第17話 好ましくない

「そこにでも座って」

「うん……」

 クラスメイトの美少女――橋苗栞が俺の部屋のデスクチェアに腰掛けた。

 二人きり。

 家族はまだ帰って来ていない。

 俺は対面になるようベッドに座り、制服の上着を脱いでシャツの胸元を緩めた。

 会話はない。

 衣擦れの音が微かに聞こえる程度。

 目的がはっきりしているだけに、取り繕うのは不要だと思った。

 だとしても、男の部屋に女が招かれたのだ。

 性に多感な年頃ともなれば、あらぬ想像をするものだ。

 橋苗さんは緊張に身を縮こませていた。

 俯き加減の顔は薄らと赤く色付く。

 男と女が向かい合い、言葉が交わされることなく、時間だけが経っていく。

 自分の部屋だというのに安心感はない。

 そして期待も、色気もなかった。

 異物――と表現するのは失礼だが、橋苗さんを招き入れたこの空間は、いつもと何処か違っていた。

 嵐の前の静けさが漂う。

 橋苗栞と『さながら誘』だけがこの空間に求められていた。

 橋苗さんは、誘との対面のみを心待ちにしている。

 部屋の主だというのに、異物は俺自身であるという事実に、妙な疎外感を覚える。

「あのさ……聞いてもいい……?」

 どれだけ無言のままでいたのだろう。

 沈黙を先に破ったのは橋苗さんだった。

「お姉様と、王子様は別人なの?」

 人格的に多重であるかどうか。

 なかなかセンシティブな質問だ。

「多重を気取る気はないけど、もはや別人だね」

 俺は大した興味も示さず答えた。

「性格はまるで違うんだろうとは思うけど、気持ちも別ってこと?」

 どうだろう。

 一致することの方が多いだろう。

 根っこは一人の人間なのだから。

 それでも。

「性差による視点ていうのかな、そこだけは明確に異なるかもしれない」

 具体的に何処がと問われれば答えに窮するが、誘は初心で、恥ずかしがり屋な所がある。

 それは自信のなさに起因している。

 自身が女性であることが常に不安なのだ。

 人格の確立の土壌――その基礎に俺という不純物が混じり、脆く崩れやすい。

 それ故に、女性はこういうものであろうという歪んだ観念が、時に本物の女性より女性らしく見せようとする。

 思考の根底が女であり過ぎるのだ。

 相良悠とは別物である存在――それが『さながら誘』なのである。

「じゃあ例えば、お姉様と王子様は、私のことが好き、です……か?」

 例えばと言うが。

 それはもう本題じゃないのか?

 消え入るよう声で顔を赤くする橋苗さん。

 どう扱ったものだろうか。

「誘の想いは、実際になってみないと分からないかな。橋苗さんを意識する機会は今までなかったし」

「そっか……。配信をメインでやってきたんだもんね。私という存在を意識する状況になかった、ということね」

「あぁ、あの子は目の前のことで必死だったからな」

 不思議な気持ちだ。

 自分のことなのに、『さながら誘』は俺の中で、妹のような感覚だった。

 何処か他人事で、それでいて、優しく見守ってやりたくなる。

 もどかしい。

 全力で手を貸してやりたいというのに、既に彼女は、俺の手を離れている。

 『さながら誘』になってみないと、彼女が何を考えているのか本当に分からなくなっているのだ。

「じゃあ王子様は……?」

 これまた答えるのが難しい。

 橋苗さんが興味があるのは俺ではなく、『さながら誘』だ。

 放課後の教室にて、代用品としても役立たずだった俺は、淡い期待さえ抱きようがなかった。

 今日のあの出来事がなければ答えも変わっていただろうし、今現在、橋苗さんに素っ気なく対応することもなかっただろう。

 橋苗さんの俺への評価は、いつか登校中に話した、有象無象の一人に過ぎないのだ。

 同じく誘を愛する母――岩島さんと比較してもそれは顕著だ。

 彼女は少なくとも、男である俺にも好意を示してくれる。

 たがら俺も、岩島さんに少なからず好意を抱いている。

 なので正直、俺のことが眼中にない橋苗さんに、好意を抱くことが出来ないでいるのだ。

「橋苗さんのことは魅力的な女性だと思うよ。でも、それだけだ」

「……あ、そう……なんだ」

 がっかりされても困る。

 そうさせたのは他でもない。

 橋苗さん本人なのだから。

 誘以外を受け付けない。

 それがはっきりと分かった今、俺に何を求めるというのだ。

 ただの器である俺にまで好かれようなんて虫が良すぎる話だ。

 俺と誘の繋がりを軽視する橋苗さんを、俺は好きになれる気がしなかった。

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