第23話 馬鹿な想い

『じゃあ、いただくね~』


 城に向った時の不機嫌が嘘のように風の精霊は楽しげだった。ラダの口元をさらりと風が触れ、少しだけ眩暈がする。


『ふふふ。またのご利用をどうぞ』

「もうしないよ。多分」

『それだったらいいけどね。じゃあ』


 いつものように風の精霊は笑い、大きな風が吹いて庭の草花を揺らすと、声はもう聞こえなくなった。

 アレシュによってもたらされた怒りはまだ燻っており、ラダは唇をきゅっと絞ったまま、裏庭から裏口へ歩く。


「お母さん?」

 

 さっと、裏庭側の窓に母の影が映った気がしたが、気のせいのようで扉を開けて出てくることはなかった。


(そんな偶然、何度もないよね)


 これまで、彼女は風の精霊、闇の精霊に家まで送ってもらっているが、裏庭に着くと母がちょうどよく裏口から出てくる事が多い。


(もしかしてお母さんは知ってる?)


 そうは思って見たが確かめる勇気もなく、裏口から厨房へ入ると何事もなかったように二人に帰宅を伝えた。


「お帰り、ラダ」

「どうだったんだい?」


 父と母が興味深そうに聞いてくる。

 ラダは紙を二人に見せて、胸を張った。


「ちゃんと好みを聞いてきたから」


 気持ちはもやもやしていたが、彼は大切なお客さんだ。気持ちを入れ替えないと彼女は笑顔を作る。


「そうか。ありがとう」

「よくやったね!」


 二人が喜んでくれて、ラダの怒りは少しだけ治まった。



「随分時間がかかったな」


 アレシュが模擬戦の行われている場所に戻ると、すでに皆が試合を終え休んでいるところだった。

 ラダに逃げられた後、彼は城に戻り、王直属部隊の宿舎の自身の荷物棚から予備の制服に着替えた。慌てて戻ったのだが、間に合わなかったようだ。


「まあ、運が悪かったな。しかたない」

「バジナ小隊長、それ冗談ですか?」

「寒い!」


バジナがそう言うと次々に隊員から声がかかって、怒鳴りちらす。


「うるせい!アレシュ。ほら、早く昼飯もらってこい。正午すぎるぞ!」

「そんな時間ですか?」


 空を見上げると太陽が真上近くの位置にあって、アレシュは眩しさに目をやられてしばらく目を閉じてしまった。


「アレシュ……」

「なんですか?」

「まあ、ゆっくり行ってこい。文句いう奴がいたら俺がしばくから」

「バジナ小隊長、それエコ贔屓です!」

「アレシュ、可愛い子と話過ぎて俺たちのお昼を忘れるなよ」

「すぐ戻ってきますから!」


 からかわれるのは堪らないと、アレシュは敬礼をすると厩舎に急いだ。


(きっと怒ってるだろうから。話する暇なんてないんだろうな。誤解なのに。ああ、なんで笑ったんだ。俺。怒りを通り越して軽蔑されたかもしれないな)


 どんよりと暗い影を背負いながら彼はひたすら厩舎を目指す。


(願わくば今日は精霊たちが邪魔をしませんように)



『オレッチが懲らしめやるから』

『やりすぎたら、オイラが止めるから安心ダヨ。ラダ!』


 注文通り、八人分のソーセージ、豚肉、鶏肉とパンを袋に詰めていれていると、精霊たちの危険な会話がラダの耳に入った。


「だめ。今日は何もしたらだめだからね」

 

 誰にも聞かれないように、極力彼女は小声で注意する。

 精霊たちは耳がいいので、残念そうに舌打ちをした。


『なんでだよ。あいつ、ラダを怒らせたんだぞ』

『王女様の時も、イラっとしたことがあったけどそれ以上ダネ。コンドハ』


 イラっとした時などあったのか、と少し驚きながらもラダは火と水の精霊を必死に宥める。


『しょうがないな。今回だけは許してやる』

『そうダネ。今回ダケ』


 二つの精霊は仕方ないとばかり答え、彼女は一安心した。


(頭にきたけど、怪我をさせてるのは申し訳ないし。大事なお客さんなんだから。あと二日はちゃんと買ってもらいたい)


 あの時は頭に血が昇ってしまったが、今は落ち着いており、彼女は給仕をしながら、ふと考える。


(……王女様の気持ち……。怖くて考えたことなかったよね。マクシムと一緒にいるところをいると胸が痛くなって、すぐに離れてしまった。二人でいるときは話に夢中になっていたし。ヤルミルって、本当……)


 ――ヤルミルは馬鹿だった


 そんな風の精霊の言葉を思い出し、ラダは息を吐く。


(確かに。彼はとても馬鹿な思いを抱いた。風の精霊はそう言う意味で言ったわけじゃないだろうけど。私からすると……私は同じ過ちを犯さない。王女様は別の世界の人。そして今のあの人も)


「いらっしゃい!今日はちょうどいい時間だね」


 母の威勢のいい声が聞こえ、ラダは振り向く。

 そこにはアレシュがいて、眉を寄せ申し訳なさそうな顔をしていた。

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