第15話 見てはいけないもの

「髪を伸ばしたのは正解だったよね」

 全ての授業が終了し、放課後。

 さて帰るか、席を立とうとすると、橋苗さんがやってきた。

 そして今、珍しく橋苗さんが俺の髪をいじっているという状況だった。

「カツラとかウィッグでもいいけど、どうしても自由度が減っちゃうからね」

 そう言いながら髪を束にして交差させていく。

 三つ編みにされてるっぽい?

 クラスメイトなので普段から会話はあるが、こうして積極的に絡んでくるほどの親密さはなかったはずだ。

 間違いなく昨夜の配信が関係しているのだろうけど、どうして急に?

 そんな俺の困惑を他所に。

「髪を伸ばし始めた時は、私の案が採用された! ってニヤニヤしてたんだから」

 俺にしか聞こえないくらいの声量で、橋苗さんは懐かしむように、喜悦を含んだ声音で話しかけてくる。

 何だかゾクゾクしてしまう。

 おそらく、雰囲気的には恋人のような空間が形成されているのだろう。

 周りからの視線が妙に熱っぽいのだ。

 珍しい光景に、全員ではないが、部活がある者でも席を立たず、俺たちを見守る姿があった。

 視線の多くが背後の橋苗さんへと向けられていることから……彼女はよほど浮かれた顔をしているに違いない。

 これは誤解を生みそうで怖いな……。

 いや、誤解ではないのか?

 橋苗さんが俺――というより、誘のことが好きなのは十分に伝えられている。

 それはつまり、俺のことが好き、ということでもあるのか?

 この辺の解釈がいまいち分からない。

 男である今の状態では、関わる意味も薄れそうなものだが。

「昨日は凄く色っぽかったよ」

「――!?」

 唐突に耳元で囁かれ、ビクリとした。

「あぁ……うん。葵が頑張ってくれたから」

 最近になって葵が『さながら誘』の髪型に力を入れ始めたのは、俺の髪が遊べる長さに到達したためだ。

 それまでにもちょこちょこ変えてはいたのだが、もう少し長さがあればと残念がる光景があった。

 そんな葵の願望が遂に叶えられた結果なのだ。

「ありがとう……、でいいのかな?」

 俺は自分のことでありながら、影で支えてくれる葵を褒められた嬉しさで、思わず顔を緩ませるのであった。

「こちらこそ、ご馳走様でした」

 表現が少し怪しい……。

 橋苗さんの言葉が、やけに脳に響く。

 もしかして、グルチャに新しい動きでもあったのだろうか。

 昨夜から目を通していない。

 どうしても、彼女たちの発言から性を意識してしまう。

 目に毒というか。

 欲望を解放した女性は、男より獣性が強い気がしないでもない。

 はたして彼女たちは、俺に見られているという自覚があるのだろうか。

 それとも、俺を女と見なしているからこそ、あんな卑猥な発言を連発出来るのか……?

「女子会が待ち遠しいな……」

 橋苗さんの声には、切なげで、何処か色気が混じっていた。

 なるほど。

 分かった気がする。

 彼女の『さながら誘』への熱は、グルチャで軽く拝見しただけでも、時折狂気を垣間見せる。

 おそらく、その狂おしい愛が暴走しているのだろう――クラスの周りの目を気にしないほどに。

 つまり今現在、『さながら誘』に会うのが待ちきれなくて、俺(相楽悠)で我慢しているという、厄介な構図が形成されているわけだ。

 一体、俺はどんな心持ちで対応すればいいんですかね……。

 清楚と活発を併せ持つ、最強美少女――それが橋苗さんに対するイメージだ。

 セミロングの絹のような髪。

 整った顔立ち。

 切れ長の目に柔らかい笑顔。

 見惚れるほどの綺麗な肢体。

 告白は数えきれないほどされている。

 モテモテの女子。

 そんな子が俺の後ろで囁き続けている。

 甘い香りに包み込まれ、優しく溶かされていくようだ。

 意識しない方が難しい。

 それがたとえ、誘に向けられた愛情であったとしても。

 このままだと俺は、橋苗さんのことを……。

「ところで」

 はっと意識を取り戻す。

 危うく橋苗さんから漂う色香に惑わされるところだった。

 こんなの、普通の男ならコロッと行ってしまう。

 多少なりとも橋苗さんの本性を知っている俺だから、耐えることが……出来……ていなかったけど。

 ともかく話題の転換は有難かった。

「なんだ?」

 俺は平静を取り戻し、話を促した。

 すると、よりによって。

「王子様はなんでグルチャに参加しないのかな?」

 それは俺がもっとも触れられたくないものだった。

 俺は思わず後ろを振り返った。

 橋苗さんは薄い笑みを浮かべ、挑戦的な気配を漂わせている。

 分かっていて触れてきたな。

 そう直感するも、まだ誤魔化せる範囲だ。

 俺は凌げると判断した。

「女の子の会話を覗き見するのは、気が引けるというか」

「昨日のログは見たんだよね? 既読付いてたし」

「……っ……」

 声にならない声が漏れた。

 俺は追い詰められていることを実感した。

 しかし、まだだ。

 逃げ切ってみせる。

「いや、悩みの所を遡って見たけど、全部は……」

「見たんだよね?」

「……少しだけ、な」

「少しって、写メの後のログも見てるよね?」

「すぐにスクロールさせたから……」

「でも、目に入るよね?」

 狩られる!

 このハンターから逃げ切れる気がしない!

 橋苗さんの持つ猟銃。

 その銃口は、ブレることなく俺を捉えていた。

 冷や汗が滲み出る。

 言葉が紡げない。

 もう、それが答えになってしまう。

 アップした写メについての感想。

 実は、そこには続きがあった。

 彼女たちは、己の性の欲望を、これでもかと垂れ流していたのだ。

 オブラートに包んだ言葉で言えば、俺に抱かれたい――そう、包んでこれなのだ。

 実際には男性器や女性器の名称が飛び交い、卑猥な表現が羅列され、とても凝視出来るものではなかった。

 慌ててスクロールさせた。

 見なかったことにした。

 したかった。

 でも、許してくれなさそうだ。

「あのね、見られて怒ってるんじゃないんだよ?」

 そりゃ、そうだよな。

 俺が参加しているのは既知のことだ。

 見られる可能性を当然分かっているはずだ。

 では、何が問題なのか。

「ちゃんと見てくれないから怒ってるの」

 どういう……こと?

「私たちの願望を叶えられるのは、誘お姉様だけなんだよ、見てくれなきゃ叶えてもらえないじゃん」

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