第26話 影

「アレシュ坊ちゃま」


 昨日は暗い顔で、今日はズダボロになって戻ってきた彼に、デニスは庭仕事の手を休めて駆け寄ってきた。


「大丈夫だ。まあ、自業自得だからな」


 アレシュが答えるとデニスは納得していない様子だが庭仕事に戻る。

 その後ろ姿を見送ってから、彼は今日の自身の態度について考えた。


(本当に浮かれてどうすんだ。問題は解決していない。ラダはウルシュアの話を聞きたくない。誤解されたままだ。彼女はウルシュアのことを思い出したくないかもしれない。だからきっと聞きたくないんだ。だったら、彼女のためにはもう話さないほうがいいかもしれない)


 そんな仮定を立ててみて、アレシュは気持ちがまた沈む。


(……それでも俺はラダに会いたい)


「アレシュ。うわあ、酷くやられたね」


 帰りはいつも遅いはずのケンネルは先に屋敷に戻っていて、自室に戻りかけのアレシュを呼び止めた。


「兄上。バジナ小隊長が怒ってましたよ」

「あ?そうかい。まずいなあ。ちょっと暫くは会うのはやめようかな」

「兄上。今回のこと、俺をラダに会わせるためだったとはいえ、バジナ小隊長を巻き込んでしまって」

「だって、そうしないと君はラダに会わなかっただろう。ちなみに今日はどうだったんだい。話せたか?」

「ええ、まあ」

「その調子じゃ、なにかよくないみたいだな。あと二日あるんだし。頑張って」

「……はい。ありがとうございます」


 色々言いたいこともあるが今日のことなど相談したら何を言われるかわからないと、

とりあえずアレシュは頷いた。



 「お休みなさい」


 お昼の部が終わり、夜の部、片づけをしていたら、欠伸をするようになってしまったラダに両親が早めに休むように伝えた。風の精霊に二回も精気を与え、その上に空を飛んだりしたので、彼女は両親の言葉に甘えて湯あみをして二階に早めに上がる。


(もう、精霊にお願いなんてしない。だってこんなに疲れるもの)


 そんなラダの状況をたまには理解してくれてるのか、いつもは賑やかに話しかけてくる精霊たちも声を潜めている。なので、彼女は安心してベッドに横になったのだが、部屋が急に冷え込んで、体を起こした。


『ラダ。すまんのう』

「闇の精霊!」


 久々に聞いた彼の声にラダの疲れがすこしだけ吹き飛ぶ。


『疲れておるんだろう?』

「うん。疲れてるけど、闇の精霊と話すのは大丈夫だよ」


 わずか数日のはずなのに、毎晩のように話していたせいか、何か月も話していない気持ちで、ラダは答える。


『光から聞いたと思うが、すまないのう』

「なにも。闇の精霊は悪くないもん。まあ、会ってみたかったのも本当だし」

『それでどうじゃ。今度は?』

「今度はって?変わんないよ。前と同じ。別の世界の人だから。でもヤルミルと同じ過ちは犯さないよ」

『それはできるのか?』

「大丈夫。うん。多分」

『多分というところが怪しいのう。まあ、今回は大丈夫じゃろう』

「大丈夫?」

『まあ、人の心のことは人に任せるのが一番じゃ』

「闇の精霊?」

『光の判断は正しかったかもしれんな。ワシが心配しすぎたようだ』


 闇の精霊はラダの問いに答えることなく、自身で納得するように言葉を紡ぐ。


『ラダ。何かあればいつでもワシを呼べ。だが、忘れるのではないぞ。ヤルミルのことは過去じゃ。引きずられるのではないぞ』

「わかってるよ」

 

(風の精霊と同じこと言ってる。わかってるよ。私は同じ過ちは犯さないから)


彼らの意図はそれぞれ違うのだが、ラダにはヤルミルのように報われない恋をしないように、と助言されているようにしか思えなかった。


『ゆっくり休め。ラダ』

「うん。そうするよ。おやすみ」


 彼女が欠伸を噛み殺しながら答えると、部屋の温度が元に戻る。ねっとり濃い漆黒の闇が去り、周りの物がぼんやり見え始めた。

 ベッドに横になるとすぐに眠気はやってきて、ラダは体の欲求に従いそのまま眠りに落ちた。



 ホンザがスラヴィナの侍女イオラに会うのは数日に一度だ。彼女が実家に戻る日にこっそり彼が訪ねる。

 イオラの母はサイハリ自治領の貴族であり、嫁いだ先もチェリンダの貴族だ。

 以前は裕福な商人の子であったがホンザだが、今は一介の使用人に過ぎない。なので、普通に会うことは困難であり、イオラの実家の使用人が間に入り、こっそり面談を設定してもらっている。

 それでもホンザは彼女を会うのが楽しみで、だからこそ間者のような真似事もしたのだ。


「イオラ様?」


 屋敷の小さな部屋で待っているといつものようにイオラが現れる。けれども彼は違和感を覚える。


「眼鏡はどうしたんすか?」

「急に見える様になったのです。


 ホンザの問いに彼女は笑って答えた。

 その微笑みもいつもと異なっていて、彼は食い入るようイオラを見つめる。


「ホンザさん。早速ですがアレシュ様の動向を聞かせてください。できればケンネル様のも」

「ケンネル様も、すか?」


 スラヴィナが欲した情報はアレシュだけだったはずだ。こうして初めてケンネルのことを聞かれ彼は問い返す。


「そうです。殿下はベルカ家の動向を知りたいようなのです。教えてもらえますか?」


 物言いは同じ。

 けれどもイオラとは全く雰囲気が異なった。


「……ホンザさん。あなたは私のこと好いてくれてますよね?だったら色々協力していただけますか?」

「イオラ様……?」


 薄く笑う彼女。

 それでもホンザの彼女への気持ちは変わらなかった。

 なので、彼女の願いに彼は素直に頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る