あ、ママ、これは違うんです。

作詞家 渡邊亜希子

あ、ママ、これは違うんです。【1話完結】

おかしな留学生活~「あ、ママ、これは違うんです」編~



私は17歳、高校2年生の時に1年間、アメリカのノースダコタ州という、ど田舎に留学をした。

私を受け入れてくれたホストファミリーは、自宅と併設したモーテル(旅人がバイクや車を部屋の前に停めておけるようになっている、手軽な宿泊施設)を経営している一家だった。

小5の妹、私と同じ年の男の子、再婚同士のパパとママ。あと結婚して家を出ている長男がどこか遠い所に住んでいたので、実質4人家族の中に私は迎え入れられた。


最初の数週間こそ皆優しかったが、私の存在に慣れてくると当然家族はそれぞれに人間味を出してくるのだけれど、今回はその中から小5の妹とのエピソードを書こうと思う。



留学して1か月が過ぎた頃から、妹の態度は段々と変わって来た。

私に言葉が通じなくてイライラするのと、何より初日からもう既に、ママとパパが私に優しく接するのが気に入らなかったらしい。

日本では英語も赤点しか取った事がなかった私が拙い英語で話し出すと、2秒ほどでアメリカ人らしく両手を肩のあたりで広げて「ハァン?」と言葉が通じなくても理解出来る、「何言ってんだか分かんないんだけど?」というような仕草をして去っていくようになった。

更には私のお財布を隠したり、勝手に私の部屋に忍び込み目覚ましの時計の針を狂わせて大切な日に寝坊させられたり。

しかし彼女からしてみれば実際、見た事もない言葉の通じないどう見たって真っ赤な他人のアジア人をある日突然「今日からうちの家族よ!」と言う設定でやって来たのである。

家族で話し合って留学生を迎え入れる事になったとは言え彼女はまだ小学生。

苛立ちが募るのも分からなくはない。

まだ信頼関係も構築出来ていないし、何より異文化で生活をするのに精一杯だった私は寂しく思いながらも彼女との日々をやり過ごしていた。


そんなある日、学校から帰って来るとママとパパは買い物に行っており、妹と妹のお友達が家にいた。私はさほど気にせず、軽く挨拶をしてそのまま与えられている自室へ行きベッドの上で宿題をやっていると、コンコンとドアをノックする音がした。

「どうぞ」

私がノックに応えると、ひょこっと妹がドアから顔を出して、続いて妹のお友達の女の子がひょこっと顔を出した。

妹が自ら私の部屋を訪ねて来てくれるなんて珍しいなぁと喜びつつ「どうしたの?」と聞くと妹が顔だけ見せたまま「部屋に入ってもいい?」と聞いて来たので、「もちろん」と答えて宿題のノートをパタンと閉じた。


妹は何かを隠し持っているのか、両手を後ろに回したまま何やらお友達と目くばせをして楽しそうにクスクスと笑いながら部屋に入って来て、ベッドに腰掛けている私の目の前まで来た。

なんだろう?と思ったその瞬間、妹が背中に隠していたらしい、なみなみと水の入ったコップを、突然私の頭の上でひっくり返した。


ポタポタポタと前髪から滴り落ちる水滴。

妹とお友達の「キャキャキャキャ!」と楽しそうな笑い声。


水を掛けられたまま私は固まっていた。

状況が良く分からなかった。


咄嗟に、何これ?どういうこと?と聞く英語力もない。呆然とただしばらく、ポタポタと滴り落ちる水滴を眺めた。


そうしてきっと時間にすれば数秒。

眺めているうちに、段々と私の頭で、ひとつだけはっきりとした思考が生まれた。


「今、ここでこれを許してはならない」


私がアジア人だろうが英語が話せなかろうが、こんな事をされる理由はない。

頭の中ではっきりとその答えが出るや否や私は髪も濡れたままに無言でベッドから立ち上がり、金色で長い妹の髪の毛を引っ掴んだ。

ストップ!ストップ!と叫ぶ声お友達の声も無視して妹の髪を掴んだまま部屋を出て、そのまま台所へ行きシンクへ妹の頭を突っ込み、水道の蛇口をひねって妹の頭に水をかけた。


水をかけ続ける私に「あんた、なにやってるか分かってんの?!」とか「バカじゃない?!」とか妹は蛇口の水を頭から被りながら最初はそのような事を言っていたがついに

「ソーリー、アイムソーリー!」

私にも分かる言葉で謝罪をしたので、私は彼女に怒っていることを伝えられたと思い水を止めた。


これまでの悪戯は、彼女なりに私とコミュニケーションを図ろうとしてくれているんだと自分に言い聞かせ、一度も怒っては来なかった。

しかし悪戯と、人間の尊厳を侵すような嫌がらせとの線引きを一度はっきりとさせなければならない。人種の違いや言葉の壁は、人を蔑む理由にはならない。私からすればアメリカ人のほとんどが日本語に不自由なのだ。

仲良くするしないは個人の自由なので、妹が私と仲良くしなくてもそれは構わないが、当然相手が私でなくとも、相手を侮辱する為だけにその人に近付く事など人生のどのシチュエーションにおいても、ないに越した事はない。

妹自身の為にもである。

そしてそれが伝わったのなら、反省してくれるのならそれでいいのだ。

私が蛇口の水を止めて彼女の髪から手を放そうとしたその時、ふと視線を感じて顔を上げた。


すると、台所が良く見える玄関の扉を開きかけたまま呆然とこちらを見ながら立ち尽くすママと目が合った。

ご帰宅である。このタイミングで。


どう見ても、どの角度から見てもこの絵面は、私が一方的に妹の髪の毛を引っ掴んで台所のシンクで彼女の頭に水をぶっかけている。


「あ、ママ、これは違うんです」


という英語力を持ち合わせていたかったが、残念ながらなかった。

妹はママに気付くと、わざとらしく「わぁっ」と泣きマネをしながらママの背中に回り、ママの視界から外れた所で漫画の様にふざけた顔を私に見せた。


「あ、ママ、今あなたの娘さんがあなたの後ろでふざけた顔してます」

そんな事を言う英語力ももちろんなかった。


「ア、ア、アキーコ!!!

ファット アーユー ドゥーイン!!!」


ママの怒号が響き渡り、その後私はママから課されたペナルティの洗い物や洗濯物などの家事に励む事になるが、私の壊滅的な英語力を知らない妹のお友達が自分の親にまで真実が届くのを恐れ、自らママに本当の事を話してくれたらしくなんとか事態は収束した。

「言わなくていいのに。アキコはどうせ説明出来ないのに」と、妹はさぞ口惜しく思った事だろう。


印象的な出来事ではあったけれど、これは私のおかしな留学生活の全てを思い返せばなんとも可愛らしい、金平糖のような思い出である。

おかしな、だけに。ね。

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あ、ママ、これは違うんです。 作詞家 渡邊亜希子 @akikowatanabe

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