第22話 森の中の二人
「まだあったんだ」
『しぶといよね』
森の一画に降り立って、ラダは小さな塔を見上げる。
高さは森に隠れるくらいで、蔦が全体に絡んでいて、所々石が剥がれ落ちており、入り口から覗く階段も怪しげだ。
入り口から入ってすぐに階段がある。というか、階段しかない小さな作りだ。螺旋階段を上った先、天辺は少し広がりがあり、座れる場所があった。
ウルシュアに請われ、ヤルミルはここで二人で話すことが多かった。
精霊の力を借りることができ、戦の助けとなっていたヤルミル。けれどもその外見は白髪に銀色の瞳で、畏怖を頂かせるには十分で、王女の安全を考える人々により城内で二人きりで話す機会はなかなかなかった。
『上はだめだよ。もう』
「そう。残念だな」
上にのぼりたいと思っていたラダに風の精霊が答える。
『ラダ。ヤルミルは馬鹿だった』
「は?」
『ラダはヤルミルだけどヤルミルじゃないから。引きずられないでね』
「うん。わかってるよ」
『とりあえず、君のお願いをきいた報酬はいただいていくよ』
風の精霊は少年の姿をとって、優しく彼女の頬を撫でる。少しだけ眩暈がしたが、それだけだ。
『じゃあ、ボクは一旦いなくなるから。何かあったらすぐに呼んでね』
透明な少年は笑い声を立てながら、溶ける様に宙へ消える。
「風の精霊!」
こんな場所に置いていかれたら、どうしたらいいのかとラダは叫ぶ。
「……ラダ?」
しかしその叫びに答えたのは、風の精霊ではなく、アレシュだった。
「どうしてここに?」
黒髪に紫色の瞳の彼は、最初は驚いた顔をしていたが、嬉しそうに笑った。
「呼ばれたみたいだ。あの黄色い鳥に」
「黄色い鳥?」
「……覚えてないか?あの鳥、同じ鳥じゃないはずなのに、同じ事しやがった」
彼が懐かしそうに目を細め、ラダの背後を見る。つられて振り向いてから彼女はその鳥を発見した。けれども鳥はすぐに飛び立って空に消える。
「カカ」
それは、ヤルミルが小さい時に彼の小屋近くに住んでいた鳥だった。数年したらどこかにいってしまった黄色い鳥。
カカのはずはないのに、そう思えてしまう。
「カカ。そう言えばそういう名前だったな。随分嫌われていた」
そう語るアレシュに、まだ少女だったウルシュアの姿が重なる。カカはなぜか彼女に悪戯をすることが多かった。一番多かった悪戯は糞落しだ。
「まさか……?」
「やられたよ。でもそのおかげでここに来ることできた」
アレシュは苦笑しながら、ゆっくりと歩いてくる。
いつの間にかウルシュアの影がなくなり、アレシュその人の姿だけがそこにあった。
とても美しい騎士アレシュ。
前世と同じで、まるで違う世界の人のように思えて、ラダは胸の痛みを覚えた。
(……何を考えているの?そうだ、用事を済まさなきゃ)
「あの、アレシュ様。お昼のことでお聞きしたいことがあるのです」
何事もなかったようにそう切り出した彼女に、彼は目を丸くした。
「えっと、もしかしてそのためにここに来たのか?」
「そうです。ただ、ちょっと懐かしくて……」
「懐かしい。そうだな。俺もあの鳥に呼ばれるまでは、ここに足を踏み入れようと思わなかった」
アレシュは塔を見上げ、小さく微笑む。それはウルシュアがよく困った時にする笑みに似ていて、ラダの胸はまた痛んだ。
(ヤルミルの気持ちはわかるけど。やっぱり辛い。この人と会うのは……)
今朝の晴れやかな気持ちはいつのまにか沈みがちで、ラダはさっさと用事を済ませてこの場を去りたい思いでいっぱいになった。
「あの、紙に書いてきたので、ちょっと見てもらってもいいですか?」
「ああ」
戸惑いながらも彼は応じてくれて、ラダは父の書いてくれた料理の一覧を見せる。
「好き嫌いはないからなあ。先輩たち。とりあえず好きそうなものを選んでみるか。ソーセージ美味しそうだな。じゃあ、これと、これと……覚えきれるか?」
「はい。任せてください」
ラダは十二歳の頃からお店に出て、注文などを聞いている。だから、料理名を覚えるのは得意だった。
「それでは、香草入りソーセージ二つ、黒胡椒のソーセージが二つ、豚の塩焼き二つ、鶏の黒胡椒焼きが二つでよろしいですか?」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、私はこれで」
逃げる様にその場からいなくなろうとしたラダの腕をアレシュが掴む。
「痛いです」
「すまない。昨日も同じことしたな」
「だったら離してください」
「いやだ。俺はもっと話がしたい」
「話って、ヤルミルのことですか?」
「……嫌なのか」
「はい」
逃げない、気持ちに向かい合うと決めていたが、ラダは胸の痛みに耐えきれず即答してしまった。
「ウルシュアの気持ちをヤルミルは知っていたのか?」
けれどもアレシュはそんな彼女に構わず言葉を続けた。
「王女様の気持ち?マクシムへの愛情とか?」
怒鳴るように返してしまったラダだが、彼は笑い出してしまう。
「な、なんなんですか!いったい!」
「すまない。ちょっと事情があって……」
「私は真剣です。王女様は……僕の気持ちなんて笑い飛ばすようなものだったのですか?」
突然笑われ、彼女は動揺してヤルミルとの境がつかなくなっていた。
「そんなことはない。すまなかった。俺の言いたかったことは……」
「もういいです!風の精霊!家に戻して!」
怒りのまま、ラダは宙に向かって叫ぶ。
『はあ、やっぱりこうなる?』
風の精霊がそう言ったが、彼女は完全に無視をした。
「正午までには用意しておきますので」
風に乗って飛ぶなんて、普通の人に見せるわけにはいかない。けれどもウルシュアであった時には何度も目の前で披露しており、ラダはアレシュに見られても構わなかった。
というか、笑われた事で感情が高ぶって判断ができなくなっていた。
「ラダ!すまない。だから!」
『ラダ。話、聞いてあげたら?』
「知らない。父さんに伝えないといけないから急いで」
『はーい』
すこし楽しそうに返事をされ、ただでさえ怒っているラダは眉をひそめる。
風の精霊は軽快に笑いながら、忠実に彼女の願いを実行した。
「……失敗した。だが、兄上とマクシムが被ってしまって」
ごく一部の者しかしならないが、ウルシュアとマクシムの結婚は白い結婚だ。文字通り、二人に男女の関係はなかった。夫婦であったが、そのような行為は一切なかったのだ。跡継ぎはマクシムの弟の子を養子として迎えている。
ウルシュアはマクシムを尊敬していたが、それだけであり、男女の愛情とは無縁だった。
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