第16話 拘束
「栞ちゃん、そこまでだよ」
今まで何処にいたのか。
教室の前側の入口から岩島さんが近付いてきた。
「みんなも解散だよ」
パンパンと手を叩き、あんたらは部活でしょ早く行きなさい、さぁあんたたちも――追い立てるようにクラスメイトを立たせていく。
有無を言わせない圧力の前に、蜘蛛の子を散らすように人影は消え、教室は瞬く間に閑散としていった。
我がクラスが誇るもう一人の美幼女。
身長は140あるかないか。
ロリータフェイスの巨乳っ子は、目を吊り上げて怒っておられた。
「栞ちゃん、抑えよっか」
橋苗さんはふんと、鼻息荒く腕を組み、窓の外に顔を向けた。
「王子ごめんね」
「いや……」
言葉に詰まった。
何に対して謝られているのか。
それが今一つ分からなかったのである。
「これが、栞ちゃんなんだよ」
呆れたような、それでいて許容するような――岩島さんが橋苗さんに向ける表情は優しかった。
「栞ちゃん、やっぱり上手くいかなかったの?」
橋苗さんは答えない。
窓の外、何処か遠くを見つめ、歯を食いしばって何かに耐えているようだった。
「やっぱりって?」
もしかすると、先程の触れ合いには、何か実験的な要素があったのかもしれない。
それが失敗に終わったというのは分かるが。
「王子と同じクラスになってからもう三ヶ月。栞ちゃんは限界が近付いてるんだよ」
「限界だって……?」
持ちこたえられない何かがあって、橋苗さんは必死に耐えている。
俺と同じクラスになったことが契機だとして。
彼女が豹変するのは、俺の知る限り、いつだって誘のことだった。
ならば答えはひとつしかなかった。
「『さながら誘』がすぐ側にいるのに、俺が、『さながら誘』ではないから……精神の均衡を保てないと?」
「概ね正解だよー」
橋苗さんにとっては、目の前に憧れの人物がいるのに、それでいて触れ合えない――生殺しの状態が続いていたというわけだ。
「補足するなら、それを解消するために王子で妥協しようと近付いてみたものの、満たせない欲望だけが溢れてしまったと、そんなところだよね、栞ちゃん?」
橋苗さんはまたしても答えなかった。
沈黙はすなわち肯定を表していた。
「最初は上機嫌かと思ったけど、偽物の俺では満足出来ず、暴走しつつあったと」
「そ。声を落としてたから分かんないけど、栞ちゃんのことだから、かなり際どいことを言ってたんじゃない?」
岩島さんが介入しなければ、クラスメイトの視線を受けつつ、とんでもない事態になる恐れがあった。
『さながら誘』の窓口である俺に、橋苗さんは乱れた欲求を突きつけていたのだから。
「ねぇ、王子」
「ん?」
「急なお願いで悪いんだけど、栞ちゃんに、お姉様を会わせてあげてくれない?」
「本当に急だな……」
「順を追って話せば急でもないんだけど、女子会まで耐えてくれるはずだった栞ちゃんがこの状態でしょ?」
「女子会も、俺にとっては急な話だったけどな」
「王子からすればそうなんだけど……」
岩島さんは渋面を作り、うーんと唸り、黙り込んだままの橋苗さんをちらりと見やり。
「仕方ないか。少し長くなっちゃうけど、こここまでの経緯を、軽く話すとしますか」
思い悩んだ末、岩島さんは『さながら誘』との交わりについて、俺の知らない過去を語ってくれた。
偶然にも葵に集められた四人は、理想の女の子像を俺に重ね合わせ、そして完成したのが『さながら誘』であった。
初めの頃は、誘の活躍を一喜一憂し、更なる案を加えていき、母なる存在として温かく俺を見守っていた。
だが、ある時から徐々に変化が訪れた。
理想の女の子である『さながら誘』は、母である彼女たちをも魅了してしまったのだ。
それは仄かな兆しだった。
誰がということもなく、呟いたらしい。
好きになってしまった、と。
今となっては、発端が橋苗さんだったかも定かではない。
知らず知らず、彼女たち全てが、誘のことを愛するようになってしまった。
しかし誘は女性。
しかし本当は男性。
歪な愛だとしても、異性を好きになっているのだ。
本質的に歪んでいるわけではなかった。
少しずつ、彼女たちの欲望は溢れ出した。
グルチャには乱れた欲が渦巻いていた。
本物の誘に会いたいと、誰しもが涎を垂らすようになった。
そんな頃である。
俺と同じクラスになり、橋苗さんと岩島さんは狂喜した。
岩島さんは俺に直に触れることで、その先にある誘を感じて、満たされたフリをした。
しかし橋苗さんは、誘でなければ満たされなかった。
このままではいずれ、橋苗さんによる『さながら誘』拉致監禁女装拘束の日が近いと危惧した残りの四人。
母として台頭することで、誘との接触を図り、その欲求を解消する。
それが女子会の意味だった。
しかし、その日さえ待ちきれず――いや、待てば会えるという縛りが、抑圧された橋苗さんの欲望を更に増幅させ、遂には暴走させ始めた。
それが岩島さんから語られた『さながら誘』との交わりだった。
俺が感じたのは、彼女たちの深い愛。
ではなく。
女装拘束って何……?
不可解なワードへの恐怖だった。
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