいぞ」
「大丈夫です。殿下の護衛に戻ります」
「そうか、無理するなよ」
敬礼をして小隊長の元から、彼はスラヴィナの部屋へ急ぐ。
(隣国……サイハリの王太子ゾルターンの生まれ変わり。あれはスラヴィナ殿下の侍女だ)
城に戻りながら、彼はあの焦げ茶の髪に大きな眼鏡、琥珀色の瞳の女性について考えた。そうして思い至ったのだ。
(……まさかスラヴィナ殿下がそんなことを考えているなんて)
好意は抱かれているとは思っていたが、そういう意味だと気が付かなかった自身をアレシュは殴りたくなる。
(俺のせいで、彼女を傷つけた……。前世(まえ)と一緒だ)
ラダに泣きながら店に来ないでくれと請われ、アレシュは何も言えなかった。泣いている彼女をどうにか慰めたいという気持ちを抑え、店から出て行くのが精いっぱいだった。
(ヤルミル……。ラダ……)
王太子ゾルターンにウルシュアは直接会ったことはなかった。
戦争に関しても、彼女は常に城にいて、戦場に立ったことがない。
どれほど悲惨なのか、戻ってくる兵士達の様子から想像することしかできなかった。
アレシュとして生まれ変わり、記憶を取り戻してから自身も騎士として人を傷つけることがあって、それで初めてヤルミルの痛みを理解できた気がしていた。
(ウルシュア。愚かな女性だった。そんな風に生きたくなくて、俺は騎士になった。それなのに……)
ウルシュアとしての後悔、アレシュとしての怒りが混じり合い、彼は感情的になっていた。
「よかった。間に合った」
珍しく息を切らせて、駆けてきたケンネルが彼の肩を掴んだ。
「どうして、兄上」
「バジナには話して了解を取っている。話がある。来なさい」
「なぜ、」
「ラダちゃんに何かあったんだろう。ついて来なさい」
(兄上は、知ってるのか?)
背を向けて歩き出すケンネル。
アレシュは色々な思いを抱えながらも、素直に彼に従った。
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